中西進・磯田道史「災害と生きる日本人」(潮新書)に
中西】 私は小中学生を対象に万葉集の出張授業を
してまして、その様子を『中西進の万葉みらい塾』
という本にもまとめました。・・(p61)
こうあったので、さっそく『中西進の万葉みらい塾』
を買って読んだのでした(笑)。
『みらい塾』を読んでいると、磯田道史氏との
この対談のことが思い浮んでくる。
たとえば、『・・みらい塾』の
この箇所などを引用してみます。
持統天皇のお歌
神山に たなびく雲の 青雲(あおぐも)の
星離れ行き 月を離れて
これから、中西氏は『青雲』について
(途中から引用しますが)、
B君に答えながら、こう語っています。
B君】 雲らしくない雲。
中西】 そう。空かもしれない、雲かもしれない、
そういう雲です。はっきりと雲といえない雲、
空かもしれないと思うような雲ということになりますね。
だから青い雲というのは、ずーっと遠くの雲のことです。
人間が大きな志を持つことを『〇〇の志』というじゃないですか。
Cさん】 青雲(せいうん)の志・・・?
中西】 そう、青雲の志。未来や遠くを望む気持ちのことです。
今、何か食べたいなとか・・・そんなのじゃなくて、
大きくなったらどういう仕事をしてやろうかとか、
たとえば、地球上から戦争をなくすような運動をしてやるとか。
大きいでしょう。そういうことを青雲の志という。
歌とは直接ではないけれども、青雲の志が人間にとって、
特に若いみなさんにとって大事だってこと。
これも一つ覚えましょう。
さてそのつぎ、遠くのほうの青々とした雲の中に、
その中に何かが行っちゃった。
何が行っちゃったのか?
Dさん】 ・・・魂。
中西】 そうだ。星からも離れ、月からも遠ざかって、
ずっと遠くへ行っちゃった。だれの魂だろう。
・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・
ところでみなさんに聞きます。残念ながら、
おじいちゃんやおばあちゃんが亡くなった人、いますか?
( 数人の手が挙がりました )
そのおじいちゃん、おばあちゃんは今、
どこにいるんだろう?
Hさん】 星。
Iさん】 ・・・わからない。
中西】 うん、おばあちゃまは星になってる。
そうかもしれない。星になってね、ずっと遠くで
キラキラ輝きながら、君を見てるかもしれない。
お墓にいるという人もいるね。
風になったという人もある。
『草葉の陰(くさばのかげ)にいる』
というのを聞いたことありますか?
亡くなって、どこにいるか姿は見えない。
けれども、いろんな考え方ができる。
そして、この歌の作者の持統天皇は、
大好きだっただんなさん、天武天皇の魂が
遠い空の彼方に行ったんだっていっています。
こういう考え方も一つできますね。
死んだ人がどこへ行くか、だれ一人知らない。
けれども、ずっと遠くへ行くんだと考えると
世界が広がりませんか? (p225)
こういうのを読むと、
磯田道史との対談に、そういえば、
という箇所があるのを思い浮かべます。
ということで、対談から引用。
磯田】よく『草葉の陰から見ている』と言いますよね。
『草葉の陰思想』とは、そもそも何なのかと考えこむ
ことがあります。死んだ人間は、もう現世を見ることは
できないはずですよね。なのにまわりの大人は、
亡くなったおじいちゃんやおばあちゃん、
死んでしまった友人知人の思い出話をするときに
『草葉の陰でどう思っているのかね』なんて、
噂話をする。
小さいころ『草葉の陰から見ている』と言われたあと、
死んだ人が草葉の陰からこっちを見ているような気がして、
一人で草むらを何度も、じっと見た覚えがあります。
中西】そういう意味深な言葉を幼いころに聞くと、
耳朶にこびりついて大人になって忘れられないものです。
『草葉の陰から見ている』という言い方は、
『だから悪いことは絶対にしてはいけない。
オマエが何をしているか、死者がどこかで
見ているのだからね』という戒めとして使われてきました。
『夢のお告げ』という言葉も
『草葉の陰から見ている』と似ていませんか。
異常体験をしたり、悪夢でうなされたときに、
日本では『神様が教えてくれるお告げだ』ととらえます。
『草葉の陰から見ている』とか『夢のお告げ』という
考え方は、古代から日本でずっと温存されてきたのでしょう。
(~p98)
この他にも、鳥の話とか、ウソの話とか、
『中西進の万葉みらい塾』を読んでいると、
そのまま『令和の宴』が続いてゆくような、
子どもたちから磯田道史さんへとバトンが、
渡されて宴たけなわとなっているような(笑)、
そんな楽しい読書となりました。
中西】 私は小中学生を対象に万葉集の出張授業を
してまして、その様子を『中西進の万葉みらい塾』
という本にもまとめました。・・(p61)
こうあったので、さっそく『中西進の万葉みらい塾』
を買って読んだのでした(笑)。
『みらい塾』を読んでいると、磯田道史氏との
この対談のことが思い浮んでくる。
たとえば、『・・みらい塾』の
この箇所などを引用してみます。
持統天皇のお歌
神山に たなびく雲の 青雲(あおぐも)の
星離れ行き 月を離れて
これから、中西氏は『青雲』について
(途中から引用しますが)、
B君に答えながら、こう語っています。
B君】 雲らしくない雲。
中西】 そう。空かもしれない、雲かもしれない、
そういう雲です。はっきりと雲といえない雲、
空かもしれないと思うような雲ということになりますね。
だから青い雲というのは、ずーっと遠くの雲のことです。
人間が大きな志を持つことを『〇〇の志』というじゃないですか。
Cさん】 青雲(せいうん)の志・・・?
