和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

見わたす足場。

2012-10-13 | 短文紹介
読売新聞10月7日「本のよみうり堂」の最初のページに、
ロバート・キャンベル氏が
鈴木健一編「鳥獣虫魚の文学史」1~4で完結(三弥井書店)について書いており読みごたえがありました。私は買わないのですが、気になるので、こうしてチェックだけはしておこうと思います。
この本については
「『古事記』から幕末絵入り小説まで、あらゆる文芸ジャンルを専門とする若手研究者数十人を動員しつつ、各巻をゆるやかな時系列に整え、獣(全19章)から鳥(全20章、以下同)、虫、魚の順に動物描写本位の文学史を語ってみせる。兎、猫、雲雀、鷹、鈴虫、蝦蟇、鰻、鱸を筆頭に、従来でなじみ深かった生き物もあれば、象、虎、孔雀という珍獣奇禽が勢揃い、愉快な発見に充ちている。編者によると、日本古典文学と動物という視座からは、人力を越えた動物の神秘性、すなわち『神との回路』と、逆に人間との親和性、行動が共通する点から醸し出される懐かしさ、『人の心の鏡』を動物に見いだすことができるという。」

さてっと、
私のお気に入りは、キャンベル氏の、この本の紹介文のはじまりでした。
そこに、こんな箇所があります。

「・・日本文学研究の現状でいうと、ご多分に漏れず細分化が進んでいる。新たな解釈が次々と生みだされる一方で、その解釈から何百年という時代の移ろいを見わたす足場を作り得ていないのが実情だ。しかし文学を愛する我々とすれば、あの時代、この作者の頭の上を軽く飛び越えて、浩々たる鳥瞰図を文学史に見せてほしい。」

時に、こんなスケールを語ってくれるのを聞けるよろこび。
「新たな解釈が次々と」というのと、「何百年という時代の移ろいを見わたす」の対比が鮮やかに伝わります。こういう指摘はとてもありがたいのでした。とかく、新たな解釈だけに右往左往している自分がおります。

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「読書人の点燈」

2012-10-12 | 本棚並べ
長谷川慶太郎著「中国大分裂」(実業之日本社)を読んでよかったなあ。
と思っていたのでした。ということで、本棚にある谷沢永一著「読書人の点燈」(潮出版社)をひらいて確認。
この本に「新聞書評に頼らないで、10冊」という4頁ほどの文が載っているのでした。そのはじまりは「選択の基準は簡単です。私がかねてより心から尊敬し、その人の述作は全部かならず目を通そうと決めている方々の著書・・・その多くは、これから読むべしと、背後の書棚にずらりと並べてあります。・・」(p152)

その人名のみを列挙。日下公人・深田祐介・唐津一・長谷川慶太郎・中嶋嶺雄・石井威望・飛岡健・小室直樹・司馬遼太郎・渡部昇一。

ちなみに、この「読書人の点燈」には「震災で得た『五つの教訓』」という4頁の文もはいっておりました。ついでにそこも引用しておきます。

「・・我が家ではテレビが茶の間の棚から下へ落ちて応接間へ走り、また、作りつけでない置いてあるだけの洋服箪笥がすべて倒れた。恥ずかしくも不用意な心がけ不足であった。食器類などはことごとく下に叩きつけられて破砕し、破片が散乱して足の踏み場もない。次第に夜があけて光が刺してくるにおよび、ようやく一応の片づけは済んだものの、そのなかには飾りに類する不用品や、日常ほとんど使ったことのない余剰の器物が、いかにごたごたと蓄えられていたか、今更のごとくに痛感した。・・・」(p101)
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私的読まない本。

2012-10-11 | 短文紹介
新聞の本広告に、
佐藤優著「読書の技術」(東洋経済)を
見かけました。ありがたいことには
広告のなかに、要点が4箇所しぼってあります。
うん。いいこと言うなあ。
そこをすこし引用。

