竹中郁著「子どもの言いぶん」(PHP・昭和48年)をひらく。
まえがきには、こんな箇所。
「書くという作業は、もちろん
他人につたえるのが半分以上の目的ではある。
しかし、子どもの場合は必ずしも、
そうとばかりは限らない。
ひとりつぶやきのようなものを書くことが、
刺激となって、心が応じて成長するのだ。
躰はたべることで成長する。
たべて躰を動かすことで成長する。
精神の方は感じて考えて、
しかもその上書いて、成長する。
ここに集めた子どもの詩のようなもの・・
子どもが読んでも、大人が読んでも
感銘ふかい作が多いと思う・・・」
う~ん。
「子どもの詩なんて」という大人が、
思わず読みながら食いつきそうな箇所もあります。
それは(笑)。
「大正の子」という章。
大岡昇平・木俣修二・岡本太郎・田中英光
の子どもの頃の詩が掲載されているのでした。
うん。私には、興味がないので
そそくさと、次へ(笑)。
さて、この本の最後を引用しておきます。
「日本の子どもの作文能力、あるいは文学能力は、
アメリカやイギリスやフランスをさぐってみての上でいうと、
格段に優れているようだ。
日本には『ひらかな』という便利なものがあって、
その四十八文字をおぼえただけで、
口にのぼってくる言葉を書きつけることができる。
西洋の方はABCをおぼえても、それを綴りあわせて
一つの単語にし、それをまたセンテンスにしなくてはならない。
それが辛いかして、低学年では書きたがらないのだ。
大たい、どんな子どもでも、書く欲望はもっているものだ。
その口火を上手に切ってやるように仕向けるのは、
教師や父兄の責任である。同年輩の子どもの作をみせてやって、
はじめは真似ごとから出てもよいのだ。
子どもが書いたなら、その欠点をほじくらないで、
よいところを認めてやる方へ重点をおくのだ。
それが教育のこつである。
できれば、教師の場合なら、
毎日のように子どもと食事を一緒にするとか、
一緒に入浴するとかいうようにするのだ。
信頼と敬愛は立ちどころに子どもに湧いて、
子どものこころも口もほぐれるのだ。
そんな状態の中でなら、
詩文の教育はみごとな成果を挙げること、まちがいない。」
ちなみに、
杉山平一著「戦後関西詩壇回想」(思潮社)に
竹中郁への言及があります。
そうそう、その本の巻頭の写真には
杉山平一・竹中郁・足立巻一が並ぶ
素敵な写真が載っておりました。
さて杉山平一氏は、こう紹介しております。
「竹中郁が、二十歳そこそこでフランスに留学し、
マン・レイに会い、ジャン・コクトオを
わが国で最初に翻訳した人であり、
そのためフランス文学に傾倒していた堀辰雄と
親交があり、堀が主宰する『四季』に
竹中を最初から仲間として迎え入れた・・・」
(p194)
その竹中郁が書いた「子どもの言いぶん」。
杉山平一氏の文でもって、大人にも、
ちょっと興味を持ってもらえるなら、
引用した甲斐があるというもの。
まえがきには、こんな箇所。
「書くという作業は、もちろん
他人につたえるのが半分以上の目的ではある。
しかし、子どもの場合は必ずしも、
そうとばかりは限らない。
ひとりつぶやきのようなものを書くことが、
刺激となって、心が応じて成長するのだ。
躰はたべることで成長する。
たべて躰を動かすことで成長する。
精神の方は感じて考えて、
しかもその上書いて、成長する。
ここに集めた子どもの詩のようなもの・・
子どもが読んでも、大人が読んでも
感銘ふかい作が多いと思う・・・」
う~ん。
「子どもの詩なんて」という大人が、
思わず読みながら食いつきそうな箇所もあります。
それは(笑)。
「大正の子」という章。
大岡昇平・木俣修二・岡本太郎・田中英光
の子どもの頃の詩が掲載されているのでした。
うん。私には、興味がないので
そそくさと、次へ(笑)。
さて、この本の最後を引用しておきます。
「日本の子どもの作文能力、あるいは文学能力は、
アメリカやイギリスやフランスをさぐってみての上でいうと、
格段に優れているようだ。
日本には『ひらかな』という便利なものがあって、
その四十八文字をおぼえただけで、
口にのぼってくる言葉を書きつけることができる。
西洋の方はABCをおぼえても、それを綴りあわせて
一つの単語にし、それをまたセンテンスにしなくてはならない。
それが辛いかして、低学年では書きたがらないのだ。
大たい、どんな子どもでも、書く欲望はもっているものだ。
その口火を上手に切ってやるように仕向けるのは、
教師や父兄の責任である。同年輩の子どもの作をみせてやって、
はじめは真似ごとから出てもよいのだ。
子どもが書いたなら、その欠点をほじくらないで、
よいところを認めてやる方へ重点をおくのだ。
それが教育のこつである。
できれば、教師の場合なら、
毎日のように子どもと食事を一緒にするとか、
一緒に入浴するとかいうようにするのだ。
信頼と敬愛は立ちどころに子どもに湧いて、
子どものこころも口もほぐれるのだ。
そんな状態の中でなら、
詩文の教育はみごとな成果を挙げること、まちがいない。」
ちなみに、
杉山平一著「戦後関西詩壇回想」(思潮社)に
竹中郁への言及があります。
そうそう、その本の巻頭の写真には
杉山平一・竹中郁・足立巻一が並ぶ
素敵な写真が載っておりました。
さて杉山平一氏は、こう紹介しております。
「竹中郁が、二十歳そこそこでフランスに留学し、
マン・レイに会い、ジャン・コクトオを
わが国で最初に翻訳した人であり、
そのためフランス文学に傾倒していた堀辰雄と
親交があり、堀が主宰する『四季』に
竹中を最初から仲間として迎え入れた・・・」
(p194)
その竹中郁が書いた「子どもの言いぶん」。
杉山平一氏の文でもって、大人にも、
ちょっと興味を持ってもらえるなら、
引用した甲斐があるというもの。