岡倉覚三著「茶の本」(岩波文庫・村岡博訳)の
第一章は「人情の碗」でした。
「 茶道の要義は『不完全なもの』を崇拝するにある。
いわゆる人生というこの不可解なもののうちに、
何か可能なものを成就しようとするやさしい企てであるから。 」(p21)
はい。こんな風にはじまっておりました。
何だか腑に落ちたようでいて分からない。
そんな『?』のままでおりました。
最近になって生形貴重著「利休の逸話と徒然草」(河原書店・平成13年)
を買いました。はい。徒然草とあったので古本で買っておきました。
その第二章は「不完全と自然」と題されていたので、そこをひらく。
はじまりは「利休の言葉を記したといわれる『南方録(なんぽうろく)』の
引用があって
「『小座敷の道具は、よろず事たらぬがよし』という有名な言葉で始まる」
とあるのでした。
その次のページにはこうあります。
「現在では、茶道具を取り合わせる場合、
当然のこととしてバランスというものを考えます。
あまりよい道具ばかりが並びますと、
かえって道具の格同士がかち合ってしまい、
印象が薄れてしまいます。・・・・
このバランスの意識こそ、じつは『不完全美』
というべき美意識で、利休が侘び茶の秘訣
として強調したものなのでした。 」(p54)
このあとに、徒然草の第82段からの引用がありました。
その引用のさいごの方をとりだしてみます。
「『すべて、何も皆、事のととのほりたるは、あしき事なり。
し残したるをさて打ち置きたるは、面白く、生き延ぶるわざなり。
内裏(だいり)造らるるにも、必ず、作り果てぬ所を残す事なり』と、」
はい。この徒然草の段を次に訳してありました。
「そして、『何につけても、万事すべて完全に整っているのは
悪いことだ。し残したものを、そのままにしているのは、
趣向があり、命が延びる思いがする』と述べたのち・・・」(p55)
はい。こうして、茶道と徒然草の潜みへとわけいってゆくのでした。
はい。私はもうここで満腹。そういえばと思い浮かんだ言葉は
『 句集づくりのベテランにいわせると、
名句ばかりを並べてもいい句集はできない。
あいまにちょっと、ごく変哲のないのを入れておく・・』
( p189 「縁もたけなわ」 )
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