せっかく、一泊でも京都へ行ってきたので、
京都のタクシーについて。
3人だったので、近辺はタクシーの方が
手軽で安上がり、たとえば西本願寺から
タクシーで京都駅新幹線入り口へ向かってもらって
支払いは580円なり(笑)。
さてっと、
加藤秀俊著「わが師わが友」に、
「京都文化のなかで」という章がありました。
そこから引用。
「京都の会合が深夜におよんでも
たのしくつづけられることのできた最大の理由は、
京都という町が人間的スケールの町である、ということであった。
そのことは、藤岡喜愛さんに教えられて、
はじめて、なるほど、とおもったのだが、
たとえば祇園あたりで酒を飲んでいて、さて自宅に戻ろう、
ということになっても、当時の金で300円もあれば、
タクシーで帰宅できたのだ。自宅は、おおむね市内にあり、
距離はせいぜい8キロ以内。だから、べつだん終電車など
気にしなくてよかったのであった。じっさい、タクシー代がなければ、
歩いて帰ることだって不可能ではない。
なんのときだったか忘れたが、上山春平さんと多田道太郎さんが
上京することになり、わたしは山田稔といっしょに京都駅まで
送りに行ったことがある。・・・当時は、新幹線などという
便利なものものなく、上山・多田両氏は、夜行寝台列車に乗る
ことになっていた。駅に着いたら、列車の延着かなにかで、
一時間以上待つことになり、駅前の安酒場に入り、
したたかに、酒を飲んだ。・・・・山田とわたしは、
この先輩たちに扇動されてかなりいい気持になってしまったのである。
ところがやがて、列車が来て、旅立つおふたりはさっさと駅にむかい、
山田とわたしは勘定を払ったのだが、意外と値段が高く、
ふたりの財布を底まではたいて、やっと間に合った。
そして気がついてみると、もう市電はない。
タクシーに乗ろうにも、金がない。若さと酔いにまかせて、
それでは歩こう、ということになった。
駅前から烏丸通をまっすぐ北へ。
わたしの下宿は出雲路橋、山田の自宅は下鴨高木町。
結局、二時間ほど歩いて帰った。
・・・・要するに、京都の町は、
人間的スケールでできあがっているのだ。
だから、いくらおそくなってもいい。それにひきかえ、
東京というのは、もはや人間的スケールをこえている。
湘南方面に帰る人もいるし、千葉・埼玉に自宅のある人もいる。
終電車というものが気になる。
だから、深更におよぶ議論というのは、期待すべくもない。
・・・やたらに値段が高く、しかもバカ話の場ではあっても、
議論の場にはならない。そういう点で、
京都というところは、まことにめぐまれているのだ。
そのうえ・・・・」
(p101~103)
今年は「梅棹忠夫著作集」全巻を安く購入したので、
このチャンスに、通読しようとしているのに、
またしても、それてしまいそうになる。
「駅前から烏丸通をまっすぐ北へ」歩いているつもりになって、
「梅棹忠夫著作集」へとたどりつけますように。
京都のタクシーについて。
3人だったので、近辺はタクシーの方が
手軽で安上がり、たとえば西本願寺から
タクシーで京都駅新幹線入り口へ向かってもらって
支払いは580円なり(笑)。
さてっと、
加藤秀俊著「わが師わが友」に、
「京都文化のなかで」という章がありました。
そこから引用。
「京都の会合が深夜におよんでも
たのしくつづけられることのできた最大の理由は、
京都という町が人間的スケールの町である、ということであった。
そのことは、藤岡喜愛さんに教えられて、
はじめて、なるほど、とおもったのだが、
たとえば祇園あたりで酒を飲んでいて、さて自宅に戻ろう、
ということになっても、当時の金で300円もあれば、
タクシーで帰宅できたのだ。自宅は、おおむね市内にあり、
距離はせいぜい8キロ以内。だから、べつだん終電車など
気にしなくてよかったのであった。じっさい、タクシー代がなければ、
歩いて帰ることだって不可能ではない。
なんのときだったか忘れたが、上山春平さんと多田道太郎さんが
上京することになり、わたしは山田稔といっしょに京都駅まで
送りに行ったことがある。・・・当時は、新幹線などという
便利なものものなく、上山・多田両氏は、夜行寝台列車に乗る
ことになっていた。駅に着いたら、列車の延着かなにかで、
一時間以上待つことになり、駅前の安酒場に入り、
したたかに、酒を飲んだ。・・・・山田とわたしは、
この先輩たちに扇動されてかなりいい気持になってしまったのである。
ところがやがて、列車が来て、旅立つおふたりはさっさと駅にむかい、
山田とわたしは勘定を払ったのだが、意外と値段が高く、
ふたりの財布を底まではたいて、やっと間に合った。
そして気がついてみると、もう市電はない。
タクシーに乗ろうにも、金がない。若さと酔いにまかせて、
それでは歩こう、ということになった。
駅前から烏丸通をまっすぐ北へ。
わたしの下宿は出雲路橋、山田の自宅は下鴨高木町。
結局、二時間ほど歩いて帰った。
・・・・要するに、京都の町は、
人間的スケールでできあがっているのだ。
だから、いくらおそくなってもいい。それにひきかえ、
東京というのは、もはや人間的スケールをこえている。
湘南方面に帰る人もいるし、千葉・埼玉に自宅のある人もいる。
終電車というものが気になる。
だから、深更におよぶ議論というのは、期待すべくもない。
・・・やたらに値段が高く、しかもバカ話の場ではあっても、
議論の場にはならない。そういう点で、
京都というところは、まことにめぐまれているのだ。
そのうえ・・・・」
(p101~103)
今年は「梅棹忠夫著作集」全巻を安く購入したので、
このチャンスに、通読しようとしているのに、
またしても、それてしまいそうになる。
「駅前から烏丸通をまっすぐ北へ」歩いているつもりになって、
「梅棹忠夫著作集」へとたどりつけますように。