和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

東京は見物じゃ。

2019-05-18 | 本棚並べ
宮本常一著「私の日本地図14 京都」(未来社)。
これは、宮本常一著作集別集「私の日本地図 全15巻」
そのなかの一冊。

最初は「三十三間堂」からはじまっております。
1965年の三十三間堂南大門の写真があり、
その下に、こんな言葉があります。

「お上りさんにとって京都の町は、
有難い神や仏の世界であり、
『京都へ行く』とはいわないで、
『京都参り』といったものである。」

ふ~ん。京都へ行こう。
と言った時点で、「有難い神や仏の世界」は
もう眼中になくなっているのでしょうか?

その7ページ目に「関東人の京参り」という
小見出しがありますので、引用しておきます。

「それについて私にはひとつの思い出がある。
昭和21年(1946)であったと思うが、
東海道線湯河原駅の近くに鍛冶屋という在所があり、
そこへいったことがある。

ムラの70歳から上の老人たち七、八人に
集まってもらって話をきいたのだが、その折、
どこまで旅をしたかについてきいてみると、
『京は京参りといって必ず参ったものだ』という。
たいていは伊勢参りを掛けた旅であった。

さて東京は、ときいてみると、
『ハァ江戸かね、江戸は見物じゃ。
江戸へはまだ行ったことがないね』
という老人がほとんどであった。

江戸が東京になって80年もったいるのに、
感覚的にはまだ江戸としてうけとめている。
そしてその江戸へは、いったことがないという。
それで私はこの話を何回も方々で話してみた。
関東平野に住む者でも、これに近い感覚を
持っていた百姓の老人は少なくなかった。

つまり、日本の一般民衆は意外なほど
京都を聖なる地として強く印象していたのである。」


はい。還暦過ぎの京都参りをすると、
あれこれ、視点が深まってゆきます。

コメント
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