司馬遼太郎著「以下、無用のことながら」をひらく。
古本で単行本が安かったので、再購入(笑)。
ところどころカラーペンでラインがある。
でも、おかげで気楽にページがめくれます。
うん。楽しい再読を兼ねた一冊。
さてっと、
仏教に興味が出てきた私です。
司馬さんの仏教をひもとくには、
この一冊で展望がひらけます。
週刊朝日MOOK「司馬遼太郎と宗教」も
最近でておりますが、どちらかといえば、
私は、「以下、無用のことながら」です。
では、「以下、無用のことながら」から、
まず、最初はここを引用。
「やがて、学業途中で、兵営に入らざるをえませんでした。
にわかに死についての覚悟をつくらねばならないため、
岩波文庫のなかの『歎異抄』(親鸞・述)を買ってきて、
音読しました。・・・・
『歎異抄』の行間のひびきに、信とは何かということを、
黙示されたような思いがしました。
むろん、信には至りませんでしたが、
いざとなって狼狽することがないような自分を
つくろうとする作業に、多少の役に立ったような気がしています。」
(p39~40・「学生時代の私の読書」)
うん。次に引用したいのはここ。
「1992年3月5日、コロンビア大学のドナルド・キーン
日本文化研究センターでの講演」
題名は「日本仏教小論ーー伝来から親鸞まで」。
そのはじまりの方にこうあります。
「日本仏教を語るについての私の資格は、
むろん僧侶ではなく、信者であるということだけです。
不熱心な信者で、死に臨んでは、伝統的な仏教儀式を
拒否しようとおもっている信者です。
プロテスタンティズムにおける無教会派の信徒と
おもって頂いていいとおもっています。
ただ私の家系は、いわゆる『播州門徒』でした。
いまの兵庫県です。17世紀以来、数百年、
熱心な浄土真宗の信者で、蚊も殺すな、
ハエも殺すな、ただし蚊やりはかまわない。
蚊が自分の意志で自殺しにくるのだから。
ともかくも、播州門徒の末裔であるということも、
私がここに立っている資格の一つかもしれません。」
(p261)
「虹滅(こうめつ)の文学―――足立巻一氏を悼む」
という追悼文もこの本にはあります。
そのはじめの方からも引用。
「・・・手まわしよく自分の戒名まで用意していた。
『釈亭川』というわずか三文字の名である。
清雅なものであった。
戒名における院号や院殿号は江戸時代の大名に擬した
売買用の戒名で、日本の仏教界の俗風を象徴している。
むかしはふつう戒名はこのようで、二字に
釈迦の弟子という意味から、釈という一字がつく。
とくに浄土真宗はそうであった。足立家は、その門徒である。
しかしながら葬儀は、故人がすきだった須磨寺でおこなわれた。
須磨寺は真言密教で、霊前に、空海が秘経としていた理趣経が
唱誦された。・・・」(p493)
おかしいのは
「井伏さんのこと」という短文でした。
東京の青山斎場でのこと。最初の方を引用。
「・・かぞえると、三度になる。
三度とも、井伏さんがおられた。
三度目には、井伏さんのほうがたまりかね、
微妙に体をよじらせて、
『あなたとは、いつもここで会いますね』
といわれた。斎場の控え室でだけ会う男などというと、
私も井伏文学の登場人物になったような気がしないでもない。」
(p485)
「以下、無用なことながら」は、
宗教の観点から再読してみると、
無用ではない仏教の話が聞ける、
貴重な一冊となっていて有難い。
古本で単行本が安かったので、再購入(笑)。
ところどころカラーペンでラインがある。
でも、おかげで気楽にページがめくれます。
うん。楽しい再読を兼ねた一冊。
さてっと、
仏教に興味が出てきた私です。
司馬さんの仏教をひもとくには、
この一冊で展望がひらけます。
週刊朝日MOOK「司馬遼太郎と宗教」も
最近でておりますが、どちらかといえば、
私は、「以下、無用のことながら」です。
では、「以下、無用のことながら」から、
まず、最初はここを引用。
「やがて、学業途中で、兵営に入らざるをえませんでした。
にわかに死についての覚悟をつくらねばならないため、
岩波文庫のなかの『歎異抄』(親鸞・述)を買ってきて、
音読しました。・・・・
『歎異抄』の行間のひびきに、信とは何かということを、
黙示されたような思いがしました。
むろん、信には至りませんでしたが、
いざとなって狼狽することがないような自分を
つくろうとする作業に、多少の役に立ったような気がしています。」
(p39~40・「学生時代の私の読書」)
うん。次に引用したいのはここ。
「1992年3月5日、コロンビア大学のドナルド・キーン
日本文化研究センターでの講演」
題名は「日本仏教小論ーー伝来から親鸞まで」。
そのはじまりの方にこうあります。
「日本仏教を語るについての私の資格は、
むろん僧侶ではなく、信者であるということだけです。
不熱心な信者で、死に臨んでは、伝統的な仏教儀式を
拒否しようとおもっている信者です。
プロテスタンティズムにおける無教会派の信徒と
おもって頂いていいとおもっています。
ただ私の家系は、いわゆる『播州門徒』でした。
いまの兵庫県です。17世紀以来、数百年、
熱心な浄土真宗の信者で、蚊も殺すな、
ハエも殺すな、ただし蚊やりはかまわない。
蚊が自分の意志で自殺しにくるのだから。
ともかくも、播州門徒の末裔であるということも、
私がここに立っている資格の一つかもしれません。」
(p261)
「虹滅(こうめつ)の文学―――足立巻一氏を悼む」
という追悼文もこの本にはあります。
そのはじめの方からも引用。
「・・・手まわしよく自分の戒名まで用意していた。
『釈亭川』というわずか三文字の名である。
清雅なものであった。
戒名における院号や院殿号は江戸時代の大名に擬した
売買用の戒名で、日本の仏教界の俗風を象徴している。
むかしはふつう戒名はこのようで、二字に
釈迦の弟子という意味から、釈という一字がつく。
とくに浄土真宗はそうであった。足立家は、その門徒である。
しかしながら葬儀は、故人がすきだった須磨寺でおこなわれた。
須磨寺は真言密教で、霊前に、空海が秘経としていた理趣経が
唱誦された。・・・」(p493)
おかしいのは
「井伏さんのこと」という短文でした。
東京の青山斎場でのこと。最初の方を引用。
「・・かぞえると、三度になる。
三度とも、井伏さんがおられた。
三度目には、井伏さんのほうがたまりかね、
微妙に体をよじらせて、
『あなたとは、いつもここで会いますね』
といわれた。斎場の控え室でだけ会う男などというと、
私も井伏文学の登場人物になったような気がしないでもない。」
(p485)
「以下、無用なことながら」は、
宗教の観点から再読してみると、
無用ではない仏教の話が聞ける、
貴重な一冊となっていて有難い。