和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

腰構え。

2012-10-02 | 本棚並べ
産経新聞の10月1日一面に
石原慎太郎の「日本よ」という連載があります。
たしか月一回だったか。

この回のはじまりは、こうでした。

「週末の金曜日時折都合で官邸の前を通ることがあるが、あそこで原発廃止のデモをしている連中を眺めるとふとあることを思い出す。私がまだ二十代の頃1960年の安保改定に反対して国会をとりましていたデモの光景だ。安保の何たるかもよくわかりもしない手合いが群れをなし、語呂の良い『アンポ、ハンタイ』を唱えて、実は反米、反権力という行為のセンチメントのエクスタシーに酔って興奮していた。一応知識人の代表を自負する文士の組織の日本文芸家協会の理事会でも、当時の理事長の丹羽文雄が、『議事も終わったがまだ時間もあまっているので、ついでに安保反対の決議でもしておきますか』と持ち掛け、理事でいた尾崎士郎と林房雄の二人から、『僕らは安保賛成だが、君はなぜ反対なのかね』と問われて答えられず赤面して会は終わりとなった。
安保騒動の折には日本で初めて三党の党首が安保についてテレビで、
それぞれで所信を披瀝し、
社会党の浅沼稲次郎の言い分は支離滅裂、
民社党の西尾末広は言葉はすらすら出てくるが論を為さず、
首相の岸信介の論は、その人相の印象とはかけ離れて
筋の通ったものだった。
あの改定によって条約は平等に近いものとなり
日本への安全保障は今まで以上に確かなものになったが、
デモの徒たちにはそんな斟酌は有り得なかった。
・ ・・・・・・ 」

これからが読みどころなのですが、
それはそれとして、
ここに社会党の浅沼稲次郎が登場しておりました。
そういえば、
坂井スマート道子著「父、坂井三郎」(産経新聞出版)に
浅沼稲次郎が殺害される新聞写真の話題にふれた箇所があるのでした。

「・・・中学生だった私は、いつもと同じように両親と一緒に夕食を終えて、テレビを見ながらたわいのない会話を交わしていたのです。・・・・見ていた私が何を言ったのか、父は突然立ち上がって書斎のある二階へ駆け上がっていきました。・・・父は、古くなって色焼けした新聞紙を食卓に広げます。一面に、大きく一枚の写真が載っていました。・・・
『これは、社会党委員長の浅沼稲次郎を、十七歳の山口二矢(おとや)が壇上で刺殺せんとするところの図だ』・・・父は熱心に説明を始めました。・・山口の父親は自衛官でした。そして当時の社会党は、自衛隊廃止論を盛んに展開していました。・・・・」

「ここで父は改めて、写真の中の山口の姿を私に示しました。『この足のふんばりを見てみろ』父によれば、興奮して包丁を振り回すような人は全く腰が入っていませんが、山口は外足を直角にふんばり内足は相手に向け、短刀の束を腰骨にあてがい、戦闘の構えが理屈にかなっていると言うのです。・・この若さでこの構えはなかなかできない。山口の構えには覚悟が見えると。父はこの写真を通じて、本当の覚悟というものを私に教えたかったのではないかと思います。山口はこの後、少年鑑別所で自決しています。・・・・
この時見せられた山口の腰構えもさることながら、私はその顔つきが今でも忘れられません。自分を取り押えようとする手には目もくれず、正面の浅沼委員長を見据えているのです・・・この写真がその年のピューリッツァ賞を取っていたとは、後になって知ったことです。」(p217~221)

そういえば、このあとに道子さんは安保のことを書いておりました。

「私が中学生から高校生だった頃、日本は政治運動の熱い時期でした。70年安保闘争とベトナム反戦運動がごちゃ混ぜの頃で、私は全学連の東大生が毎週土曜日にはオルグに来る都立高校の生徒でした。現代史研究部と、英会話同好会の部室を行ったり来たりして、放課後を過したり、日比谷の学生集会にノンセクトの黒いヘルメットをかぶって参加したりしたこともありました。ヒッピー的なノリで反戦デモにも行きました。そんなことから高校時代の私は、父とぶつかることが多くなっていました。・・・
ある時、私が集会から持ち帰ったチラシを見て、父は書かれた主張の意味を説明するように言いました。・・・・所詮は大学生から聞きかじったことの繰り返しです。知識が足らず、反対に父に次々と論破されてしまいました。
例えば、アメリカに日本やアジアから出ていけと言うが、アメリカが出ていった後に、日本がどういう状況になるのかを、順序立ててきちんと学んでいるのか、どの政党の政策が国家のためにふさわしいかを判断したうえで主張しているのか・・・といった具合です。どうにも格好がつかなくなった私は、つい口をすべらせました。『それはブルジョア的な発想よ』この時期の若者の多くが、流行り文句のように言っていた言葉でしょう。しかしその途端、いきなり平手打ちが飛んできました。・・・」(p222~223)

うん。このあとは読んでのお楽しみ。
それにしても、
『アメリカが出ていった後に、日本がどういう状況になるのかを、順序立ててきちんと学んでいるのか、どの政党の政策が国家のためにふさわしいか』
という、古くて新しい問いが語られておりました。


ついでに、菅直人へも触れておかなければ、
佐々淳行著「彼らが日本を滅ぼす」(幻冬社)に
こんな一読忘れがたい箇所があったのでした。

「私は、学生時代の菅直人氏をよく知っている。
菅直人総理も、あの第二次反安保闘争の学園紛争花盛りの当時、バリケード封鎖された東京工業大学の輝ける闘争委員長だった。三派系セクトには属していなかったようだが、東工大学生たちを反安保闘争にかり立てる名アジテーターであったことは間違いない。当時、警察庁警備第一課長で機動隊運用の責任者だった私は、学長・加藤六美氏の要請で同大学付近に出動・待機していた間に、ラウンドスピーカーを通じて流れてくる彼のアジ演説を耳にしたものである。加藤学長は、『あの菅という学生には手を焼いております。彼がアジ演説をすると、すぐ500人くらい集まって騒ぐので困っております』と、窮状を私に訴えていた。・・・」(p140)

どのように騒いでいたのかは、
たとえば、2012年の国会事故調での菅氏の発言でも
推測ができそうだなあ。

その最後の方にこうあります。

「昨年3月15日朝、菅氏が東電本社に乗り込むと、『撤退したら東電はつぶれる』などと社員に向かって怒鳴り散らした。海江田氏も『初めて菅氏の発言を聞く方は違和感を覚えて当然だと思う』と証言した。だが、菅氏はその叱責さえ認めようとしなかった。・・・・・『私の夫婦げんかより小さい声でしゃべったつもりだが、叱ったつもりではない』。ジョークで笑いを取ろうと思ったようだが、会場は凍てついた。」(産経新聞2012年5月29日3面)

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