和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

「声」欄のボツ原稿。

2018-03-26 | 朝日新聞
ある方のブログを拝見したら、
朝日新聞の「声」欄からの引用から
はじめられておりました。

索引のない文章に、引用があると、
それがどこの出どころなのか
明らかならば、分りやすく。
それはそれで、ありがたい。

朝日新聞の「声」欄といえば、
私は、竹山道雄の原稿を没にした
あの「声」欄かと、思い出します。

竹山道雄は、1903年生れで
旧制一高講師・同教授、
東京大学教養学部教授を歴任。


その方の原稿を
朝日新聞「声」欄はボツにしました。
昭和43年のことです。

竹山道雄著「主役としての近代」(講談社学術文庫)
から引用します。

「・・・鈴木氏『対話の継続を望む』という投書があり、
私がさらに投書欄で答えることを求められた。
これに対して、私はその日のうちに投書した。
返事はつねに問とおなじ長さに書いた。」

 その投書した文が引用されています。
それは省いて、その次から引用します。

「これは『声』欄には採用されず没書となった。
したがって、私が・・・顧慮せず対話を断った
という形で、この『論争』は終止符をうたれた。

これはフェアではないが、土俵に上げてくれない以上、
『声』欄で答えることはできない。
投書欄は係の方寸によってどのようにでも選択される。
それが覆面をして隠れ蓑をきて行なわれるのだから
どうしようもない。
・・・根拠を明示し、署名をして責任の所在を
あきらかにすべきである。全体が無形無名の風潮に
あふれててズルズルと大きな破局にのめりこんだことは、
いまだに記憶にあたらしい。無署名の冷笑嘲罵、一方的な
切りすて御免、誹謗的な毒舌、公けという観念の欠如
(これらのことはジャーナリズムだけではないが)
などは、おそらく封建時代の町人が権力者にむかって
川柳やちょぼくれなどで溜飲を下げた、その残滓なのだろう。
こういうことは戦後しばらくはじつにひどかったが
近頃はよほど平静になった。しかしまだ
世界の他国にはないめずらしい現象である。・・・
『声』欄にあらわれた様相が全体を代表するとは思えない。
そして『声』欄の投書には、
『なぜ戦争があるのでしょう。いま春雨はしとしとと
降っているのに・・・』といった調子の、
詠嘆ないしは怒号が多い。
あのような意見は、平和実現確保とは
縁がないことである。」

ちなみに、
これは文庫本で実質3頁ほどの短い文。
せっかくですから、その文のはじまりも
引用させてください。

「朝日新聞の『声』欄に『ビルマの竪琴論争』
なるものが起こった。これはまだ論争といえる
ものではなかった。人間は善意を持っているが、
また悪魔性をも持っている。国際関係などは
できるだけ冷静に考えなくてはならないのに、
素朴な感情論が演出されて、あたかもそれが
世論であるかのごとく操作された。・・・」
(p195~198)


なお、
平川祐弘著「竹山道雄と昭和の時代」(藤原書店)
には、この箇所を丁寧に取り上げたあとに、
さらに、注として(p324)、
朝日新聞出版局が『声』掲載の投書を六巻本に刊行中に
この竹山の投書の再録を、一切しないことにした経緯が
書きとめられており、読んでいただきたい1頁です。

徳岡孝夫著「『戦争屋』の見た平和日本」(文藝春秋)
には「『ビルマの竪琴』と朝日新聞の戦争観」という
13頁の文があり、こちらは、「諸君!」に掲載されたもの。
そうそう、
徳岡孝夫の本には、裏表紙に山本夏彦の推薦文あり。
この機会に、夏彦氏の推薦文も、ここへと引用。

「新聞の海外特派員は、いつも本社の
デスクの顔色をうかがって原稿を書く。
本社が米英撃つべしなら、撃つべしと書く。
撃つな、と書けば没書になるのはまだしも左遷される。
即ち特派員はむかし国を誤ったのである。
いまだにそうである。
中国は自分の気にいらぬ記事を書く特派員を追放する。
追放されたくないばかりに、気にいる記事だけ書く。・・」


以上3冊のおすすめ。

朝日の新聞ばかりでなく、
朝日の旧聞もお忘れなく。

コメント
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