「知りたい分野の基本書は3冊買って、まずは真ん中から読め」

うん。真ん中から読め、というのは、
この頃、私は後ろや中頃から読んでいるので納得。

「速読の目的は、読まなくてもよい本をはじき出すこと」

うん。まずは、この本を読まなくてもよい本にしました。

「1冊5分の『超速読』と30分の『普通の読書』を使いこなせ」

うん。雑誌読みと、古典読みとで、
古典を読んでいないことを実感として思い浮かべます。

「読書の要『基礎知識』は高校の教科書と学習参考書で身につけろ」

うん。私には日本の古典を読むときに学習参考書のたぐいは欠かせません(笑)。


ということで、12万部突破!と広告に書かれたこの本は、
私にとっては「読まなくてもよい本」の一冊。
じっくりと、古書店で安値になるのを待つ一冊。
ということにしておきます。

よまなきゃわからないわけですが、
まずは、買う本と買わない本とを分けます。
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火を放ち。

2012-10-10 | 短文紹介
「濱口梧陵小傳」をひらくと、絵が途中にある、
ちゃんと描いたままのカラーになっているのがありがたい。
その絵は、「安政の津波実況」として
脇に解説があります。そこを引用。

「この図は養源寺に保存されている『安政聞録』(和本51枚綴)に見開きで描かれており、安政元年(1854)11月5日広村大津波の時、遭難者の一人古田庄右衛門がその実況を模写したものである。宵やみせまる混乱の中を逃げまどう群集のために梧陵が危険を冒して、田んぼの中の十数の稲むらに火を放ち、その逃げ道を示した実況である。」

その絵の実際の様子を、濱口梧陵の手記の現代語訳から引用してみます。

「・・元気な者を励まし逃げ遅れている者を助け、災難を避けようとした瞬間、怒濤が早くも民家を襲ったと叫ぶ者があった。私も急いで走っている中、左の方の広川筋をふりむいてみると、激しい波はすでに数町(一町は約百十メートル)川上まで遡り、右の方を見ると、人家が崩れ、流されていく音が痛ましくて肝を冷やした。
一瞬で潮流は、半身をのみ込み、沈んでは浮かび、やっとの思いで一つの丘陵にたどり着き、背後のようすを眺めると、潮流に押し流されている者があったり、流れている材木につかまり一命を取りとめている者がいたり、悲惨な状態は見るに忍びなかった。しかし、こういうあわただしい状況で、救助の良策をとることができなかった。いったん八幡境内に避難して・・・・また、あわただしくその場を去り、再び八幡宮の鳥居のそばに来た頃には、すでに日は完全に暮れてしまっていた。そこで、松明(たいまつ)をつけて、元気な者十余名にそれを持たせて田や野原の道を下り、流された家の梁や柱が散乱している中を越えて進むと、命の助かった者数名に出会った。なお進もうとしたが、流されてきた材木が道を塞ぎ、歩行も自由にならない。そこで、従者に退却するよう命じて、道ばたの稲むら(刈った稲または稲藁を積み重ねたもの)十余りに火を放たせ、それによって、漂流者に、その身を寄せて安全な場所を表示しようとした。この計画はむだではなかった。この火を頼りにして、辛うじて命が助かった者も少なくなかったからである。このようにして、一本松に引き返してきた頃、激しい大きな波がやって来た。その前に火をつけていた稲むらが、押し寄せてきた波に漂いながら流れている情景は、ますます天災が恐ろしいものであると感じさせられた。波濤の襲来は前後四回に及んだが、考えてみるとこの時が最大であった。」(p28~30)


どうしても、東日本大震災の映像とダブらせて読んでしまいます。
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「稲むらの火」関連本。

2012-10-09 | 本棚並べ
今日、浜口梧陵記念館より、注文してあった冊子が届く。
以前にも買ったことがあったのですが、自宅紛失(笑)。
封筒の中身は、
 濱口梧陵小傳 300円
 稲むら燃ゆ  200円
 展示要覧   200円
 和本     200円
 ア・リビング・ゴッド 100円

以上合計1000円 + 340円(送料)

うん。封筒は筆ペンでしょうか、スラスラと達筆。
貴重なのは、
「濱口梧陵小傳」なのでした。
これは杉村広太郎氏による編集・発行とあります。
この杉村広太郎とは、杉村楚人冠であり、
ネット古本屋でも、楚人冠全集第7巻の
「濱口梧陵傳・・」は、ちょっとその巻だけ手に入らないようなのでした。
うん。その小傳を読みたい方には、おすすめの一冊。
さらに、
「ア・リビング・ゴッド」という20頁ほどの冊子は
ラフカディオ・ハーンの「生ける神」英文と、その訳とが載っております。
つまり、
杉村楚人冠の文と、ラフカディオ・ハーンの文とが
簡単に手に入り、そして読める。

