和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

あとでかくしてしまうので。

2019-08-03 | 本棚並べ
はい。めずらしく、
この一週間分の私のブログをひっくりかえすと、
7月28日(日曜日)から連続で、古本で届いた、
藤本ますみ著「知的生産者たちの現場」を
とりあげていたのでした(笑)。

うん。その「知的生産者たちの現場」は楽しかった。
一体、どうして楽しかったのかと思うわけです。

朝日新聞社の「桑原武夫全集」の第4巻「人間認識」。
その解説は、鶴見俊輔でした。解説のはじまりは、
こうなっておりました。


「学者の肖像として、桑原武夫の
 文章ほどおもしろいものを、私は知らない。

学術論文は、それをつくりだした心の動きを、
あとでかくしてしまうので、のこされた文書から、
それをつくった人にさかのぼってゆくことはむずかしい。
人間のほりおこしという点だけでくらべるとすれば、
文学史よりも学問史のほうがむずかしく、
作家論よりも学者論のほうがむずかしい。
・・・日本の学問の歴史は、
中国とヨーロッパの学術論文の翻案の歴史として
かたづけられてもよい側面をもっており、そのために、
学問をつくる人間、その個人としてまた集団としての
心の動きを描く仕事は、軽んじられて来た。しかし、
人間とその自発的な興味を媒介としなければ
日本の学問の歴史がなりたつわけがない。

いつマルクスが輸入されたとか、
いつウェーバーが輸入されたとかいう歴史とは別に、
学風の歴史が考えられなくてはならないだろう。
そういう問題をたてる時、桑原武夫の伝記的な作品は、
地図のない文化の領域を歩くための無上の杖となる。」

はい。「桑原武夫全集」の解説や月報を中心に
まとめた「桑原武夫伝習録」をつぎに丁寧に読んでみます。


それはそうと、
藤本ますみさんは1966年から1974年まで
梅棹忠夫研究室の秘書をしておられました。
その間の1969年に「知的生産の技術」は出ておりました。
ありがたい。たのしい一週間の読書となりました。

うん。これで終っては何をいっているのか?
わからなくなってしまいます。
桑原武夫について、河盛好蔵は「悦ばしき知識」
と題した短文を月報にかいておりました。
そこから引用。

「全く桑原君ほど豊富な知識を無造作に、
少しももったいぶらずに読者に大盤振舞してくれる
学者も珍しい。これは桑原君の知識の源泉が
きわめて水量が豊富で、常に滾々と湧き出して
いるからであろう。

桑原君の専門はフランス文学ということになっているが、
世間によく見られる、つまらない知識を守銭奴のように
こつこつと蓄めこんで、その利息で食っている所謂
専門家とは全く類を異にしている。・・・・・
なにもかもを洗いざらい人に示してその博学を誇示する
ことは彼の最も好まないところで、充分に吟味した
材料に庖丁の冴えを見せたものしか食膳に供さない。
したがって単なる知識しか求めない読者には、
彼の苦心のあと、もしくは彼の腕の冴えは
ともすれば見逃されやすいのである。・・・」

はい。今日で、一週間つづいた、藤本ますみさんの
「知的生産者たちの現場」からの引用はおしまい。
おしまいなので、最後にこの箇所をあらためて引用。

「原稿がなかなかすすまなくて困っているとき、
先生は苦笑しながら、こんなことをもらされた。
『ぼくの文章は、やさしい言葉でかいてあるから、
すらすら読めるし、わかりやすい。だから、かくときも
さらさらっとかけると思っている人がいるらしい。」
(p240)


コメント
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