そういえば、武満徹の音楽の中にも京都があった。
ということで、
本棚からとりだしたのは、
吉田直哉著「まなこつむれば・・・・・」(筑摩書房)。
この本の最終章は、「レクイエム」。
その最終章最後は、「武満さんの先駆的な旅」でした。
そこから、引用。
「彼、武満徹にはじめて会ったのは昭和29年、1954年である。
私はNHKに入局二年目の新人で、放送三十周年特集に提案した
『音の四季』という企画が通ったので、その作曲を頼みに・・・」
「そもそも『音の四季』というのは何でもない音を主役に
しようとするラジオの企画だった。日本の現実音を春夏秋冬に分け、
何がどうしたときの音であるというようなことばによる解説はいっさい
入れず、四季それぞれを主題とする音楽と共に感覚的に四章に構成する、
というのが趣旨だったのである。」
さて、武満徹が登場する箇所を引用してみます。
「『音の四季』の録音素材を聴いているときに彼(武満)が、
京都の大原女の、
『花いりまへんかあ、きょうはお花どうどすやろ、
花いりまへんかあ、・・・きょうはお花置いときまひょか、
お花どうどすう、きょうはお花よろしおすか、花いりまへんかあ』
と売り歩く、老若ふたりの掛け合いの声に
こっちが驚くほど感動したことがあった。
『すごい! まるでドビュッシィーだ』
と言ったのだ。しかもつづけて、
『驚いたなあ。ガメランそっくりだ。だからドビュッシィーにきこえるんだな』
と言う。ききとがめると、ドビュッシィーは
インドネシアのガメランを熱心に研究した唯一の作曲家だ、
彼が西欧の限界を超えた秘密の一つはそこにあると思う、
といつもの、自分にきかすような声で教えてくれたのである。
・・・・・
大原女とドビュッシィーとガメラン。
―――あまりにも脈絡に欠けるので、
何が共通項なのかときくと、
『同時に異なる時間が流れている。
時間の重層性、多層性というのかな。
いまの音楽にはこれが全くないんですよ』
という答えであった。・・・」
(p252~257)
京都と花といえば、
六角堂が思い浮かぶので引用。
宮本常一著「私の日本地図14 京都」(未来社)。
ここに、京都の六角堂の話がでてきます。
「この寺の二十世の住持専慶は山野を
あるいて立花(りつか)を愛し、
立花の秘密を本尊から霊夢によって授けられ、
二六世専順はその奥義をきわめた。
堂のほとりに池があったので、
この流派を池坊とよび、
足利義政から華道家元の号を与えられたという。
すなわち立花の池坊はこの寺からおこったのである。
もともと仏前への供花から花道は発展して
いったもののようで、とくに七月七日の七夕には
星に花を供える儀式が鎌倉時代からおこり、
室町の頃から隆盛をきわめ、
『都名所図会』には『都鄙の門人万丈に集り、
立花の工をあらわすなり、見物の諸人、群をなせり』
とある。このように立花は後には次第に
人がこれを見てたのしむようになってきたのである。」
(p118~119)
はい。
武満徹が聞く大原女。
宮本常一が指摘する、
仏前への供花と池坊。
う~ん。京都という世界では
『同時に異なる時間が流れている』
そういう流れを、思いえがきます。
ということで、
本棚からとりだしたのは、
吉田直哉著「まなこつむれば・・・・・」(筑摩書房)。
この本の最終章は、「レクイエム」。
その最終章最後は、「武満さんの先駆的な旅」でした。
そこから、引用。
「彼、武満徹にはじめて会ったのは昭和29年、1954年である。
私はNHKに入局二年目の新人で、放送三十周年特集に提案した
『音の四季』という企画が通ったので、その作曲を頼みに・・・」
「そもそも『音の四季』というのは何でもない音を主役に
しようとするラジオの企画だった。日本の現実音を春夏秋冬に分け、
何がどうしたときの音であるというようなことばによる解説はいっさい
入れず、四季それぞれを主題とする音楽と共に感覚的に四章に構成する、
というのが趣旨だったのである。」
さて、武満徹が登場する箇所を引用してみます。
「『音の四季』の録音素材を聴いているときに彼(武満)が、
京都の大原女の、
『花いりまへんかあ、きょうはお花どうどすやろ、
花いりまへんかあ、・・・きょうはお花置いときまひょか、
お花どうどすう、きょうはお花よろしおすか、花いりまへんかあ』
と売り歩く、老若ふたりの掛け合いの声に
こっちが驚くほど感動したことがあった。
『すごい! まるでドビュッシィーだ』
と言ったのだ。しかもつづけて、
『驚いたなあ。ガメランそっくりだ。だからドビュッシィーにきこえるんだな』
と言う。ききとがめると、ドビュッシィーは
インドネシアのガメランを熱心に研究した唯一の作曲家だ、
彼が西欧の限界を超えた秘密の一つはそこにあると思う、
といつもの、自分にきかすような声で教えてくれたのである。
・・・・・
大原女とドビュッシィーとガメラン。
―――あまりにも脈絡に欠けるので、
何が共通項なのかときくと、
『同時に異なる時間が流れている。
時間の重層性、多層性というのかな。
いまの音楽にはこれが全くないんですよ』
という答えであった。・・・」
(p252~257)
京都と花といえば、
六角堂が思い浮かぶので引用。
宮本常一著「私の日本地図14 京都」(未来社)。
ここに、京都の六角堂の話がでてきます。
「この寺の二十世の住持専慶は山野を
あるいて立花(りつか)を愛し、
立花の秘密を本尊から霊夢によって授けられ、
二六世専順はその奥義をきわめた。
堂のほとりに池があったので、
この流派を池坊とよび、
足利義政から華道家元の号を与えられたという。
すなわち立花の池坊はこの寺からおこったのである。
もともと仏前への供花から花道は発展して
いったもののようで、とくに七月七日の七夕には
星に花を供える儀式が鎌倉時代からおこり、
室町の頃から隆盛をきわめ、
『都名所図会』には『都鄙の門人万丈に集り、
立花の工をあらわすなり、見物の諸人、群をなせり』
とある。このように立花は後には次第に
人がこれを見てたのしむようになってきたのである。」
(p118~119)
はい。
武満徹が聞く大原女。
宮本常一が指摘する、
仏前への供花と池坊。
う~ん。京都という世界では
『同時に異なる時間が流れている』
そういう流れを、思いえがきます。