和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

梅棹忠夫の京都。

2019-05-13 | 本棚並べ
梅棹忠夫著作集第17巻「京都文化論」。
巻末のコメント2は、森谷尅久氏の文。
そこで京都を評して、こんな箇所

「・・1960年代の前半までは・・・
残された文化資産を大いに活用しながら、
『京都』の健在を示し、早くも観光客
一千万人台を確保していた。
本や雑誌が売れなくなったら『京都特集』、
という出版界の神話が生まれだしたのも、
この前後のことである。・・」(p641)


さて、「梅棹忠夫の京都案内」。
まえがきは1987年に書かれおり。
その最後の方に、こうあります。

「・・・・じつは、わたしは昨年の三月以来、
両眼の視力を喪失して、自分ではよむことも、
かくこともできない状態にある。・・」

はい。そういう状態のなかで編纂されたのが、
「梅棹忠夫の京都案内」(角川選書)でした。

ちなみに、
最近の私は、本を読んでると文中に引用されてる本に
興味をもちます。そこで読みを中断し本をネット検索。
少しでも安ければ迷わず注文する癖がついております。
そういう者からすると、「梅棹忠夫の京都案内」では
ところどころ、章の最後に効果的な書評を載せていて、
これが、私などにとっては、まことにありがたい(笑)。


おそらく、両眼の視力を喪失しての
苦肉の策として、そういう章立てをしたのかも
しれないのですが、私などにはそれが有難い。
しかも、ちっとも、ポイントのブレがない。


梅棹忠夫氏が「両眼の視力を喪失」してから、
以前書かれた文をまとめ、この一冊を編纂したのですが、
どのような京都が、浮かび、焦点をむすんでいたのか?
あるいは、京都自体が、視力の喪失に拮抗するだけの
魅力で迫ってきたのかもしれない。そんなことまでも、
「まえがき」を読みなおしながら思い描けるよろこび。



こうして、京都の三部作

「梅棹忠夫の京都案内」
「京都の精神」
「日本三都論――東京・大阪・京都」

が順次刊行されて、最終的に、
著作集第17巻にまとめられてるのでした。

著作集「第17巻へのまえがき」を読むと、
その順番を梅棹忠夫自身が書かれている。

これが梅棹忠夫著作集第17巻の、
まえがきと巻末コメントでした。

視力喪失後に編まれた「京都」。






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