あとは、オマケなのですが、
「尋常科用 小学国語読本巻十 文部省」の
「稲むらの火」だけを冊子としてはいっております。
以前は、手作りのような冊子でしたが、
今度送っていただいたのは、きれいな表紙もついております。

それから、どれが注文したものか、
余分に入れてくれたもののか
わからいので、列挙。

 冊子 「『稲むらの火』と史蹟広村堤防」(平成15年発行)
 冊子 「稲むら燃ゆ 海嘯と戦った男・浜口梧陵の軌跡」(平成10年発行)
 冊子 「稲むらの火の館 濱口梧陵記念館 展示要覧」
 冊子 「濱口梧陵の生涯」
パンフ 「稲むらの火の館 濱口梧陵記念館 津波防災教育センター」

以上が、和歌山県有田郡広川広671 濱口梧陵記念館より
送っていただいた冊子の全部。

まず、「稲むらの火」について知りたいときは、
ここをはじまりとして、冊子の参考文献へと
手をのばせばよいようです。
ありがたい。
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昨日は。

2012-10-08 | 地域
昨日は、山車ひきまわし。
午前中は雨。
そのなかで山車の飾りつけをして、
出かけました。
午後からは、曇り。
山車にかけたビニールシートを
とりのぞいての、ひきまわしとなりました。
何か一日中綱引きをしていたような。
うん。ご婦人方の踊りを
缶ビール片手に観る楽しみ。
そうそう
子どもたちの太鼓練習の成果も
たっぷり聞かせてもらえました。
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宵祭り。

2012-10-06 | 地域
明日が、山車の引き廻し。
今日は、山車の組み立てなど、
参道に提灯を並べたり、
一週間前に用意するのを、
台風の影響で、前日に変更したのでした。
さてっと、今日は宵祭り。
夕方からはじまります。
うん。これからでかけます。
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震災を機に。

2012-10-05 | 短文紹介
小田嶋隆著「地雷を踏む勇気」(技術評論社)のはじまりに、
こんな箇所がありました。

「東日本大震災から半年が経過しようとしている。
個人的には、3月11日からの半年間で、時代がすっかり変わってしまった感じを抱いている。・・震災を契機として、具体的に何が起こって、われわれの精神のどの部分がどんなふうに変化したのかについては、今後、長い期間をかけて、じっくりと検証しなければならないのだと思う。が、細かい点はともかく、わたくしども日本人の時代認識が、震災を機に変わってしまったことは確かだ。」(p11)

うん。わたしも、同意見。
わたしなりに、「どんなふうに変化したのか」
つきとめてみたい。
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新刊買い。

2012-10-04 | 本棚並べ
新刊2冊買う。

曽野綾子著「国家の徳」(産経新聞社)
小田嶋隆著「もっと地雷を踏む勇気」(技術評論社)

震災関連の文を読みたかったのですが、
どちらも、あるようで、ないような、
関連文をさがすのに苦労しそう。

まあ、ついつい買ってしまったのでした。
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海亀の子。

2012-10-03 | 前書・後書。
谷川健一著「渚の思想」(晶文社)のあとがきに。

「 渚は大自然の搏動を体得するのにもっともふさわしい場所である。大自然のリズムを身につけるかどうか、それが人間の心身を健全なものにするかどうかの分かれ道である。だが、自然海岸の大量の破壊は、日本人が日常的に海にふれあう機会を極度に少なくした。それは、砂浜で孵化した海亀の子が、生まれてすぐに波打ち際にむかって這っていく、そのまちがいのない正確な本能を私たちに閉ざすことにもなったのである。
渚に立ってまなざしを海の彼方にそそぐときの解放感は何ものにも替えがたい。」(p222~223)

この前、東京で一泊してきたのですが、
ちょうど小部屋に一人。
天井を海の波のうねりがひろがるような、
ひろさを思い描いて寝ておりました。
うん。それでないと、閉塞感で
気持ちが縮んじゃうと思ったからなのかもしれないなあ。
ほら、なんせ田舎に暮らしておりますから。

