和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

なぎさ。

2012-08-14 | 地域
毎日新聞8月12日今週の本棚に
持田叙子(のぶこ)評「谷川健一全集第七巻沖縄三」が掲載されていて気になり、
読まずにあった谷川健一著「渚の思想」(晶文社)を
ひらいてパラパラと読み始める。

あとがきに

「渚は大自然の搏動を体得するのにもっともふさわしい場所である。大自然のリズムを身につけるかどうか、それが人間の心身を健全なものにするかどういかの分かれ道である。だが、自然海岸の大量の破壊は、日本人が日常的にふれあう機会を極端に少なくした。・・・・渚に立ってまなざしを海の彼方にそそぐときの解放感は何ものにも替えがたい。」

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「編集手帳」第22集。

2012-08-13 | 短文紹介
中公新書ラクレ「読売新聞『編集手帳』第22集」が出ました。
ということで、さっそく最初のほうをパラパラと。

1月5日の一面コラム。
たしか、新聞で読んでおりました。

「10年連用の日記帳を使っている。4年目に入った。去年の、あるいは一昨年の同じ日に何をしていたかを知るには便利だが、『あの日』が近づいてくる感触にペンを持つ手が止まる夜もある。地が揺れたとき、津波が襲ってきたとき、ああしていたら、こうしていたら・・・と、『残念』の一語ではとうてい言い尽くせない痛恨の情に、身を苛(さいな)んでいる被災地の方もいるだろう。」

そのあと
竹内政明氏は、コラムの終りをこうしめくくっております。

「益体(やくたい)もないコラムを書いてしまった悔いや、懲りない二日酔いなど、ばかな失敗を綴れる日々の、何と贅沢なことよ。」

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ハッタリ新聞。

2012-08-12 | 前書・後書。
桜桃(オウトウ)社というオンライン古書店
(山形県山形市飯田西・店舗なし)に注文してあった文庫が届く。

小田嶋隆著「我が心はICにあらず」(光文社文庫)
1000円+送料300円=1300円なり

文庫でこの値段は高いなあと思いながらも、
とにかく、手に入れたいので注文したのでした。
それが、今日届く。

とりあえず。
あとがきから
「歌舞伎町のゲームセンター「ビンゴ・イン・ミラノ」で知り合ったY本が『おい、雑誌を始めるぞ』と言い出したのは1984年の冬のことだった。・・・・・
『おい、おれもなんか書くぞ』といって強引に執筆陣に割り込んだ。私は失業中だった。何でもいいから仕事が欲しかったのだ。そして、以来三年余り、ずるずると連載を続けた結果がこの本である。・・・ともかく、自分が書いたものがこうして一冊の本になったことは、私にとって望外の喜びだ。たぶん私は、小学四年で『ハッタリ新聞』という個人紙を発刊して以来ずっと、自分の著書にもってまわったあとがきをつけるようなことに憧れ続けてきたのだと思う。考えてみれば嫌な野郎だが、謙虚で心根のまっすぐな人間なら、はじめからモノなんか書いたりしない。」
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残暑お見舞い。

2012-08-11 | 手紙
お借りした詩集の感想を
書いて手紙を出す。
読了後すぐに書けばよいものを、
オリンピックを見たりしていて、
ついつい後回しにしておりました。
ということで、今日手紙を出す。

ああ、今日は土曜日だった。
日曜日は郵便局は配達しないのだ。
それとも、お盆休みは、
まるっきり配達しないのだろうか?
と手紙を投函してから、
セミの声を聞きながら、
ますます汗が出たりします。

え~。
残暑お見舞申し上げます。
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ニュートラルで、たくましい。

2012-08-10 | 短文紹介
というわけで、
小田嶋隆の古本がポツポツと届きます。
今日来たのが、

古書明日(目黒区八雲)
朝日文庫「パソコンゲーマーは眠らない」
古本定価300円+送料160円=460円なり

解説は中野翠。
その解説の題は
「パソコンゲーマーの『普遍的真実』」。
解説の最後にこうありました。
「しかし、ほんとうのところ、私が著者を信頼する一番のポイントは、著者が『確かな嫌悪の精神』を持っていて、それが愛するパソコンにも公平に向けられているところだ。・・・・こんなニュートラルで、たくましい感受性を持った人間の書いた『パソコン書』は、たぶんめったにないのだろう。」

