古本屋さんのブログを見せていただくことがあります(笑)。
すると、蔵書の整理に、呼ばれてお宅にうかがう、
そんな記述が、圧巻な印象として残ります。
うん。今日思い浮かんだのですが、
蔵書整理という、定点観測は、
魅力あるテーマですね(笑)。
足立巻一詩集(土曜美術社・日本現代詩文庫15)が
古本で届き、詩を読まずに、うしろの方のエッセイ
から読み始める。エッセイの最初は
「評伝竹中郁」序章が掲載されておりました。
序章は、亡くなった竹中郁を語っております。
そこから、この箇所を引用。
「第一回の蔵書・遺稿の整理をおこなった。
竹中は大変な読書家で、病気になって目を悪くするまで
読みつづけた。しかし、本を貯えたり、稀覯本を集めたり
する趣味はさらさらないように見えた。
つぎつぎ新刊書を買うが、読み終わるとさっさと人に回す。
わたしは竹中から何冊の本をもらったかわからない。
性格も詩も淡白であったように、
本に執着することはないように見えた。それに何より、
20年6月5日の神戸空襲で四千冊の蔵書を焼いている。
それで、蔵書といっても何ほどのこともあるまいと
予想していた。
ところが、そうではなかった。
書庫があるわけではなく、一階・二階のどの部屋にも
本が積まれ、わずかな隙間を見つけても
本を詰めこんでいる。
森鴎外・永井荷風・堀辰雄・稲垣足穂・梶井基次郎
が好きだったらしく、全集や初版本がある。
詩歌人では斎藤茂吉・木下杢太郎・三好達治・
丸山薫・小野十三郎・安西冬衛・永瀬清子・天野忠
などの詩歌集がそろっている。
外国文学ではジャン・コクトーの著作がまとめられている。
カバーをかけ、あるいは数冊をハトロン紙に包んで
紐をかけたのもある。
驚いたのは寄贈を受けた詩歌句集・雑誌が
処分されずに保存されていることだった。
児童詩誌『きりん』の全冊がそろっていることは
当然としても、同人雑誌の類まで整理して残している。
たとえば、わたしどもの同人誌『天秤』もあったし、
戦後すぐ死んだ詩人岬絃三の謄写版刷りの遺稿詩集もあった。
遺稿はおびただしいものであった。
詩をびっしり書きこんだ二冊の厚いノートもあったし、
草稿・書きつぶしもじつに多い。
また、スクラップ・ブックには新聞に掲載された
詩が張りこんであり、箱には新聞の切抜きがつまっている。
それらは厖大な量に上るであろうが、惜しいことに
掲載誌紙名・掲載年月が書き留められていない。
わたしは茫然とした。とにかく、
竹中を語るうえに必要と思われる資料は
段ボール箱につめて自分の書斎に持ちこみ、
途方に暮れた。そして、蔵書・遺稿の山に
これまであまり知らなかった人柄の一面と
純粋な詩心を見る思いがした。」
(p134~135)
うん。
「蔵書・遺稿の山にこれまであまり
知らなかった人柄の一面と
純粋な詩心を見る思いがした。」
ちなみに、
足立巻一著「評伝竹中郁」(理論社)は、
足立氏が亡くなり、未完だったようです。
すると、蔵書の整理に、呼ばれてお宅にうかがう、
そんな記述が、圧巻な印象として残ります。
うん。今日思い浮かんだのですが、
蔵書整理という、定点観測は、
魅力あるテーマですね(笑)。
足立巻一詩集(土曜美術社・日本現代詩文庫15)が
古本で届き、詩を読まずに、うしろの方のエッセイ
から読み始める。エッセイの最初は
「評伝竹中郁」序章が掲載されておりました。
序章は、亡くなった竹中郁を語っております。
そこから、この箇所を引用。
「第一回の蔵書・遺稿の整理をおこなった。
竹中は大変な読書家で、病気になって目を悪くするまで
読みつづけた。しかし、本を貯えたり、稀覯本を集めたり
する趣味はさらさらないように見えた。
つぎつぎ新刊書を買うが、読み終わるとさっさと人に回す。
わたしは竹中から何冊の本をもらったかわからない。
性格も詩も淡白であったように、
本に執着することはないように見えた。それに何より、
20年6月5日の神戸空襲で四千冊の蔵書を焼いている。
それで、蔵書といっても何ほどのこともあるまいと
予想していた。
ところが、そうではなかった。
書庫があるわけではなく、一階・二階のどの部屋にも
本が積まれ、わずかな隙間を見つけても
本を詰めこんでいる。
森鴎外・永井荷風・堀辰雄・稲垣足穂・梶井基次郎
が好きだったらしく、全集や初版本がある。
詩歌人では斎藤茂吉・木下杢太郎・三好達治・
丸山薫・小野十三郎・安西冬衛・永瀬清子・天野忠
などの詩歌集がそろっている。
外国文学ではジャン・コクトーの著作がまとめられている。
カバーをかけ、あるいは数冊をハトロン紙に包んで
紐をかけたのもある。
驚いたのは寄贈を受けた詩歌句集・雑誌が
処分されずに保存されていることだった。
児童詩誌『きりん』の全冊がそろっていることは
当然としても、同人雑誌の類まで整理して残している。
たとえば、わたしどもの同人誌『天秤』もあったし、
戦後すぐ死んだ詩人岬絃三の謄写版刷りの遺稿詩集もあった。
遺稿はおびただしいものであった。
詩をびっしり書きこんだ二冊の厚いノートもあったし、
草稿・書きつぶしもじつに多い。
また、スクラップ・ブックには新聞に掲載された
詩が張りこんであり、箱には新聞の切抜きがつまっている。
それらは厖大な量に上るであろうが、惜しいことに
掲載誌紙名・掲載年月が書き留められていない。
わたしは茫然とした。とにかく、
竹中を語るうえに必要と思われる資料は
段ボール箱につめて自分の書斎に持ちこみ、
途方に暮れた。そして、蔵書・遺稿の山に
これまであまり知らなかった人柄の一面と
純粋な詩心を見る思いがした。」
(p134~135)
うん。
「蔵書・遺稿の山にこれまであまり
知らなかった人柄の一面と
純粋な詩心を見る思いがした。」
ちなみに、
足立巻一著「評伝竹中郁」(理論社)は、
足立氏が亡くなり、未完だったようです。