加藤秀俊著「わが師わが友」のなかの、「社会人類学研究所」に
こんな箇所がありました。
「参加者のすべては、まえにみたように一家言をもっており、
めったに自説をゆずらなかったが、梅棹さんは、
のちに小松左京さんが命名した『白紙還元法』の名人であった。
つまり、はてしない議論がつづくなかで、
梅棹さんは突如として、それまでの議論がぜんぶまちがいである、
と論断し、すべてを白紙に戻して、梅棹見解で押しまくるのである。
そのうえ、梅棹さんのこの『白紙還元法』はタイミングがよかった。
通常、午後一時ころからはじまる研究会・・・・・・・
研究会に出てきても、しばしば、コックリと居眠りをなさる。
居眠りをなさりながらも、議論はきいている。だから始末がわるい。
われわれがくたびれ果て、さあ、このへんでおわりにしようか、
とおもいはじめる午後六時ごろ、梅棹さんは、にわかに目覚めて
『白紙還元法』をなさるのである。・・・・」(p89)
この箇所を読んで、思い浮かんだのは、
先頃読んだ、「座談・今西錦司の世界」(平凡社)。
それは、今西錦司を囲んでの12回の雑誌の連載座談会を
単行本にするにあたって、単行本の最後に解説にあたる鼎談。
そこに梅棹忠夫が加わっているのでした。
(はい。連載座談会のなかには、梅棹忠夫は加わっておりません)
鼎談は題して「今西錦司の世界を語る―――解説にかえて」。
この鼎談は司会進行・河合雅雄で、森下正明・梅棹忠夫の3人。
では、鼎談での梅棹さんの発言のさわりをじゅんをおって
ところどころ引用してゆきます。
梅棹】 ぼくはこのあいだの講談社の『今西錦司全集』の
解題の中では、『今西先生』と書いた。そしたら上山春平さんから
『きみはなんであんなことを書くねん。全然似合わへんで』
って言われて(笑)。
森下】あの『今西先生』と書いたのは、あんたえらく評判悪いのや。
梅棹】そのことね・・・・
やっぱり学問の世界では『今西先生』なんですよ。正直言うて
私は、この『アニマ』の連載座談会はその意味で大変気に入らない。
これは学問の話に傾き過ぎている。ヒマラヤやら山のことを語っている
ときでも、何かそういう傾きがある。・・・・
もう少し違う見方もたくさんあるのに、
どうもこの中には出てこなかった。
そういうことを私はひしひしと感じているね。
・・・私は一ぺんも今西さんの講義聞いたことない。
森下】それはぼくも、今西さんの講義なんて
一回も聞いたことない。
梅棹】それは弟子と違うんですよ。
河合】ぼくもないですね。
・・・・・・
河合】その違和感というのは・・・。
梅棹】まあ、たとえていうたら、
・・・・塾・・・
新しい、何か学校と違う接触があるんやね。
まあ、私らは今西塾で鍛えられてきたんや。
河合】なるほど
梅棹】私は正規の動物学の学生として入学した。
しかし、今西さんは、いわゆる正規の動物学の教授と違いますよ。
動物学教室にいやはったことは事実やけど、なんというかなあ。
あのとき・・無給講師や。月給あらへん。どっか変な隅っこに
いやはった。ぼくが入ったときは大津臨湖実験所にいやはったかな。
・・・・・
梅棹】それからもう一つ、この座談会の私の違和感をいえば、いろいろ
いきさつの話が出ますがね。今西さん自身からも語られているし、
ほかに加藤泰安、鈴木信、藤田和夫、川喜田二郎というような、
かなり年代の古い人からいろいろ語られていますけれども、
私、やっぱりどうも気に入らんことが多いんです。これは違うと・・・。
つまりそれは、あまりにもきれいに整理され過ぎていて、
今日的な立場だけから語られているような気がする。
歴史としては、やっぱりもう少し違った糸が何本も何本も
あったように思う。こういう座談会では
そういうものはなかなか出せないでしょうけれども、
これは日本の科学史にとって大変大事なことである。
あるいはもうちょっとぼくの気持からいうたら、
日本の、大きくいえば文化史にとってですよね。
あるいはインテレクチュアルというものの形成史というようなもの、
あるいは社会史というようなものを考えるときに、
大変意義のあることがいっぱいあるんだ。
そこのところが全部落ちて、ただの学問になってしまっている
というところが不満なんです。(~p360)
こうして、まずは「白紙還元」をしてから、
梅棹忠夫の見解を、展開してゆくのでした。
ここからが、鼎談の本題になるのですが、
わたしは、梅棹流「白紙還元法」の技術、