うん。ちょうど神社で、
荒波の彫り物が掲げられているような
イメージが浮かんで、
ひろがっていきました。
まあ、生ビールのせいでもあります(笑)。
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腰構え。

2012-10-02 | 本棚並べ
産経新聞の10月1日一面に
石原慎太郎の「日本よ」という連載があります。
たしか月一回だったか。

この回のはじまりは、こうでした。

「週末の金曜日時折都合で官邸の前を通ることがあるが、あそこで原発廃止のデモをしている連中を眺めるとふとあることを思い出す。私がまだ二十代の頃1960年の安保改定に反対して国会をとりましていたデモの光景だ。安保の何たるかもよくわかりもしない手合いが群れをなし、語呂の良い『アンポ、ハンタイ』を唱えて、実は反米、反権力という行為のセンチメントのエクスタシーに酔って興奮していた。一応知識人の代表を自負する文士の組織の日本文芸家協会の理事会でも、当時の理事長の丹羽文雄が、『議事も終わったがまだ時間もあまっているので、ついでに安保反対の決議でもしておきますか』と持ち掛け、理事でいた尾崎士郎と林房雄の二人から、『僕らは安保賛成だが、君はなぜ反対なのかね』と問われて答えられず赤面して会は終わりとなった。
安保騒動の折には日本で初めて三党の党首が安保についてテレビで、
それぞれで所信を披瀝し、
社会党の浅沼稲次郎の言い分は支離滅裂、
民社党の西尾末広は言葉はすらすら出てくるが論を為さず、
首相の岸信介の論は、その人相の印象とはかけ離れて
筋の通ったものだった。
あの改定によって条約は平等に近いものとなり
日本への安全保障は今まで以上に確かなものになったが、
デモの徒たちにはそんな斟酌は有り得なかった。
・ ・・・・・・ 」

これからが読みどころなのですが、
それはそれとして、
ここに社会党の浅沼稲次郎が登場しておりました。
そういえば、
坂井スマート道子著「父、坂井三郎」(産経新聞出版)に
浅沼稲次郎が殺害される新聞写真の話題にふれた箇所があるのでした。

「・・・中学生だった私は、いつもと同じように両親と一緒に夕食を終えて、テレビを見ながらたわいのない会話を交わしていたのです。・・・・見ていた私が何を言ったのか、父は突然立ち上がって書斎のある二階へ駆け上がっていきました。・・・父は、古くなって色焼けした新聞紙を食卓に広げます。一面に、大きく一枚の写真が載っていました。・・・
『これは、社会党委員長の浅沼稲次郎を、十七歳の山口二矢(おとや)が壇上で刺殺せんとするところの図だ』・・・父は熱心に説明を始めました。・・山口の父親は自衛官でした。そして当時の社会党は、自衛隊廃止論を盛んに展開していました。・・・・」

「ここで父は改めて、写真の中の山口の姿を私に示しました。『この足のふんばりを見てみろ』父によれば、興奮して包丁を振り回すような人は全く腰が入っていませんが、山口は外足を直角にふんばり内足は相手に向け、短刀の束を腰骨にあてがい、戦闘の構えが理屈にかなっていると言うのです。・・この若さでこの構えはなかなかできない。山口の構えには覚悟が見えると。父はこの写真を通じて、本当の覚悟というものを私に教えたかったのではないかと思います。山口はこの後、少年鑑別所で自決しています。・・・・
この時見せられた山口の腰構えもさることながら、私はその顔つきが今でも忘れられません。自分を取り押えようとする手には目もくれず、正面の浅沼委員長を見据えているのです・・・この写真がその年のピューリッツァ賞を取っていたとは、後になって知ったことです。」(p217~221)

