和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

知的生産と「キツネつき」。

2019-08-20 | 本棚並べ
加藤秀俊著「わが師わが友」(中央公論社。C・BOOKS)。
この本のあとがきに、50歳にして著作集を出してもらえる。
という顛末が語られておりました。要するに若すぎるので、

「各巻の主題とかさねあわせながら、それぞれの時期に
お世話になった先生がたや友人たちにまつわる一種の
身辺雑記ふうの回顧を書くことにした。題して『わが師わが友』。
著作集の著者がわたしであり、各巻末の『あとがき』の筆者も
わたし、さらにその著作集につく『月報』までわたしが書く、
ということになってしまった。」

うん。「わが師わが友」の途中までしか読んでいないのですが、
さまざまな方が登場しております。
そういえば、と思い浮かんだのは実語教の文句でした。

「師に会うといえども学ばざれば、いたずらに
市人(いちびと)にむかうが如(ごと)し。」

この現代語訳は
「せっかくの良い先生と出会っても、学ぼうという
気持がなければ、ただの人と会っているようなものです。
それでは何も得られませんよ。」
(p58・齋藤孝「実語教」致知出版社)

加藤秀俊氏のこの本は、「市人に向うが如し」とは反対に、
多数の師友との濃密な「わが師わが友」との関係を重ねていく
文章が並んでいるのでした。

今回気になったのは、梅棹忠夫氏のキツネつきの箇所。

「北白川の梅棹邸には、わたしをふくめて、何人もが足をはこび、
夜更にいたるまで、きわめて雑多な議論をつづけた。・・
米山俊直、石毛直道、谷泰そして、ややおくれて松原正毅
いろんな人物が入り乱れた。そんなある晩、
突如として伊谷純一郎さんがとびこんできた。
何の論文だったか忘れたが、梅棹さんの原稿だけが
おくれているために本が出ない、早く書け、
というのが伊谷さんの用件であった。
梅棹さんは、大文章家であるが、執筆にとりかかるまでの
ウォーミング・アップの手つづきや条件がなかなか
むずかしいかたである。一種のキツネつき状態になって、
そこではじめて、あの名文ができあがる。
伊谷さんもそのことはご存知だ。ご存知であっても、
梅棹論文がなければ本ができないのであるから、
これもしかたがない。その伊谷さんにむかって、
梅棹さんは、あとひと月のうちにかならず書く、といわれた。
伊谷さんは、その場に居合わせたわたしをジロリと睨み、
加藤君、おまえが証人や、梅棹は書く、と言いよった。
おまえは唯一の証人やで、とおっしゃるのであった。
わたしは梅棹さんが、絶対に書かないという信念を持ちながら、
伊谷さんには、ハイ、と返事をした。
その原稿がどうなったか、わたしは知らない。」(p84)

そういえばと、あらためてひらいたのは、
藤本ますみ著「知的生産者たちの現場」(講談社)。


「予定どおり原稿ができなくて四苦八苦しているとき、先生はよく
『原稿というもんはキツネがついてくれないとできんもんでな』
といわれる。・・・・わたしは先生の言い分を否定した。
それでも先生は、『いや、やっぱりキツネがつくのやで。
原稿用紙を前に、うんうんうなったって、かけんときはかけん。
それがあるとき突然かわる。いままで苦しんでいたのがウソみたいに、
文章がでけてくる。・・・ところがどうなってそうなるのか、
自分でもようわからんけど、とにかくできるときはすっとでけてしまう。
不思議というか、なんというか、
これはキツネがついたとしかいいようがないなあ。』」(p224)

はい。この雰囲気は、もう少し引用したくなります(笑)。

出版社の方が、催促に来ている箇所を引用。

「『・・・会社のほうでも、印刷屋の手をあけさせて待っていますし、
本文のほうは、もうとっくにできていて、あとは先生の解説だけなんですよ。
発売まであと二週間、もうぎりぎりのところまできています』

『ほんとに申しわけありません』
そういって、わたしが頭を下げたところへ、
『梅棹さんは?』といって、加藤秀俊先生がのぞかれた。
事情を話すとすぐ、わかったというしるしの笑いをうかべられて、
『また、いつものキツネ待ちですか。ごくろうさま』と、
編集者とわたしにねぎらいの言葉をかけて出ていかれた。」(p227)

「はいってきたのは、小松左京さんだった。・・・・
いつのまにか、梅棹先生の原稿ができあがらないことが、
みなさんに知れてしまった。小松さんが、

『いっぺん、みんなでシンポジウムをせないかんなあ。
【「知的生産の技術について」の筆者に原稿をかかせる
キツネについて】というテーマはどうやろ』といいだした。

『そらええなあ。そのときはぼく、
 一番前にいてきかしてもらいます』と先生。・・・」(p231)


はい(笑)。
論語には「鬼神を敬して、これを遠ざくる」とあるそうで、
梅棹忠夫著「知的生産の技術」に
「キツネつき」への言及は遠ざけられておりました。



コメント
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