そのさわりの部分を紹介。ここまで(笑)。
こんな箇所がありました。
「参加者のすべては、まえにみたように一家言をもっており、
めったに自説をゆずらなかったが、梅棹さんは、
のちに小松左京さんが命名した『白紙還元法』の名人であった。
つまり、はてしない議論がつづくなかで、
梅棹さんは突如として、それまでの議論がぜんぶまちがいである、
と論断し、すべてを白紙に戻して、梅棹見解で押しまくるのである。
そのうえ、梅棹さんのこの『白紙還元法』はタイミングがよかった。
通常、午後一時ころからはじまる研究会・・・・・・・
研究会に出てきても、しばしば、コックリと居眠りをなさる。
居眠りをなさりながらも、議論はきいている。だから始末がわるい。
われわれがくたびれ果て、さあ、このへんでおわりにしようか、
とおもいはじめる午後六時ごろ、梅棹さんは、にわかに目覚めて
『白紙還元法』をなさるのである。・・・・」(p89)
この箇所を読んで、思い浮かんだのは、
先頃読んだ、「座談・今西錦司の世界」(平凡社)。
それは、今西錦司を囲んでの12回の雑誌の連載座談会を
単行本にするにあたって、単行本の最後に解説にあたる鼎談。
そこに梅棹忠夫が加わっているのでした。
(はい。連載座談会のなかには、梅棹忠夫は加わっておりません)
鼎談は題して「今西錦司の世界を語る―――解説にかえて」。
この鼎談は司会進行・河合雅雄で、森下正明・梅棹忠夫の3人。
では、鼎談での梅棹さんの発言のさわりをじゅんをおって
ところどころ引用してゆきます。
梅棹】 ぼくはこのあいだの講談社の『今西錦司全集』の
解題の中では、『今西先生』と書いた。そしたら上山春平さんから
『きみはなんであんなことを書くねん。全然似合わへんで』
って言われて(笑)。
森下】あの『今西先生』と書いたのは、あんたえらく評判悪いのや。
梅棹】そのことね・・・・
やっぱり学問の世界では『今西先生』なんですよ。正直言うて
私は、この『アニマ』の連載座談会はその意味で大変気に入らない。
これは学問の話に傾き過ぎている。ヒマラヤやら山のことを語っている
ときでも、何かそういう傾きがある。・・・・
もう少し違う見方もたくさんあるのに、
どうもこの中には出てこなかった。
そういうことを私はひしひしと感じているね。
・・・私は一ぺんも今西さんの講義聞いたことない。
森下】それはぼくも、今西さんの講義なんて
一回も聞いたことない。
梅棹】それは弟子と違うんですよ。
河合】ぼくもないですね。
・・・・・・
河合】その違和感というのは・・・。
梅棹】まあ、たとえていうたら、
・・・・塾・・・
新しい、何か学校と違う接触があるんやね。
まあ、私らは今西塾で鍛えられてきたんや。
河合】なるほど
梅棹】私は正規の動物学の学生として入学した。
しかし、今西さんは、いわゆる正規の動物学の教授と違いますよ。
動物学教室にいやはったことは事実やけど、なんというかなあ。
あのとき・・無給講師や。月給あらへん。どっか変な隅っこに
いやはった。ぼくが入ったときは大津臨湖実験所にいやはったかな。
・・・・・
梅棹】それからもう一つ、この座談会の私の違和感をいえば、いろいろ
いきさつの話が出ますがね。今西さん自身からも語られているし、
ほかに加藤泰安、鈴木信、藤田和夫、川喜田二郎というような、
かなり年代の古い人からいろいろ語られていますけれども、
私、やっぱりどうも気に入らんことが多いんです。これは違うと・・・。
つまりそれは、あまりにもきれいに整理され過ぎていて、
今日的な立場だけから語られているような気がする。
歴史としては、やっぱりもう少し違った糸が何本も何本も
あったように思う。こういう座談会では
そういうものはなかなか出せないでしょうけれども、
これは日本の科学史にとって大変大事なことである。
あるいはもうちょっとぼくの気持からいうたら、
日本の、大きくいえば文化史にとってですよね。
あるいはインテレクチュアルというものの形成史というようなもの、
あるいは社会史というようなものを考えるときに、
大変意義のあることがいっぱいあるんだ。
そこのところが全部落ちて、ただの学問になってしまっている
というところが不満なんです。(~p360)
こうして、まずは「白紙還元」をしてから、
梅棹忠夫の見解を、展開してゆくのでした。
ここからが、鼎談の本題になるのですが、
わたしは、梅棹流「白紙還元法」の技術、
そのさわりの部分を紹介。ここまで(笑)。