そういえば、このあとに道子さんは安保のことを書いておりました。

「私が中学生から高校生だった頃、日本は政治運動の熱い時期でした。70年安保闘争とベトナム反戦運動がごちゃ混ぜの頃で、私は全学連の東大生が毎週土曜日にはオルグに来る都立高校の生徒でした。現代史研究部と、英会話同好会の部室を行ったり来たりして、放課後を過したり、日比谷の学生集会にノンセクトの黒いヘルメットをかぶって参加したりしたこともありました。ヒッピー的なノリで反戦デモにも行きました。そんなことから高校時代の私は、父とぶつかることが多くなっていました。・・・
ある時、私が集会から持ち帰ったチラシを見て、父は書かれた主張の意味を説明するように言いました。・・・・所詮は大学生から聞きかじったことの繰り返しです。知識が足らず、反対に父に次々と論破されてしまいました。
例えば、アメリカに日本やアジアから出ていけと言うが、アメリカが出ていった後に、日本がどういう状況になるのかを、順序立ててきちんと学んでいるのか、どの政党の政策が国家のためにふさわしいかを判断したうえで主張しているのか・・・といった具合です。どうにも格好がつかなくなった私は、つい口をすべらせました。『それはブルジョア的な発想よ』この時期の若者の多くが、流行り文句のように言っていた言葉でしょう。しかしその途端、いきなり平手打ちが飛んできました。・・・」(p222~223)

うん。このあとは読んでのお楽しみ。
それにしても、
『アメリカが出ていった後に、日本がどういう状況になるのかを、順序立ててきちんと学んでいるのか、どの政党の政策が国家のためにふさわしいか』
という、古くて新しい問いが語られておりました。


ついでに、菅直人へも触れておかなければ、
佐々淳行著「彼らが日本を滅ぼす」(幻冬社)に
こんな一読忘れがたい箇所があったのでした。

「私は、学生時代の菅直人氏をよく知っている。
菅直人総理も、あの第二次反安保闘争の学園紛争花盛りの当時、バリケード封鎖された東京工業大学の輝ける闘争委員長だった。三派系セクトには属していなかったようだが、東工大学生たちを反安保闘争にかり立てる名アジテーターであったことは間違いない。当時、警察庁警備第一課長で機動隊運用の責任者だった私は、学長・加藤六美氏の要請で同大学付近に出動・待機していた間に、ラウンドスピーカーを通じて流れてくる彼のアジ演説を耳にしたものである。加藤学長は、『あの菅という学生には手を焼いております。彼がアジ演説をすると、すぐ500人くらい集まって騒ぐので困っております』と、窮状を私に訴えていた。・・・」(p140)

どのように騒いでいたのかは、
たとえば、2012年の国会事故調での菅氏の発言でも
推測ができそうだなあ。

その最後の方にこうあります。

「昨年3月15日朝、菅氏が東電本社に乗り込むと、『撤退したら東電はつぶれる』などと社員に向かって怒鳴り散らした。海江田氏も『初めて菅氏の発言を聞く方は違和感を覚えて当然だと思う』と証言した。だが、菅氏はその叱責さえ認めようとしなかった。・・・・・『私の夫婦げんかより小さい声でしゃべったつもりだが、叱ったつもりではない』。ジョークで笑いを取ろうと思ったようだが、会場は凍てついた。」(産経新聞2012年5月29日3面)

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楚人冠と浜口梧陵。

2012-10-01 | 他生の縁
朝日の古新聞を貰ってきて、パラパラと
ひらいていたら、9月16日の読書欄に
出久根達郎氏の書評が掲載されておりました。
とりあげている本は、小林康達著「楚人冠 百年先を見据えた名記者 杉村広太郎伝」(現代書館)。そして小林康達氏は「42年生まれ。千葉県我孫子市教育委員会文化課の嘱託職員。」とあります。
書評の最後はというと
「・・何より彼の思想である。洒脱(しゃだつ)な文章の魅力をもっと紹介してほしかった。」とあります。
最初の方には、こうもありました。
「・・膨大な文業は、18巻もの全集に集成された。特筆すべきは、稲わらに火をつけて村人を津波から避難させた豪商浜口梧陵の伝記だろう。同郷人であり、梧陵の末子と親友のよしみから、大正9年にまとめた本書は、現在も梧陵伝の第一級資料である(全集の7巻に納められている)。楚人冠の足跡は、近代史であり文学史である。・・・」

そういえば、昨年9月に出た
出久根達郎著「日本人の美風」(新潮新書)の
最初に取り上げられていたのが
「天災と砕身 浜口梧陵と篤志の人々」だったのでした。
あらためて、その箇所だけ読んでみました。
あれ、私は何を読んでいたのでしょう。
と、再読の楽しみ。
うん。浜口梧陵小伝を読んでみなくちゃ。
と思って、すっかり忘れておりました。
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