和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

「よし、やるべえ」

2018-05-24 | 詩歌
伊達得夫著「詩人たち ユリイカ抄」(平凡社ライブラリー)。
これを、古本で購入。解説は大岡信。
本文には、谷川俊太郎についての短文もある。
その短文は、まるで四コマ漫画を、
言葉だけで表現している鮮やかさ。
その四コマ漫画風なのが「谷川俊太郎のこと」(p131~132)。
ちなみに「売れない本の作り方」(p116~120)では、
谷川俊太郎ならぬ、谷底落太郎という詩人が登場しており、
こちらは、出版屋が詩集を作ることに関して、

「詩の本は売れない、というのが、一般の常識です。
だから、出版屋は詩集を作る場合、反動的にか、ヤケになってか、
いよいよ売れないような本に作りがちなものであります。
それはすでにわが国における詩集出版の伝統的な傾向となっています。
・・・で、ぼくは考えます。詩の本は売れない、と言い切る前に、
『詩集』というものに対して持つ造本上の偏見を、
出版屋がまず捨てること・・・・」(p119~120)

解説を読んでから、チラリとこんな箇所をめくっていたら、
いつのまにか、パラパラと全文を読みはじめておりました。

うん。ここを引用しておきます。
それは「ふりだしの日々」という章にありました。

「『書肆ユリイカ』は足かけ四年を経ていたが、
売れたのは『二十歳のエチュード』だけであった。・・・・
ある日、ぼくの高校時代の同級生で、
女学校の教師をしている詩人那珂太郎を訪ねて言った。

『おれは出版をやめようと思うんだ。とってもつづかねえや』

『そうか、いよいよやめるか。
それじゃ最後におれの詩集を作らんか。
おれの詩集は生徒が買ってくれるからな。売れるぜ』

『よし、やるべえ』とぼくは答えた。

濃紺の函に入った純白の詩集『ETUDES』は果たして
かれの言葉通り教え子たちの手によって売り切れた。
『中村真一郎のところに詩集持って行ったらな、
おれもこんな詩集作りたいから頼んでくれって言ってたぜ』
那珂は自分の詩集を先輩詩人たちに寄贈していた
・・・・・
『中村真一郎詩集』と前後してぼくは中村稔詩集『無言歌』
も発行していた。この両中村の詩集は好評で
新聞や雑誌に書評が現われたが、そのころから
ぼくは次から次へと詩集の発行を依頼されることになった。
自費出版もあったし、そうでないものもあった。
ぼくははじめて
世の中には驚嘆すべく詩人の多いことを知った。
『出版をやめようと思うよ』などともらした日から
ぼくは続々とそれらの詩集を出版する羽目に
なろうとは思いもよらぬ仕儀であった。」
(p27~29)

せっかくなので、十年後の、
もう一箇所も引用。

「ぼくが手工芸めく詩書の出版をはじめて十年たっている。
・・・・十年このかた、『喫茶店だがバーだか』の二階の
うすぎたないオフィスで『ユリイカさーん』『はーい』と
いうような商売をつづけている・・
ぼくはすでに二百点に近い詩集を世に送って来た。
しかしその殆どがコマーシャリズムに載らなかった。
せいぜい五百部。最高で千部くらいしか売れていない。
・・・・しかし、アウト・サイダーには、やはり
アウト・サイダーらしい彩りはあるものだ。それは、
入れかわり立ちかわる若い詩人たちとのつき合いだ。
かれらは詩の話なぞ全くしない。こまごました
家庭的なナヤミから壮大な恋愛事件までが、
ぼくの前にうちあけられる。」(p110~111)

うん。
入れかわり立ちかわる若い詩人たちとの、
『ユリイカさーん』『はーい』の世界。
コメント
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