和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

東京風のことば。

2019-05-20 | 本棚並べ
梅棹忠夫著作集17巻の月報に、
寿岳章子さんの文があり、気になり、
寿岳章子著「暮らしの京ことば」(朝日選書)を
古本で注文。
山形県小白川町の「古書 紅花書房」へ
注文したところ、クロネコDM便で昨日届く。
宛名はサインペンによる手書き。有難い(笑)。

なんと、「山形の酒蔵」というパンフレットを
二つ折りにしてその中に本をはさんで送ってくれる。
山形県の53の酒蔵を紹介していて、年間イベントも、
そのパンフレットで紹介されているので、
捨てるわけにもいかない(笑)。


こういう楽しみは、ありがたい。
さてっと、届いた「暮らしの京ことば」を
さっそくパラリとひらけば、
第17巻の月報の文と同じ個所が
くわしく書かれており、こちらもありがたい。

う~ん。ここなど引用しておこう。

「・・この種の座談会などで、どうして誰もが
東京風のことばで話さなくてはならないのか
ということについての、つよい疑惑を常日頃から
持っておられるらしい。それぞれの持ち前のことば
で話す方が、ずっと身を入れて話せると信じておられる。

いったいに京都大学の人文科学研究所の人たちには、
そうした考え方を持つ人が多いように思える。
その総大将は、桑原武夫氏であろう。

私は以前、
桑原、梅棹2氏とともにある座談会に出たことがある。
お正月ののんきな番組で、思いつくままの好きなことを
次から次へと、際限もなく話をしあったのが、
出席者としてはとてもうれしかった。
それはラジオで全国放送された。聞いている人にとっては、
私たちがかなり京都弁で述べたてながら機嫌よくしゃべり
まくっているのが果たしてよかったか、
あるいは耳障りであったか。

しかし、私たちが話したことの内容は、
やはり京都ことばの濃厚な語り口において
はじめて効を発するようなものであったように私は思う。
そしてそのときのお二方が、どちらかと言えば
臆面もなくゆうゆうと京都ことばで話されるのを、
とてもたのしいと思った。・・・」(p28~29)

うん。梅棹忠夫といえば、
「知的生産の技術」しか、知らずに育った当方としては
これは、これは刺激的な入門となりました。

はい。ここからなら、スラスラと、
梅棹忠夫著作集を読みはじめられそう。
そんな、切り口に出会えた気がします。

わたしは、座談会とか鼎談とかを
読むのが、小説を読むよりも好きです。
好きなんですが、京都ことばを取り除いた、
座談は、炭酸が抜けてしまった、炭酸飲料を
飲んでいたような気がしてくるじゃありませんか(笑)。

たとえば、梅棹忠夫とか桑原武夫の対談集を
東京言葉風に読みかえてしまっていたのかもしれない。
そう思うと、いったい対談で何を読んでいたのやら、
心もとなくなってくる気がしてきます。

という風な収穫がありました。
そういえば、梅棹忠夫著作集18巻には
「第二標準語論」という文も含まれております。

そういう視点からならば、私には、
梅棹忠夫著作集の16巻以降の巻が、
がぜん興味を抱かせられるのです。


コメント
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