和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

表現の行き方。

2018-05-15 | 詩歌
気になったので古本を注文。
エナジー対話・第八号
「批評の生理 大岡信×谷川俊太郎」(昭和52年発行)。
それが、今日届く。

谷川俊太郎の詩について

「去年の秋、谷川が『定義』という詩集と
『夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった』
という詩集を、二冊同時に別々の出版社から出した。」

と大岡さんが語りながら、この二冊の詩集について
話がはじまるのでした。
全部を読むのは、めんどうなので(笑)。
パラパラめくっていると、こんな箇所があります。

大岡さんの語りのなかに、こうあります。

「道元の『正法眼蔵』などを読んでいると、
例えば人間が無数にいるってことを
『三々五々』とか、まあそういう限定された数字で
表現している。無限というようなことはいわずに
無限大を捉える一種独特の表現法なんだな。

谷川の『定義』にはちょっとそれに似た
方向があるようにも思う。
非常に簡潔に言えばいえるようなことも、
二十行ぐらい使って言ったりしている。
それは谷川流の『三々五々』のやり方かもしれない。

谷川の表現の行き方には、
道元的な行き方と似たところがあるのじゃないかな。」
(p64)

うん。ここまでにしておきます(笑)。

なあ~んだ。両者には、
もう道元が対話のなかに登場していたのか(笑)。

うん。でも、谷川俊太郎の詩に
道元をもってくる大岡信のセンス。
私は、そこに興味がもてるので、
ここからなら、道元と
そして、大岡信を読んでいけそうな気がしてきた。



コメント
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