和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

京都人は婉曲法が大好きだ。

2019-05-30 | 本棚並べ
寿岳章子著「暮らしの京ことば」(朝日選書・1979年)。

読みはじめると、興味が尽きない。
それも「京ことば」への興味から。

古典の、守備範囲もひろい。
全部は紹介しきれないので、
ここでは、すこしだけ引用。

「もともと京都の人たちには、
次のようなことばについての
意識があると言われる。すなわち、
いわば内側の京都ことばとしては、廓のことば、
そして西陣に代表されるような商家筋のことば、
それから、外から京へ野菜や花などを売りに入って来る
人びとの、もう一つ外の京ことば。
丹波の人のことばは、それよりもっと遠いことばの世界で
であった・・・」(p65~66)

こんな何でもないことも指摘されないと
お上りさんには、わかりません。

さてっと、次は、ここを引用。

「京都人は婉曲法が大好きだ。
率直にずばりということはなかなか好まれない。
 ・・・・
京都は、最短距離をゆかないで、わざわざ
遠回りをしてゴールに到達するのである。
まっ直ぐにゆくことは、一見合理的に見えるが、
京都の人にはそうではないのだ。
まわり道の方に人生の味わいがあるということを、
京都の人びとは身につけてしまているのではないか。
誰をも傷つけないうちに、うまく言いおさめてしまう
一種の言語技術と言ってよい。
  ・・・・
絶対に、『おことわりします』というような返答を
言いあって暮していないのが京都人の特色である。」
(p119~120)


この例として
松田道雄氏の新聞エッセイを引用しております。


「京都文化というものは、
結局遠まわし文化とでも言いたいところである。
直接に荒々しく突き当たらない生活の、一種の
美学とでも言いたいところである。

松田道雄氏はある日の『毎日新聞』に大要次のような
ことを書いておられた。あるとき、氏はこどもが輪に
なっているところを通りかかった。
その遊んでいるこどもたちの中に餓鬼大将がいて、
自分がわり込もうとして、『どきな』と言っている。

松田氏の耳にはそれがぐっとこたえた。
京都のこどもはそんなことば遣いはしなかったものなのに、
そのやんちゃな男の子は、おそらく、テレビでそのような
ことばを覚えたのであろうと氏は推測される。
昔のこどもなら、『ちょっとのいてえな』とも言えず、
『見せとくれやす』とか『見せてえ』と言ったに違いない
とその頃のことをなつかしんでおられた。
こどもたちのことばも、婉曲法で成り立っていると言える。
テレビとか劇画とかは、そんな、あたりの少ない、
やわらかいことばをどんどん追放してゆくのである。

考えてみれば、長い間息を潜めるようにして
行きぬいてきた京都人にとっては、これがまったく
生きやすいひとつの型であったかもしれない。
いろいろのところに気を遣い、どっちの転んでも
さし支えないような生き方を保障するには、
こうした遠まわしの生活技術そのものであった。
だからこそ、さまざまの政権交替を見、
それらを適当にあしらいながら生きつづけてきたのは、
こうした言いまわし、そしてそれをよしとする
精神構造のもとにおいてであった。
京都の人にとってはなくてはならぬ生活の、
あるいは言語生活のパタンであったと言えよう。」
(p130~131)

これを語るために、京ことばが、京暮らしを
踏み固めるようにしてバレエティよく採取されております。
そこも少し引用。

「西陣のその名もゆかしい山名町に生きる」
老婦人に話をうかがったり、

「京都は激しい政治風土でもある。」
として、激しい京ことばも、とりあげます。

さらに第二章は
「京都の人たちの『いけず』ということばには、
いわく言いがたい雰囲気がついてまわっている。」
とはじまり、天草本『平家物語』から引用したり、
狂言の『茫々頭(ぼうぼうがしら)』。
『伊勢物語』、『かげろふ日記』。
さらには、昭和52年の週刊誌に掲載された
沢田研二と加藤和彦の、故郷京都についての話の引用で
『いけず』の正体を見極めてゆく段取りなど、
ゆたかな『いけず』の世界を、垣間見させてもらえます。

京ことばの、まわり道の魅力。
ゆったりとした味わいの歓び。

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