鶴見俊輔著「期待と回想 語り下ろし伝」(朝日文庫)。
その第9章「編集の役割」が、印象深いのでした。
まずは、『平均寿命がのびた』とある箇所を引用。
「これだけ平均寿命がのびたのだから、
40歳以後は、だれかの話を聴きにいくということじゃなくて、
自分の動きを含めたサークルがつくれる可能性はだれにでもあると思う。
ヴィデオやコピーやインターネットも使って、
さまざまな自主的なことができるはずですよ。 」(p517)
そのすこし前に『かなり年をとっても』という箇所があります。
「森毅とは〇〇新聞の書評委員会で一緒になって、
宿に帰ってからコーヒー一杯で雑談した。
夜中の一時くらいまで、3時間も4時間もしゃべるんだ。
ものすごい安上がりな雑談で、5、6年つづいた。
これが私にとってのサークルなんだ。
かなり年をとってもそういうサークルは成立しうるんだ。
茶の湯の精神だね。 」(p514)
はい。『茶の湯の精神』と『コーヒー一杯』。それで
思い浮かんだのは、季刊「本とコンピュータ」1999冬号。
そこに、鶴見俊輔と多田道太郎の対談が載っております。
その対談の終わりの鶴見さんの話には『伸びてくるんだよ』
という箇所があったのでした。
最後に、すこし長いけれども、引用しとかなきゃ。
鶴見 ・・・・・それとね、私たちの共同研究には、
コーヒー一杯で何時間も雑談できるような自由な感覚がありました。
桑原(武夫)さんも若い人たちと一緒にいて、
一日中でも話している。
アイデアが飛び交っていって、
その場でアイデアが伸びてくるんだよ。
ああいう気分をつくれる人がおもしろいんだな。
梅棹(忠夫)さんもね、『思想の科学』に書いてくれた
原稿をもらうときに、京大前の進々堂というコーヒー屋で
雑談するんです。原稿料なんてわずかなものです。
私は『 おもしろい、おもしろい 』って聞いているから、
それだけが彼の報酬なんだよ。
何時間も機嫌よく話してるんだ。(笑)
雑談の中でアイデアが飛び交い、
互いにやり取りすることで、そのアイデアが伸びていったんです。
・・・・コンピュータの後ろにそういう自由な感覚があれば、
いろんな共同研究ができていくでしょうね。 」(p207)
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