うん。これだけじゃ、何を言いたいのかわからない(笑)。
私も小田嶋隆の本の前をウロウロしてるだけだしなあ。
でも、こうして、小田嶋隆と出合えてよかった。
と、まずは言っておこう。
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エッジが立ってる。

2012-08-09 | 短文紹介
「小田嶋隆のコラム道」(ミシマ社)の巻末対談で、
内田樹氏が「小田嶋さんの書くものはエッジが立ってるから、引っかかるんですよ。」(p228)という箇所がありました。

うん。わたしもどうやら「引っかかった」みたい(笑)。
ということで、ネット古本屋へと4~5冊注文。

ところで、「地雷を踏む勇気」(技術評論社)の
本文のはじまりに、小田嶋隆氏は
こういう言葉を置いております。

「東日本大震災から半年が経過しようとしている。
個人的には、3月11日からの半年間で、時代がすっかり変わってしまった感じを抱いている。震災以前の出来事は、たった1年前に起きた事件であっても、遠い昔の記憶であるように感じられる。不思議な感覚だ。震災を契機として、具体的に何が起こって、われわれの精神のどの部分がどんなふうに変化したのかについては、今後、長い時間をかけて、じっくりと検証しなければならないのだと思う。が、細かい点はともかく、わたくしども日本人の時代認識が、震災を機に変わってしまったことは確かだ。」(p11)


これから、どなたもが、
「不思議な感覚」を読み解く時間をはじめているのだろうなあ。
そういう意味で、これからがはじまり。
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想像力を蘇らせ。

2012-08-08 | 短文紹介
小田嶋隆著「地雷を踏む勇気」(技術評論社)に
1956年生まれの小田嶋氏が、こう書いておりました。

「・・・方丈記のこの冒頭部分を、高校生だった私は、教科書が配られたその日のうちに暗記して、以来、30年以上が経過した現在でも、正確に諳んじることできる。出来が良かったからではない。出来が悪かったからだ。心に鬱屈を抱え、人生の先行きに暗雲を感じている高校生だった私に、方丈記の無常観は、子守唄みたいに心地良く響いたのだ。・・・」(p114)

今の高校の教科書に方丈記の冒頭部分は掲載されているのかなあ?

ところで、思いもかけなかったのですが、詩集について書いている箇所がありました。引用しておきます。


「私自身は、詩集を読み、詩を書くということを日常的にこなしてきた最後の世代だと思っている。いや、私の世代でも、既に遅かったかもしれない。私より5年年長の人々は、普通に詩を暗誦し、時にヘタであっても詩を書くことのある人々だった。が、私の世代になると、詩は、薄気味の悪い文学少年のための極度にマイナーな趣味になってしまっていた。現代では、詩は、笑いのタネにしかならない。ポエム。時代遅れの青年誌に載っているアイドル水着写真の添え書きとして、あるいは土産物の洋菓子の取り澄ました包装紙の上でかろうじて露命をつないでいる。
私は詩を書く少年であった。
だから、出来不出来はともかく、20代の頃までは、いくらでも詩を生産することができた。それが、40歳を過ぎると、ほとんど一行も書き進められないようになった。
ここに、何か秘密があると思う。
人も時代も、成熟を自覚すると、詩を軽んじるようになる。
そして、詩を軽んじる魂は、おそらく、予期せぬ事態に立ち向かうことができないのだ。結論を述べる。苦難の時にあって、われわれは詩を書くべきだと思う。もう一度、詩の言葉を思い出して、想像力を蘇らせなければならない。書くのが無理なら、他人の詩でも良いから、気に入った詩を暗誦すべきだ。・・・」(p138)


