増谷文雄著「臨済と道元」(春秋社・1971年)に
ちょっと、禅とヨーガに触れた箇所がありました。
そこを紹介。
「禅とは、梵音〈ディヤーナ〉を音写して〈禅那〉となし、
さらにそれを省略して〈禅〉となしたものである。
意訳すれば、定もしくは静慮である。
それは、かの『ヨーガ・スートラ』に説くところの
ヨーガの支則の一つであって、『そこにおいて
意識作用が一点に集中しつくす状態が静慮である』
と定義されている。
その『ヨーガ・スートラ』の説くところは、
インドの思想家たちの諸派に通ずる実践論であって、
仏教もまたはやくからその修行法を採用していた。・・・」
(p52)
この箇所は、増谷文雄氏が『正法眼蔵』の第49『仏道』の巻
にふれながら指摘されているのでした。
それならばと、講談社学術文庫の『正法眼蔵』の目次を
さがしてみると『正法眼蔵(五)』に『仏道』があります。
そこの増谷文雄氏の現代語訳で、この箇所を引用。
「石門の『林間録』にいう。
『菩提達磨は、はじめ梁から魏にいたった。
崇山(すうざん)のふもとをあるいて、少林寺にいたり、
そこに杖をおいたが、ただ面壁して端坐するのみであった。
それは習禅ではなかった。だが人々はひさしくその故を
測りしらなかったので、達磨をもって習禅の人となした。
いったい禅那とはもろもろの行の一つにすぎない。とうてい
それをもってこの聖人のことごとくを尽くすことはできない。
だが、当時の人はそれを知らないから・・・
達磨をもって習禅の列につらね、枯木死灰(こぼくしかい)の
やからにいれてしまった。
しかしこの聖人はけっして禅那にとどまるものではなかった。
しかもまた禅那にたがうものでもなかった。・・・・』」
(p77)
このあとの、禅への考察には、惹かれるのですが、
煩雑にわたりますし、わたしはもう満腹です。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます