大岡信と谷川俊太郎と。
二人が気になるので、
古本で
菅野昭正編「大岡信の詩と真実」(岩波書店)を買う。
そこに、
谷川俊太郎と三浦雅士の対談「詩人ふたり」
というのがありました。さっそくひらく。
三浦】 僕は大岡信と谷川俊太郎というお二人は、
とても似通っているところと非常に違っているところがあって、
その対比がたいへん興味深いと思っています。・・・
谷川】・・大岡も本当に字を書くのが嫌いじゃないんです。
俺、字を書くのが嫌いなんですよ。だからワープロが
出来た時は本当にうれしかった。大岡は生涯ワープロなんか
使わないっていう人で、使えるのはファックスだけっていう人だから。
見ていると大岡は手が器用ですよ。・・・・
大岡の字、書が、僕は好きなんです。
若い頃のはがきなどを見るととても細かい字で書いてるでしょ。
大岡が字を書くのが好きだというのと同時に、
僕はその書いた字が好きだという両方なんです。
大岡はとにかく言葉が好きだけれど、
僕は言葉が好きじゃない、最初から。
何か言葉に疑問を持って、詩に疑問を持つ
ところからスタートするんですね。
だけど、大岡はそうじゃないなっていうのを
・・・ますます実感しました。
(p75~76)
思潮社の新選現代詩文庫108
「新選 大岡信詩集」は、積読本にありました。
まず、「詩人論・解説」のページをひらくと
吉田健一氏が「大岡信『悲歌と祝祷』」と
題して書いている。
うん。読んで、はじめて大岡信の詩は
こう読むんだとわかる。
詩よりも詩の解説からわかるという私の悪い癖(笑)。
さてっと、この「新選 大岡信詩集」には
長い題の詩がありました。
その題というのは、
「初秋午前五時白い器の前にたたずみ
谷川俊太郎を思つてうたふ述懐の唄」。
そこから、この箇所を引用。
君のことなら
何度でも語れると思ふよ おれは
どんなに醜くゆがんだ日にも
君のうたを眼で逐ふと
涼しい穴がぽかりとあいた
牧草地の雨が
糞を静かに洗ふのが君のうたさ
おれは涼しい穴を抜けて
イツスンサキハ闇ダ といふ
君の思想の呟きの泡を
ぱちんぷちんとつぶしながら
気がつくと 雲のへりに坐つてゐるのだ
坊さんめいた君のきれいな後頭部を
なつかしく見つめてゐるのだ
ぱちん・・・・
ぱちん・・・・
・・・・・・・
だからおれは
君のことなら何度でも語れると思ふ
人間のうちなる波への
たえまない接近も
星雲への距離を少しもちぢめやしないが
おとし穴ならいつぱいあるさ
墜落する気絶のときを
はかるのがおれの批評 おれの遊び
長い詩の三分の一を引用してみました。
へ~。こんな詩があったのだ。
と思いながら。
二人が気になるので、
古本で
菅野昭正編「大岡信の詩と真実」(岩波書店)を買う。
そこに、
谷川俊太郎と三浦雅士の対談「詩人ふたり」
というのがありました。さっそくひらく。
三浦】 僕は大岡信と谷川俊太郎というお二人は、
とても似通っているところと非常に違っているところがあって、
その対比がたいへん興味深いと思っています。・・・
谷川】・・大岡も本当に字を書くのが嫌いじゃないんです。
俺、字を書くのが嫌いなんですよ。だからワープロが
出来た時は本当にうれしかった。大岡は生涯ワープロなんか
使わないっていう人で、使えるのはファックスだけっていう人だから。
見ていると大岡は手が器用ですよ。・・・・
大岡の字、書が、僕は好きなんです。
若い頃のはがきなどを見るととても細かい字で書いてるでしょ。
大岡が字を書くのが好きだというのと同時に、
僕はその書いた字が好きだという両方なんです。
大岡はとにかく言葉が好きだけれど、
僕は言葉が好きじゃない、最初から。
何か言葉に疑問を持って、詩に疑問を持つ
ところからスタートするんですね。
だけど、大岡はそうじゃないなっていうのを
・・・ますます実感しました。
(p75~76)
思潮社の新選現代詩文庫108
「新選 大岡信詩集」は、積読本にありました。
まず、「詩人論・解説」のページをひらくと
吉田健一氏が「大岡信『悲歌と祝祷』」と
題して書いている。
うん。読んで、はじめて大岡信の詩は
こう読むんだとわかる。
詩よりも詩の解説からわかるという私の悪い癖(笑)。
さてっと、この「新選 大岡信詩集」には
長い題の詩がありました。
その題というのは、
「初秋午前五時白い器の前にたたずみ
谷川俊太郎を思つてうたふ述懐の唄」。
そこから、この箇所を引用。
君のことなら
何度でも語れると思ふよ おれは
どんなに醜くゆがんだ日にも
君のうたを眼で逐ふと
涼しい穴がぽかりとあいた
牧草地の雨が
糞を静かに洗ふのが君のうたさ
おれは涼しい穴を抜けて
イツスンサキハ闇ダ といふ
君の思想の呟きの泡を
ぱちんぷちんとつぶしながら
気がつくと 雲のへりに坐つてゐるのだ
坊さんめいた君のきれいな後頭部を
なつかしく見つめてゐるのだ
ぱちん・・・・
ぱちん・・・・
・・・・・・・
だからおれは
君のことなら何度でも語れると思ふ
人間のうちなる波への
たえまない接近も
星雲への距離を少しもちぢめやしないが
おとし穴ならいつぱいあるさ
墜落する気絶のときを
はかるのがおれの批評 おれの遊び
長い詩の三分の一を引用してみました。
へ~。こんな詩があったのだ。
と思いながら。