ときどきは、読み返したくなる言葉、
というのがあるのでした。
この頃の私には、
臼井吉見編「柳田國男回想」(筑摩書房・1972年)の、
臼井吉見さんの文。
その臼井さんの文の最後は
「・・・・敗戦直後、
僕が会った多くの人たちのなかで、
七十歳を越えた柳田國男にくらべられるほど、
いきいきとした感覚と気力にはずんだ人を、
ついぞ見かけなかった。」(p155)
うん。それでは、臼見さんの文の
真ん中頃からですが、引用。
「・・信仰と和気は、
最小限度の心の栄養素と思うが、
戦争に負けたいま、
のんきすぎるというなら、
それもいたしかたない。
ただ第三のものだけは、
そういってやり過ごすわけにはいかない。
それは国語の普通教育、国語を
今後の青少年にどう教えるのがいいかということだ。
よく口のきける少しの人と、
うまく物がいえない多くの人が、
入りまじるようなことになれば、
どうなるか。
みんなが黙りこくっていた時代よりも、
不公平がひどくなるかもわからない。
自由には均等が伴わなくてはならない。
これまでの軍国主義を
悪く言わねばならぬ理由はいくらでもある。
ただわれわれの挙国一致をもって、
ことごとく言論抑圧の結果と
考えるのは事実に反している。
利害に動かされやすい社会人だけでなく、
純情で死をも辞さなかった若い人たちまで、
口をそろえて、
一種の言葉だけをとなえつづけていたのは、
強いられたのでも、欺かれたのでもない。
これ以外の考え方、言い方を
修練する機会を与えられなかったからだ。
こういう状態が、これからも続くならば、
どんな不幸な挙国一致が、これからも
現れて来ないものでもない。」
これを聞いた臼井吉見さんは
つぎに、こう書き記しております。
「以上のような話に耳を傾けているうちに、
これはまさに重大事で、
文化や思想の根源の問題だと思った。・・
現に新聞やラジオでとりかわされている言説には、
『よく口のきける少しの人』の、
ハンコでおしたような一種の、
これまでのそれの裏返しみたいな、
どぎつくわかりいい考え方、言い方が出て来て、
あちこちで、その口真似がはじまっていた。
・・・・」(p151~p152)
なあ~んだ。それならば、現在まで、
この指摘は、ちっとも変わっていないじゃないか、
と私には思えてしまう。
「これ以外の考え方、言い方を修練する機会」を、
このブログで少しでもできますように(笑)。
というのがあるのでした。
この頃の私には、
臼井吉見編「柳田國男回想」(筑摩書房・1972年)の、
臼井吉見さんの文。
その臼井さんの文の最後は
「・・・・敗戦直後、
僕が会った多くの人たちのなかで、
七十歳を越えた柳田國男にくらべられるほど、
いきいきとした感覚と気力にはずんだ人を、
ついぞ見かけなかった。」(p155)
うん。それでは、臼見さんの文の
真ん中頃からですが、引用。
「・・信仰と和気は、
最小限度の心の栄養素と思うが、
戦争に負けたいま、
のんきすぎるというなら、
それもいたしかたない。
ただ第三のものだけは、
そういってやり過ごすわけにはいかない。
それは国語の普通教育、国語を
今後の青少年にどう教えるのがいいかということだ。
よく口のきける少しの人と、
うまく物がいえない多くの人が、
入りまじるようなことになれば、
どうなるか。
みんなが黙りこくっていた時代よりも、
不公平がひどくなるかもわからない。
自由には均等が伴わなくてはならない。
これまでの軍国主義を
悪く言わねばならぬ理由はいくらでもある。
ただわれわれの挙国一致をもって、
ことごとく言論抑圧の結果と
考えるのは事実に反している。
利害に動かされやすい社会人だけでなく、
純情で死をも辞さなかった若い人たちまで、
口をそろえて、
一種の言葉だけをとなえつづけていたのは、
強いられたのでも、欺かれたのでもない。
これ以外の考え方、言い方を
修練する機会を与えられなかったからだ。
こういう状態が、これからも続くならば、
どんな不幸な挙国一致が、これからも
現れて来ないものでもない。」
これを聞いた臼井吉見さんは
つぎに、こう書き記しております。
「以上のような話に耳を傾けているうちに、
これはまさに重大事で、
文化や思想の根源の問題だと思った。・・
現に新聞やラジオでとりかわされている言説には、
『よく口のきける少しの人』の、
ハンコでおしたような一種の、
これまでのそれの裏返しみたいな、
どぎつくわかりいい考え方、言い方が出て来て、
あちこちで、その口真似がはじまっていた。
・・・・」(p151~p152)
なあ~んだ。それならば、現在まで、
この指摘は、ちっとも変わっていないじゃないか、
と私には思えてしまう。
「これ以外の考え方、言い方を修練する機会」を、
このブログで少しでもできますように(笑)。