和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

松田道雄の京都本3冊。

2019-05-07 | 地域
松田道雄の京都本3冊。

「今日の町かどから」(朝日新聞社)
「花洛小景」(筑摩書房)
「明治大正京都追憶」(岩波同時代ライブラリー)

はい。手頃なお薦めは、
「明治大正京都追憶」で、これは
岩波新書「花洛」の改題として出ております。
こちらは、桑野博利さんの挿絵で、
その子供たちなどの人物描写も楽しめる一冊。

「花洛小景」は「松田道雄の本」全16冊の
14巻目でした。この巻が最終配本らしく、
巻末に「年譜」がそえられております。

松田道雄の京都本3冊。ここでは、
「『花洛小景』によせて」と題するあとがきを引用。

「この巻には昭和35年から昭和47年にわたって
京都新聞の夕刊に月1回のわりでかいた・・・
京都新聞は戦前は日出新聞といって、明治18年以来の
『郷土紙』である。・・・たのまれたときから、
なるべく京都にかかわりのあることをかこうとつとめた。」

なかごろを引用。

「『花洛小景』の文章はどれも、京都の街にすんで
いられない方には、たいして意味のあることでない
かもしれない。だが、京都に70年以上すんでいる私には、
全体をよみかえして、やはり自分は京都が好きなのだ
なあという思いをふかくする。
・・・私には生活上必要なことであった。
父も母も東国の人間で、生後半年の私をつれて、
死ぬまで京都に定住はしたものの、成年期までに
しみついてしまった東国の人間の生き方は、
とうとうぬけることがなかった。
ことばも京都のことばは使わなかった。
日常のことごとに京都の人の生き方になじめない
ものを感じていた。父と母とには、それが
日本人の土地それぞれの生き方であるとは思えず、
すべて東国の人間の人情を標準にしてみていた。
子どもの私たちにも人情において欠けてはならぬと、
おしえつづけた。
・・・が、京都の中で開業医として生活し、
京都の女と結婚して別の家をもつとなると、
それでは無理だった。生活のため、家の平和のため、
私は京都に適応せねばならなかった。
京都への求愛をつづけて、とうとう
京都が好きになったというのが、いまの状態である。
『花洛小景』の、京都に住まない方には
どうでもいいような話も、京都への求愛
としてよんでいただきたい。」
(p227~228)

はい、京都への求愛を、読めるたのしみ(笑)。
それが、そんじょそこらの京都ガイドとは、
異なる、松田道雄の京都本3冊。
コメント
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