気になったので古本を注文。
エナジー対話・第八号
「批評の生理 大岡信×谷川俊太郎」(昭和52年発行)。
それが、今日届く。
谷川俊太郎の詩について
「去年の秋、谷川が『定義』という詩集と
『夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった』
という詩集を、二冊同時に別々の出版社から出した。」
と大岡さんが語りながら、この二冊の詩集について
話がはじまるのでした。
全部を読むのは、めんどうなので(笑)。
パラパラめくっていると、こんな箇所があります。
大岡さんの語りのなかに、こうあります。
「道元の『正法眼蔵』などを読んでいると、
例えば人間が無数にいるってことを
『三々五々』とか、まあそういう限定された数字で
表現している。無限というようなことはいわずに
無限大を捉える一種独特の表現法なんだな。
谷川の『定義』にはちょっとそれに似た
方向があるようにも思う。
非常に簡潔に言えばいえるようなことも、
二十行ぐらい使って言ったりしている。
それは谷川流の『三々五々』のやり方かもしれない。
谷川の表現の行き方には、
道元的な行き方と似たところがあるのじゃないかな。」
(p64)
うん。ここまでにしておきます(笑)。
なあ~んだ。両者には、
もう道元が対話のなかに登場していたのか(笑)。
うん。でも、谷川俊太郎の詩に
道元をもってくる大岡信のセンス。
私は、そこに興味がもてるので、
ここからなら、道元と
そして、大岡信を読んでいけそうな気がしてきた。
エナジー対話・第八号
「批評の生理 大岡信×谷川俊太郎」(昭和52年発行)。
それが、今日届く。
谷川俊太郎の詩について
「去年の秋、谷川が『定義』という詩集と
『夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった』
という詩集を、二冊同時に別々の出版社から出した。」
と大岡さんが語りながら、この二冊の詩集について
話がはじまるのでした。
全部を読むのは、めんどうなので(笑)。
パラパラめくっていると、こんな箇所があります。
大岡さんの語りのなかに、こうあります。
「道元の『正法眼蔵』などを読んでいると、
例えば人間が無数にいるってことを
『三々五々』とか、まあそういう限定された数字で
表現している。無限というようなことはいわずに
無限大を捉える一種独特の表現法なんだな。
谷川の『定義』にはちょっとそれに似た
方向があるようにも思う。
非常に簡潔に言えばいえるようなことも、
二十行ぐらい使って言ったりしている。
それは谷川流の『三々五々』のやり方かもしれない。
谷川の表現の行き方には、
道元的な行き方と似たところがあるのじゃないかな。」
(p64)
うん。ここまでにしておきます(笑)。
なあ~んだ。両者には、
もう道元が対話のなかに登場していたのか(笑)。
うん。でも、谷川俊太郎の詩に
道元をもってくる大岡信のセンス。
私は、そこに興味がもてるので、
ここからなら、道元と
そして、大岡信を読んでいけそうな気がしてきた。