和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

「解釈魔」であった詩人の鑑識眼。

2018-05-18 | 短文紹介
注文してあった
ユリイカ平成29年7月臨時増刊号
「大岡信の世界 1931-2017」。
編集後記には
「本誌は4月5日に逝去した大岡信さんの
追悼特集として編まれた。」とあります。

キーワードとして
「道元」「正法眼蔵」という言葉が
この追悼号のどこかにあるかなと、
思いながら、辞書で言葉を探すように
パラパラとめくるのですが、
この言葉は見つからなかった。

しいていえば、
こんな箇所でしょうか?

「歌謡・和讃の形式による仏教思想の
表出はとりわけそのような様相を
つよく備えている。」(p209)

うん。正法眼蔵という言葉は見つからない
追悼号でしたが、大岡信という山への
登山道への道案内地図はありました。
ありがたいことに、
中西恭子氏の文によってなら、
大岡信著「日本の古典詩歌」(全六巻)に
チャレンジできそうな気がしてきました。

はい。ポツポツと大岡氏の著作は、
本棚に散見しているのですが、
いままで、食わず嫌いで通しておりました。
谷川俊太郎との関係から読めそうな気がするし。
もちろん、正法眼蔵という芝生に寝そべってみたい
気にもなってきました。


そうそう。中西恭子氏の文に『解釈魔』と
ありましたので、その近辺を引用しておきます。

「『折々のうた』は1979年1月25日から2007年3月27日に
及ぶ長期連載となった。物心ついたときには、
気づいたときには『折々のうた』がすでに
日常の一部であったと回想する読者も多いことだろう。
形式の古典詩歌と近現代詩歌が有名無名を問わず、
作者が明らかな作品も、詠み人知らず作例もともに、
日刊全国紙で日々180字のコラムとなって紹介される。
『解釈魔』であった詩人の鑑識眼によって
よりぬかれた詩と示唆的な評釈が。
日常と生活に新鮮な風を吹き込む。
読者は選者を意識して読むとは限らない。
選者はときに黒子に徹していると
読者には感じられることもあるだろう。
日々詩歌と読者が出会う稀有な『うたげと孤心』の
場が開かれたのである。・・・」(p211)

コメント
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