梅棹忠夫編著「日本の未来へ」(NHK出版)の
副題は「司馬遼太郎との対話」。
この本は、梅棹忠夫氏より先に亡くなった
司馬さんに捧げられた結構な一冊でした。
すっかり忘れていたのを、本棚から出してくる。
まえがきは、こうはじまります。
「司馬遼太郎はわたしの30年来の友人である。
かれとは、たびたびともに飲み、ともにかたりあった。
そのこころよい記憶をわたしはおもいかえして
たのしんでいる。・・・」
最初は、司馬さんからの手紙でした。
手紙の前の梅棹氏の解説は、こうはじまります。
「1986年3月11日、わたしは突然に
両眼の視力をうしなって・・視力は回復せぬままに、
10月5日に退院した。まもなく、10月27日づけで
司馬遼太郎から手紙をもらった。・・」
とあり、そのあとに手紙が載せてあります。
ここでは、途中を引用。
「・・目のことばかりは、
なぐさめようもありません。
ただ湯浅叡子さんから、
『新しい思想が、ふきだすように
芽生えてきていらっしゃるように思えます』
ということをきき、せめてものうれしさを
覚えました。・・・』
・・・・
小生も、自分が失明したときのことを考えています。
・・・・」
手紙のつぎには、「梅棹忠夫著作集」が1989年より
刊行が開始され、内容見本を司馬遼太郎が書いており、
その文が掲載されておりました。
内容見本は短い文ですが、その最後の2行だけ引用。
「梅棹は、学問と思想のあいだを時々刻々に往復してきた。
このような思想家を、私どもが生きている時代に得た
というのは、大きな幸福の一つである。」
副題は「司馬遼太郎との対話」。
この本は、梅棹忠夫氏より先に亡くなった
司馬さんに捧げられた結構な一冊でした。
すっかり忘れていたのを、本棚から出してくる。
まえがきは、こうはじまります。
「司馬遼太郎はわたしの30年来の友人である。
かれとは、たびたびともに飲み、ともにかたりあった。
そのこころよい記憶をわたしはおもいかえして
たのしんでいる。・・・」
最初は、司馬さんからの手紙でした。
手紙の前の梅棹氏の解説は、こうはじまります。
「1986年3月11日、わたしは突然に
両眼の視力をうしなって・・視力は回復せぬままに、
10月5日に退院した。まもなく、10月27日づけで
司馬遼太郎から手紙をもらった。・・」
とあり、そのあとに手紙が載せてあります。
ここでは、途中を引用。
「・・目のことばかりは、
なぐさめようもありません。
ただ湯浅叡子さんから、
『新しい思想が、ふきだすように
芽生えてきていらっしゃるように思えます』
ということをきき、せめてものうれしさを
覚えました。・・・』
・・・・
小生も、自分が失明したときのことを考えています。
・・・・」
手紙のつぎには、「梅棹忠夫著作集」が1989年より
刊行が開始され、内容見本を司馬遼太郎が書いており、
その文が掲載されておりました。
内容見本は短い文ですが、その最後の2行だけ引用。
「梅棹は、学問と思想のあいだを時々刻々に往復してきた。
このような思想家を、私どもが生きている時代に得た
というのは、大きな幸福の一つである。」