「季刊人類学」1970.1‐1創刊号の古本を手にする。
梅棹忠夫著「知的生産の技術」(岩波新書)は1969年に出版。
その次の年に、この「季刊人類学」が刊行をはじめておりました。
気になったのは、創刊号の座談会。
題して「『季刊人類学』がめざすもの」。
こんな箇所が印象的でした。
梅棹】 ・・京都には社会人類学、文化人類学の
講義がないでしょう。だからコースを通じて育ってきた
という人はひとりもおらんのです。それでいて、
なんとなく漠然たる関心をもっている。
大部分は実際のフィールド体験をまずする。
そのときに自己変革が起こるんです。
その自己変革の記録をこしらえようという、
そういう気持は非常に強いと思うのです。
われわれは、
やはり日本の文化の中で育てられた人間ですから、
フィールドにでたら、
必ずそこの文化とのあいだに、ギャップが存在する。
向こうの文化が、丸の文化で、
私のもつ日本の文化は、三角の文化だとする。
丸と三角を重ねたとき、すき間が起こる。
だんだん、フィールドワークを進めていくうちに、
いろいろな人間関係を通じて、そのすき間が埋まって
くるのですね。実はそのすき間が埋まってくる過程、
それが文化なり社会の認識である。
その過程を記述し、考え、洗練したものが
文化人類学・社会人類学である。
なんか、そういった気持なんですがね。」
(p129~130)
梅棹さんが自動車の運転免許の話をすると
また、話がひろがってゆきます。
飯島】 自動車ならいいんですが、
早い話がトラクターの運転できる農学部の先生が
何人おりますか。それはなんていったってナンセンスですよ。
自分でトラクターを運転できないものがなんぼ農業の機械化
といっても訓詁学ですよ。
梅棹】・・・たとえば村武さんの言われた整理の能力とか、
ファイリング・システムを使いこなす能力とかは明らかに低い。
ということは、研究能力が低いということなんです、実際。
・・・・・
梅棹】・・潜在的能力ではなくて、顕在的、つまり現在
どうかということなんだから、もし条件さえよかったら
偉いやつになっただろうと、そんな仮定法的能力は意味がない。
現に、どれだけの研究が遂行できるかということです。
そういう能力を開発する努力があまりにも低い。
・・・・・
梅棹】それは今度の雑誌でも、ぼくはそういうことに、
かなり意を用いてもいいと思うのです。たとえば
論文を書く能力を磨くとか、
データを処理する能力を磨くとか
いくらでもやることがあると思う。
修士論文が日本語として読むに耐えない
というようなことは、ぼくはやはりおかしい
と思うのですよ。何学であれ、学問をやる
基礎能力が低いというのはそういうことです。
これは若い人だけと違う。・・・・・
(~p144)
思い浮かぶのは、
小川壽夫(元岩波書店編集者)の
「『知的生産の技術』が誕生するまで」で
こう書かれていることでした。
「先生は『これはわたしの学問研究の一環です』
と強調されていた。話は、個人の書斎における
技術にとどまらなかった。情報検索、インタビュー、
座談会、共同研究、図書館システム、情報管理など、
行動や組織の知的生産に及んだ。
『いずれ『続』を書かねばなりません』と笑っておられた。
くりかえし話題になったのは、
秘書の重要性、日本語タイプライター、
個人研究の共有化、だったと思う。
対話しながら自問自答し、迷ったり横道に入ったり、
だんだんと考えを煮つめていく。」
(p102・「梅棹忠夫 知的先覚者の軌跡」)
はい。私は
「知的生産の技術」だけしか読んでおりませんでした。
今年はじめて、その裾野に降り立ったような読書です。
梅棹忠夫著「知的生産の技術」(岩波新書)は1969年に出版。
その次の年に、この「季刊人類学」が刊行をはじめておりました。
気になったのは、創刊号の座談会。
題して「『季刊人類学』がめざすもの」。
こんな箇所が印象的でした。
梅棹】 ・・京都には社会人類学、文化人類学の
講義がないでしょう。だからコースを通じて育ってきた
という人はひとりもおらんのです。それでいて、
なんとなく漠然たる関心をもっている。
大部分は実際のフィールド体験をまずする。
そのときに自己変革が起こるんです。
その自己変革の記録をこしらえようという、
そういう気持は非常に強いと思うのです。
われわれは、
やはり日本の文化の中で育てられた人間ですから、
フィールドにでたら、
必ずそこの文化とのあいだに、ギャップが存在する。
向こうの文化が、丸の文化で、
私のもつ日本の文化は、三角の文化だとする。
丸と三角を重ねたとき、すき間が起こる。
だんだん、フィールドワークを進めていくうちに、
いろいろな人間関係を通じて、そのすき間が埋まって
くるのですね。実はそのすき間が埋まってくる過程、
それが文化なり社会の認識である。
その過程を記述し、考え、洗練したものが
文化人類学・社会人類学である。
なんか、そういった気持なんですがね。」
(p129~130)
梅棹さんが自動車の運転免許の話をすると
また、話がひろがってゆきます。
飯島】 自動車ならいいんですが、
早い話がトラクターの運転できる農学部の先生が
何人おりますか。それはなんていったってナンセンスですよ。
自分でトラクターを運転できないものがなんぼ農業の機械化
といっても訓詁学ですよ。
梅棹】・・・たとえば村武さんの言われた整理の能力とか、
ファイリング・システムを使いこなす能力とかは明らかに低い。
ということは、研究能力が低いということなんです、実際。
・・・・・
梅棹】・・潜在的能力ではなくて、顕在的、つまり現在
どうかということなんだから、もし条件さえよかったら
偉いやつになっただろうと、そんな仮定法的能力は意味がない。
現に、どれだけの研究が遂行できるかということです。
そういう能力を開発する努力があまりにも低い。
・・・・・
梅棹】それは今度の雑誌でも、ぼくはそういうことに、
かなり意を用いてもいいと思うのです。たとえば
論文を書く能力を磨くとか、
データを処理する能力を磨くとか
いくらでもやることがあると思う。
修士論文が日本語として読むに耐えない
というようなことは、ぼくはやはりおかしい
と思うのですよ。何学であれ、学問をやる
基礎能力が低いというのはそういうことです。
これは若い人だけと違う。・・・・・
(~p144)
思い浮かぶのは、
小川壽夫(元岩波書店編集者)の
「『知的生産の技術』が誕生するまで」で
こう書かれていることでした。
「先生は『これはわたしの学問研究の一環です』
と強調されていた。話は、個人の書斎における
技術にとどまらなかった。情報検索、インタビュー、
座談会、共同研究、図書館システム、情報管理など、
行動や組織の知的生産に及んだ。
『いずれ『続』を書かねばなりません』と笑っておられた。
くりかえし話題になったのは、
秘書の重要性、日本語タイプライター、
個人研究の共有化、だったと思う。
対話しながら自問自答し、迷ったり横道に入ったり、
だんだんと考えを煮つめていく。」
(p102・「梅棹忠夫 知的先覚者の軌跡」)
はい。私は
「知的生産の技術」だけしか読んでおりませんでした。
今年はじめて、その裾野に降り立ったような読書です。