本棚から
梅棹忠夫・鶴見俊輔・河合隼雄の鼎談本
「丁丁発止」(かもがわ出版・1998年)を持ってくる。
鶴見俊輔いわく。
「エッセーというのは
自分のアイデアを置いて、
論争点をつくる方法です。」
(p99)
こんな、言葉がさりげなくあり、
私など、考え込んでしまう(笑)。
それはそうと、この鼎談で柳田国男が
出てくる箇所があり、引用したくなる。
途中からですが、私には気になる箇所。
梅棹】 事実、柳田さんの書いたものは
ほとんど英訳されていないと思いますよ。
鶴見】 そう。それはね、
梅棹さんの問題になるんだけども、
言葉ぐせの問題になるんだね。言葉遣いの問題ね。
柳田国男の文章は、
私はアメリカで教育を受けたから
初めは読むのが非常に困難だった。
というのは、
私が勉強したやり方というのは、
必ず抽象名詞に集約して、
コンデンスして覚えるんです。
抽象名詞として把握して記憶に繰り入れる。
ところが柳田国男は抽象名詞で止めない。
ある状況でこういうことが起こった、という話なんだ。
そこで重大なのは状況であり、動詞であり、形容詞なんだ。
柳田国男に話を聞いたことがあるんだけど、
日本の学問用語をどうするかというと、
動詞と形容詞をもっと活用しなければならないと言うんだ。
たとえば『すっとこめかして、どこに行くのか』の
『すっとこめかして』という語感を
どういうふうにして日本の学術語のなかに生かすか。
そういうことが柳田国男の問題なんだ。
柳田国男を読んでいて重大なのは、
そういうところにある。
あるところで、雨が降ってるのに
急がないで歩いている人がいたから、
『どうしたのか』と言ったら、
『向こうも降っとる』って答えたと言うんだね。
だから、急いでもしょうがないんだ(笑)。
重大なのは、そういうエピソードなんだ。
そういうものによって、柳田国男は記憶していて、
柳田国男の世界が展開するわけですね。
だから、現代ヨーロッパの学術語とちがうんですよ。
そういうところからの話なんだね。
・・・・(p71~72)
さてっと、柳田国男を読んでいない(笑)。
柳田国男の本を前にして、
『こんなん読まな損やで』と言われているような。
梅棹忠夫・鶴見俊輔・河合隼雄の鼎談本
「丁丁発止」(かもがわ出版・1998年)を持ってくる。
鶴見俊輔いわく。
「エッセーというのは
自分のアイデアを置いて、
論争点をつくる方法です。」
(p99)
こんな、言葉がさりげなくあり、
私など、考え込んでしまう(笑)。
それはそうと、この鼎談で柳田国男が
出てくる箇所があり、引用したくなる。
途中からですが、私には気になる箇所。
梅棹】 事実、柳田さんの書いたものは
ほとんど英訳されていないと思いますよ。
鶴見】 そう。それはね、
梅棹さんの問題になるんだけども、
言葉ぐせの問題になるんだね。言葉遣いの問題ね。
柳田国男の文章は、
私はアメリカで教育を受けたから
初めは読むのが非常に困難だった。
というのは、
私が勉強したやり方というのは、
必ず抽象名詞に集約して、
コンデンスして覚えるんです。
抽象名詞として把握して記憶に繰り入れる。
ところが柳田国男は抽象名詞で止めない。
ある状況でこういうことが起こった、という話なんだ。
そこで重大なのは状況であり、動詞であり、形容詞なんだ。
柳田国男に話を聞いたことがあるんだけど、
日本の学問用語をどうするかというと、
動詞と形容詞をもっと活用しなければならないと言うんだ。
たとえば『すっとこめかして、どこに行くのか』の
『すっとこめかして』という語感を
どういうふうにして日本の学術語のなかに生かすか。
そういうことが柳田国男の問題なんだ。
柳田国男を読んでいて重大なのは、
そういうところにある。
あるところで、雨が降ってるのに
急がないで歩いている人がいたから、
『どうしたのか』と言ったら、
『向こうも降っとる』って答えたと言うんだね。
だから、急いでもしょうがないんだ(笑)。
重大なのは、そういうエピソードなんだ。
そういうものによって、柳田国男は記憶していて、
柳田国男の世界が展開するわけですね。
だから、現代ヨーロッパの学術語とちがうんですよ。
そういうところからの話なんだね。
・・・・(p71~72)
さてっと、柳田国男を読んでいない(笑)。
柳田国男の本を前にして、
『こんなん読まな損やで』と言われているような。