うん。小田嶋隆の本を、もうすこし読んでみます。

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4巻本。

2012-08-07 | 本棚並べ
「戸井田道三の本」1~4巻(筑摩書房)を購入することに。
ネット古本屋で注文。

 澤口書店(巌松堂ビル1階)神田神保町
「戸井田道三の本」4巻揃い
10000円 送料サービス。
先払いでした。
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涼しい。

2012-08-06 | 詩歌
昭和7年生まれの西田繁氏は
神奈川県横須賀生まれ。
生前に二冊の詩集を上梓しております。
その一冊目に詩「金魚売り」がありました。
その詩のはじまりとさいごを引用

  金魚売り

かつがれた天秤棒の両端で
平たい桶の水がゆらゆら揺れて
中の金魚もゆらゆら揺れて

・ ・・・・・・・・
・ ・・・・・・・・

汗にじませた肩と膝で 調子をとってゆっくりと
自分の歩幅心得てあるいて行った
向う鉢巻きのその人の うしろ姿ずーっと見送った日

横須賀 下町 想い出の夏は小さく遠い



西田繁氏は今年の平成24年1月11日に亡くなっております
( 第二詩集が2年前の2010年4月に出ておりました )。
そこに詩「琉金」がありました。
その詩を全文引用。

    琉金   西田繁

琉金が
ぼかした赤い尾を 背びれを 揺らしながら
透明の 金魚鉢の中
ゆっくり
涼しく
水藻をくぐり

狭いけれど
ここで結構生きられますと
しずかに からだを水にまかせて
屈託もなく 自分の世界にひたっている

退院から もう
二か月経った

外は じりじり眩しい炎天
暑さの夏に いま触れながら
生きている自分を
内側から 視つめている
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新刊買い。

2012-08-05 | 本棚並べ
こう暑いと、
本を読まないくせして、新刊買い。
ということで、

小田嶋隆著「地雷を踏む勇気」(技術評論社)
梅原猛著「世阿弥の神秘」(角川学芸出版)
黒川創著「いつか、この世界で起こっていたこと」(新潮社)

新刊購入して夏もまた涼し。
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○×(まるばつ)はない。

2012-08-04 | 本棚並べ
「戸井田道三の本1・こころ」(筑摩書房)を本棚から取り出してくる。
ここに入っている「生きることに○×(まるばつ)はない」を見たくなる。
以前に、ここだけを読んだのでした。
関東大震災を経験した戸井田道三氏のところを、見てみたかったのでした。
この本の解説とか月報を読んでみると、うんうんと頷きながら、
でも、本文は気になる箇所だけ読み返す。

「無口で陰気で何を考えているのかわからない子どもだったわたしが、急におしゃべりでほがらかな青年になったのは、震災のあとからだ、と母はいいました。自分では意識しませんが、たぶんそうでしょう。震災は、わたしの生涯にとって一つの転機になったことはたしかです。中学三年生の九月です。満十四歳と五か月で、わたしの少年期はほぼ終わったことになります。そして、そのころにできあがってしまった人間は、二度と大きく変わることはありませんでした。」(p146)


暑いですね。
こういうときに、読書が充実するのでしょうが(笑)。
ついつい、オリンピック。
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ヒスレバハナって知ってる。

2012-08-03 | 詩歌
毎号送っていただいている
詩誌「黒豹」130号が今日届く。
編集後記を読むと、
7月の中頃、群れなしていたトンボのことに触れられておりました。
あれは、ウスバキトンボなんだなあ。
「ウスバキトンボは殆ど休まず飛び続けますが、アカトンボの仲間は飛び続けることなく、よく物の先に止まります。全トンボの中で、ウスバキトンボが最も分布が広い種と言われています。(諌川正臣)」


身近な詩で、茨木のり子・吉野弘の詩を彷彿させるのが
杉浦将江さんの詩でした。それを引用。


    秘すれば花   杉浦将江

 私の斜め向かいの席で
 化粧を始めた女の子
 手鏡を右に左に
 つけ睫毛をしているようす

 五つほど駅を過ぎた頃
 隣に座っていた白髪の女性がさっと立ち
 「化粧は人の見ていない所でしなさい
  “秘すれば花”という言葉覚えておきなさい」
 言うなり背中をゆらして降りていった

