今回、丸谷才一著「思考のレッスン」を再読して、
この箇所が、あらたに浮かび上がってきました。
レッスン3「思考の準備」にありました。
「しかし一番大事なことがもう一つある。
それは、まとまった時間があったら本を読むな
ということです。
本は原則として忙しいときに読むべきものです。
まとまった時間があったらものを考えよう。
・・・とにかく手ぶらで、ものを考えよう。
きょうは暇だから本を読もうというのは、
あれは間違いです。
きょう暇だったら、のんびりと考えなくちゃあ。
考えれば何かの方向が出てくる。
何かの方向が出てきたら、
それにしたがってまた読めばいい。
そして、考えたあげく、
これは読まなければならない本だとわかれば、
・・その必要のせいでおもしろく読めるんですよ。」
(p141)
さらに、レッスン4「本を読むコツ」の最後でした。
こう語られております。
「・・・僕の縄張り、僕の流儀で考えれば、
物語と年表とはどう違うかということが
頭に浮かんだかもしれない。たぶん浮かんだろう。
浮かんだに決まっている。そうでもないか(笑)。
とにかく、自分で考えることもしないで、
『何か本はないか』ーーこれがよくなかった。
何かに逢着したとき、大事なのは、まず頭を動かすこと。
ある程度の時間をかけて自分一人でじーっと考える。
考えるに当って必要な本は、
それまでにかなり読んでいるはずです。
頭の中にあるいままでの資産を使って考える。
それを僕は怠った。・・・・・
まず、じーっと考えて、ある程度見通しをつけた上で、
そこで本を読めばいい。
年表と最も対立するものは何か?
歴史という物語である。
そう思いついてから、その方向の本を読めばいい。
ですから、大事なのは本を読むことではなく、
考えること。まず考えれば、
何を読めばいいかだってわかるんです。」
(p182~183)
この箇所を、現在の私なりに、なぞってみると。
これはいつものことですが、
まず、私は、遅々として読むのは進まない。
それに反比例して読むよりも買う方が手軽で簡単。
手軽な古本注文に、あれよあれよと染まってます。
ネットに打ち込めば、早くて明日に届くたのしみ。
この誘惑。これはイケナイとブレーキをかける。
まあそれはそれ、購入した未読本にチャレンジ。
先頃、谷川俊太郎と父・谷川徹三とのつながりに
私は興味をもちました。けれども、
案外に、谷川俊太郎論というのは、
古本でも高そうです。そう値段を出してまで、
読みたいとも思わないテーマでもあります(笑)。
そこで、寝ながら考えた。
そういえば、
谷川徹三の本を古本で少し買ったばかり。
あとは、河合隼雄氏との対談に
谷川俊太郎氏はよく登場しておりました。うん。
河合隼雄氏の対談集なら、本棚に揃っております。
さらに、大岡信氏の本は、選集が買ってあり未読。
櫂同人で、大岡信と谷川俊太郎とは同人でした。
この3点から、谷川俊太郎のホーム・グラウンド
を浮かび上がらせてゆけるのじゃないかと
目星をつけて、本棚にむかう。
適宜とりだしてきた本を並べて、
あとは読むだけ。
すぐ飽きる私に、
ちょうど飽きるまでの数冊が
手元にあったわけでした(笑)。
思い返せば、さいしょに、
私が現代詩に触れたのは、
谷川俊太郎と田村隆一です。
最初に触れた出合の感覚は、
いったいなんだったのかと、
振り返り蘇らせる好機到来。
そういえば、大岡信氏は、
昨年亡くなられておりました。
この箇所が、あらたに浮かび上がってきました。
レッスン3「思考の準備」にありました。
「しかし一番大事なことがもう一つある。
それは、まとまった時間があったら本を読むな
ということです。
本は原則として忙しいときに読むべきものです。
まとまった時間があったらものを考えよう。
・・・とにかく手ぶらで、ものを考えよう。
きょうは暇だから本を読もうというのは、
あれは間違いです。
きょう暇だったら、のんびりと考えなくちゃあ。
考えれば何かの方向が出てくる。
何かの方向が出てきたら、
それにしたがってまた読めばいい。
そして、考えたあげく、
これは読まなければならない本だとわかれば、
・・その必要のせいでおもしろく読めるんですよ。」
(p141)
さらに、レッスン4「本を読むコツ」の最後でした。
こう語られております。
「・・・僕の縄張り、僕の流儀で考えれば、
物語と年表とはどう違うかということが
頭に浮かんだかもしれない。たぶん浮かんだろう。
浮かんだに決まっている。そうでもないか(笑)。
とにかく、自分で考えることもしないで、
『何か本はないか』ーーこれがよくなかった。
何かに逢着したとき、大事なのは、まず頭を動かすこと。
ある程度の時間をかけて自分一人でじーっと考える。
考えるに当って必要な本は、
それまでにかなり読んでいるはずです。
頭の中にあるいままでの資産を使って考える。
それを僕は怠った。・・・・・
まず、じーっと考えて、ある程度見通しをつけた上で、
そこで本を読めばいい。
年表と最も対立するものは何か?
歴史という物語である。
そう思いついてから、その方向の本を読めばいい。
ですから、大事なのは本を読むことではなく、
考えること。まず考えれば、
何を読めばいいかだってわかるんです。」
(p182~183)
この箇所を、現在の私なりに、なぞってみると。
これはいつものことですが、
まず、私は、遅々として読むのは進まない。
それに反比例して読むよりも買う方が手軽で簡単。
手軽な古本注文に、あれよあれよと染まってます。
ネットに打ち込めば、早くて明日に届くたのしみ。
この誘惑。これはイケナイとブレーキをかける。
まあそれはそれ、購入した未読本にチャレンジ。
先頃、谷川俊太郎と父・谷川徹三とのつながりに
私は興味をもちました。けれども、
案外に、谷川俊太郎論というのは、
古本でも高そうです。そう値段を出してまで、
読みたいとも思わないテーマでもあります(笑)。
そこで、寝ながら考えた。
そういえば、
谷川徹三の本を古本で少し買ったばかり。
あとは、河合隼雄氏との対談に
谷川俊太郎氏はよく登場しておりました。うん。
河合隼雄氏の対談集なら、本棚に揃っております。
さらに、大岡信氏の本は、選集が買ってあり未読。
櫂同人で、大岡信と谷川俊太郎とは同人でした。
この3点から、谷川俊太郎のホーム・グラウンド
を浮かび上がらせてゆけるのじゃないかと
目星をつけて、本棚にむかう。
適宜とりだしてきた本を並べて、
あとは読むだけ。
すぐ飽きる私に、
ちょうど飽きるまでの数冊が
手元にあったわけでした(笑)。
思い返せば、さいしょに、
私が現代詩に触れたのは、
谷川俊太郎と田村隆一です。
最初に触れた出合の感覚は、
いったいなんだったのかと、
振り返り蘇らせる好機到来。
そういえば、大岡信氏は、
昨年亡くなられておりました。