和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

今西流の学問のすさまじさ。

2019-08-22 | 本棚並べ
加藤秀俊著「わが師わが友」を、あらためてひらくと、
こんな箇所があったのでした。

「もつべきものは友だち、とよくいわれる・・・
そのなかで、とくにありがたいとおもっているのは
このグループなのである。」(p91)

これは「社会人類学研究班」の章にあります。
そこから詳しく引用。

「この今西流の学問のすさまじさをわたしはその後、
社会人類学研究班に参加することで思い知らされた。
とにかく、この研究会の議論たるや、ものすごいのである。
梅棹さんや藤岡さんはもとよりのこと、川喜田二郎、
中尾佐助、伊谷純一郎、上山春平、岩田慶治、飯沼二郎、
和崎洋一といった論客がずらりと顔をそろえ、
わたしと同世代の人間としては、米山、谷、それに
佐々木高明、といった人びとがいた。このメンバーは、
それぞれ頑固としかいいようのないほど自己主張がつよく、
第三者がみると、喧嘩をしているのではないか、
としかおもえないほど議論は白熱した。

だが、この人びとにはひとつの共通した特性があった。
それは、現地調査に出かけた人物がもたらす一次的素材
に関しては、絶対的な信頼を置くということである。

一般に学者の議論というものは、書物で得た知識にもとづいた
ものであることが多い。・・・しかし、そういう論法は
この研究会ではいっさい通用しなかった。
トインビーいわく、といった俗物的引用をする人間がいると、
誰かが、それはトインビーが間違っとるのや、あのおっさんは
カンちがいしよるからな、と軽く否定するのであった。
そのかわり、フィールド経験は最高に信頼された。・・・」
(p88~89)

「この研究会についてひとつつけ加えておくべきことがある。
それは、この研究会のメンバーの多くが、京大学士山岳会、
および京大探検隊の出身者であった、ということだ
・・・・共同の作業は一糸乱れずにすすめてゆくが、
『人情』というものではいっさいうごかされない・・・
そんなふうに、きっちりとケジメがついているからこそ、
人間関係はかえってさわやかだった。研究会がおわると、
それまで顔面蒼白になって論戦をつづけていた二人の人物が、
肩をならべて酒を飲みに出かける、といった風景も日常的であった。

学問上の自説は曲げない、だが、人間としてのつきあいは別だ
―――そのことを、わたしはこの研究会の人びとから教えられたのである。
学問上の見解あるいはイデオロギーのちがいから、個人的な
怨恨関係をもつようになった、という事例をわたしはいくつも知っている。
いや、日本の学界では、そういうことのほうが多い。
だが、この研究会のメンバーのわかちあう哲学は、そうではなかった。
・・・このグループの人間的つながりは、こんにちにいたっても、
なお強力にのこっている。・・・・
それを象徴するかのように、毎年二月の末には、
今西先生を中心に『洛北セミナー』という、いわば研究会OB会
がひらかれる。OB会といっても、当時をなつかしむ式の宴会ではない。
こんにちもなお、このときのメンバーは、かつてとおなじような
学術討論に夜を徹するのが習慣になっているのだ。」
(p90~92)

うん。まだまだ続くのですが、キリがない(笑)。
このなかで、加藤秀俊氏は

「もつべきものは友だち、とよくいわれるし、
わたしはさいわいにしてよき友にめぐまれているけれども、
そのなかで、とくにありがたいとおもっているのは
このグループなのである。」(p91)

と念をおしているのでした。
コメント
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