和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

「読み、書き」の一点張り。

2024-10-17 | 手紙
桑田忠親著作集第1巻「戦国の時代」の目次をひらくと、
最後に「武人の書風」という題の文が載っている。
本の最後をひらくと、初出再録一覧があって、昭和52年に
出版された「書と人物」3(毎日新聞社)に掲載された文でした。

「 人間の生活と書とは密接な関係がある。
  今日、一般の人間の書が下手なのは、  」

と、はじまっております。この「今日」とは、昭和52年頃でした。
そのあとも、つづけて引用。

「 われわれの生活が近代化し、物質科学化したからである。
  人びとの社交は、電話・電報などで簡単にすまされる。
  年賀状もはがきに活字で刷るし、
  封書の手紙も万年筆かボールペンでしたためる。
  これでは、書が上達しないのも当然だ、
  学問の幅も非常に広くなって、書などを習っている暇もないし、
  字が下手でも学識者・教養人で通用する。
  しかし、昔はそうではない。・・・・   」(p336)

はい。習字はどうやっても下手な私ですが、それでも、小学生の頃は、
書き初めの時期に、講堂の床で皆して筆を持ってました。
そういえば、あれ以来、書き初めなんてしていないなあ。
桑田氏の文をつづけます。

「 ・・昔はそうではない。『読み、書き、そろばん』という言葉があるが、
  江戸時代以前は『読み、書き』の一点張りで、これと少々の
  古典芸能の嗜みがあれば、学識者・教養人とみなされた。

   ・・・・・・・
  武人は、武を表芸とするが、武事や戦いの余暇には、
  文事を嗜んだ。その文事というのが、具体的にいえば、
 『 読み、書き 』なのだ。つまり、読書と習字である。
  この両様の学習は、もちろん一生の課題でもあるが、
  中流の武士の家庭においては幼少時から近くの寺院の
  僧侶について、上流武家の場合は書家を家庭に招いて、
  強制的に学ばされた。 」

このあとに、語られる事例が列挙されておりますので、
この機会に、引用しておきたくなります。

「 古い時代のことは、関係文献史料が不足なため実情を
  明らかにしがたいけれど、源義経などは牛若と呼ばれた11歳の頃、
  鞍馬山の僧侶について書を習ったであろうし、
  楠木正成は8歳で河内の観心寺に入り、院主の滝覚房について
  学問を修めたというが、習字も学んだに相異ない。

  さらに戦国時代に実例を取ると、
  米沢市の上杉神社には、上杉謙信が7歳で越後春日山の林泉寺に入り、
  天室禅師について書を習った時の≪ 片仮名イロハ ≫の筆跡が
  保存されている。

  豊臣秀頼が、5歳から18歳まで、大坂城内で当代一流の書家について
  稽古した≪ 豊国大明神 ≫の神号筆跡は、10数通も現存する。
  秀頼の父秀吉も幼児、手習いのために尾張中村の光明寺に入った
  というし、徳川家康も幼時、駿府伝馬町の知源院で習字にはげんでいる。

  四国の覇者長曾我部元親も、習字は土佐の吸江庵の真蔵王(しんぞうす)
  について修めた。彼らが、そのほか、さまざまな武芸・学問・芸能などを
  その道の達人に学んだのは、

  今日の社長の坊ちゃんが、英語や数学やゴルフを、それぞれ専門の
  家庭教師について学ぶのと類似しているといえなくもない。
  要するに、少年時代、戦国式寺子屋で、または一流の家庭教師に
  ついて学び、生涯の文武両道の嗜みの基礎を固めさせられたのである。」
                              (~p337)


はい。こうして桑田氏の文ははじまっておりました。
ちなみに、著作集の「武人の書風」には書の写真がはぶかれてる。
ここは、ひとつ昭和52年発行の「書と人物」3(毎日新聞社)を
古本で買うことにしてみました。こちらは書の写真入りです。

注文は「日本の古本屋」。
福岡県宗像市の、すかぶら堂書店で
500円+送料500円=1000円で購入。
それが届きました。凾入り。30.5×21.5㎝。
まずひらくと、桑田氏の文があり、
文の上にありました。豊臣秀頼の歳書(8歳と11歳)
「 豊国大明神 」の習字が踊っておりました。

「武人の書風」の最後の方からも引用しておきます。

「 私が最も感動するのは、足利尊氏・大田道灌・北条早雲
  上杉謙信・真田幸村・宇喜田秀家などの筆蹟である。
  専門の書家から見れば、どう批判するかは知らないが・・・・

  ともかく、みごとな書の一語に尽きる。
  堂々として、かつ悠揚迫らぬものがあり、
  気品もあり、格調も高く、その人らしい味わいがにじみ出ている。
  どうして、このようなみごとな字が書けるのか。
  私は改めて、いろいろと考えてみたが、やはり、
  武将としての彼らのつねに躍動した生活、
  身についた文芸の嗜み、生死の境を超克して、
  その日その日を力強く、たくましく生き抜いていった
  武人としての根性、悟りの心境、そういったものが、
  ・・・これらの書のうちに脈々として生きているからだと思う。
  そうでも思う他に正しい回答は得られないのである。・・・・ 」(p344)

 
さてっと、『書と人物』第三巻(武人)をゆっくりとひらき、
そこから、桑田氏が感動するという書を味わうことにします。

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