中西】 そう、青雲の志。未来や遠くを望む気持ちのことです。
今、何か食べたいなとか・・・そんなのじゃなくて、
大きくなったらどういう仕事をしてやろうかとか、
たとえば、地球上から戦争をなくすような運動をしてやるとか。
大きいでしょう。そういうことを青雲の志という。
歌とは直接ではないけれども、青雲の志が人間にとって、
特に若いみなさんにとって大事だってこと。
これも一つ覚えましょう。
さてそのつぎ、遠くのほうの青々とした雲の中に、
その中に何かが行っちゃった。
何が行っちゃったのか?
Dさん】 ・・・魂。
中西】 そうだ。星からも離れ、月からも遠ざかって、
ずっと遠くへ行っちゃった。だれの魂だろう。
・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・
ところでみなさんに聞きます。残念ながら、
おじいちゃんやおばあちゃんが亡くなった人、いますか?
( 数人の手が挙がりました )
そのおじいちゃん、おばあちゃんは今、
どこにいるんだろう?
Hさん】 星。
Iさん】 ・・・わからない。
中西】 うん、おばあちゃまは星になってる。
そうかもしれない。星になってね、ずっと遠くで
キラキラ輝きながら、君を見てるかもしれない。
お墓にいるという人もいるね。
風になったという人もある。
『草葉の陰(くさばのかげ)にいる』
というのを聞いたことありますか?
亡くなって、どこにいるか姿は見えない。
けれども、いろんな考え方ができる。
そして、この歌の作者の持統天皇は、
大好きだっただんなさん、天武天皇の魂が
遠い空の彼方に行ったんだっていっています。
こういう考え方も一つできますね。
死んだ人がどこへ行くか、だれ一人知らない。
けれども、ずっと遠くへ行くんだと考えると
世界が広がりませんか? (p225)
こういうのを読むと、
磯田道史との対談に、そういえば、
という箇所があるのを思い浮かべます。
ということで、対談から引用。
磯田】よく『草葉の陰から見ている』と言いますよね。
『草葉の陰思想』とは、そもそも何なのかと考えこむ
ことがあります。死んだ人間は、もう現世を見ることは
できないはずですよね。なのにまわりの大人は、
亡くなったおじいちゃんやおばあちゃん、
死んでしまった友人知人の思い出話をするときに
『草葉の陰でどう思っているのかね』なんて、
噂話をする。
小さいころ『草葉の陰から見ている』と言われたあと、
死んだ人が草葉の陰からこっちを見ているような気がして、
一人で草むらを何度も、じっと見た覚えがあります。
中西】そういう意味深な言葉を幼いころに聞くと、
耳朶にこびりついて大人になって忘れられないものです。
『草葉の陰から見ている』という言い方は、
『だから悪いことは絶対にしてはいけない。
オマエが何をしているか、死者がどこかで
見ているのだからね』という戒めとして使われてきました。
『夢のお告げ』という言葉も
『草葉の陰から見ている』と似ていませんか。
異常体験をしたり、悪夢でうなされたときに、
日本では『神様が教えてくれるお告げだ』ととらえます。
『草葉の陰から見ている』とか『夢のお告げ』という
考え方は、古代から日本でずっと温存されてきたのでしょう。
(~p98)
この他にも、鳥の話とか、ウソの話とか、
『中西進の万葉みらい塾』を読んでいると、
そのまま『令和の宴』が続いてゆくような、
子どもたちから磯田道史さんへとバトンが、
渡されて宴たけなわとなっているような(笑)、
そんな楽しい読書となりました。