 のぞき見していた私
 自分が叱られたようで固くなる

 その娘(こ)は一瞬きょとんとしたが
 そのまま化粧を続けている

 次の駅で友達らしい短パン姿の娘が乗ってきた
 「ヒスレバハナって知ってるー」
 「なに それー」
 はじける笑いがとぶ

 昼下りの電車内
 ・・・・・・・



うん。古典を読もう。私にしたところで、
東日本大震災のあと、方丈記にたどり着くまでの時間。
そして、はじめて方丈記を通読したのでした。
この女の子も一度聞いた「ヒスレバハナ」を
いつか反芻する日がくるのだろうか。
などと、思っておりました。
私はいまだ、お能を読んではいなくって、
おそらく、この詩とは別の意味で、
「自分が叱られたようで固くなる」のでした(笑)。
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心に一人のナンシーを。

2012-08-02 | 短文紹介
古新聞に、各書評が載っていました。
横田増生著「評伝ナンシー関」(朝日新聞出版 1575円)

日経新聞7月8日に難波功士氏の書評。
朝日新聞7月15日に中島岳志氏の書評。
読売新聞7月29日に星野博美氏の書評。

私は、中島岳志氏の書評に興味をそそられました。
肝心のナンシー関の文を読んだことがなかった私なので、
本は買わないことにしているのですが、興味はあるなあ。

ここには、中島氏の書評から引用。
はじまりは、
「時折、『ナンシー関が生きていたら』と思うことがある。テレビを見ながら、言語化できないモヤモヤ感が残る時、あの消しゴム版画が思い浮かぶのだ。」

「若き日のナンシーは、『ビートたけしのオールナイトニッポン』の熱心なリスナーだった。ナンシーの武器である『角度』は、このラジオによって生成された。青森で生まれ育ち、高校時代から消しゴムで作品を作り始め、18歳で上京。大学中退後、その才能が話題を呼び・・・」

書評の最後は
「・・今読んでも全く古くない。ナンシーの角度は、常に普遍を切り取っている。『心に一人のナンシーを』。いいサブタイトルだ。」

うん。ついつい買いたくなりますが、
こうして書評を引用して、私は買わないことにいたします。
書評読みの本読まず。
秋の涼しくなった頃、
古本でお会いできる事を願って(笑)。
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口癖だった。

2012-08-01 | 詩歌
もらってきた古新聞をひらく。
読売新聞7月14日夕刊「追悼抄」に
詩人・杉山平一氏(5月19日肺炎で死去、97歳)が載っておりました。
浪川知子(大坂文化・生活部)による記事です。

そこから、適宜とりあげてみます。

「敗戦の年に幼い長男を、
3年後には次男を病気で亡くした。
父が設立した兵庫県尼崎市の工場が
ジェーン台風(1950年)で倒壊。
手形が不渡りとなり、
従業員への給料は滞った。
債権者の厳しい取り立てに
専務として渡り合って、毎日罵声を浴びた。
・ ・・・・
ののしられても、決して心が折れる
ことがなかったわけを晩年、
長女の木股初美さん(62)に明かしたそうだ。
『僕には文学があった。
あしざまに言われるような人間じゃないと
いう確信があったからだ』と。
・ ・・・・・・

『世界は言葉によって発見される』
が口癖だった。
散歩で見た光景、新聞の記事、
仄聞した世話話・・・・。
何でも題材にした。
一編一編が短く、
東日本大震災が起きた昨春、
出版準備をしていたのは、
ようやく9冊目の詩集だった。
『不幸や悲しみの/事件は』
『自分たちを/闇のなかに
放り込んでしまうが』
『小さな銀貨のような光が/
みるみるぐんぐん/
拡がって迎えにくる筈だ//
負けるな』
2007年に詠んだ、この詩の題名
『希望』を、被災地への思いを込め
詩集にも冠した。
特別な一冊は今年、現代詩人賞に選ばれた。
第一詩集『夜学生』が文芸汎論詩集賞に
輝いて以来、実に68年ぶりの受章だった。
・・・・・」
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