宮本常一著「私の日本地図14 京都」(未来社)。
これは、宮本常一著作集別集「私の日本地図 全15巻」
そのなかの一冊。
最初は「三十三間堂」からはじまっております。
1965年の三十三間堂南大門の写真があり、
その下に、こんな言葉があります。
「お上りさんにとって京都の町は、
有難い神や仏の世界であり、
『京都へ行く』とはいわないで、
『京都参り』といったものである。」
ふ~ん。京都へ行こう。
と言った時点で、「有難い神や仏の世界」は
もう眼中になくなっているのでしょうか?
その7ページ目に「関東人の京参り」という
小見出しがありますので、引用しておきます。
「それについて私にはひとつの思い出がある。
昭和21年(1946)であったと思うが、
東海道線湯河原駅の近くに鍛冶屋という在所があり、
そこへいったことがある。
ムラの70歳から上の老人たち七、八人に
集まってもらって話をきいたのだが、その折、
どこまで旅をしたかについてきいてみると、
『京は京参りといって必ず参ったものだ』という。
たいていは伊勢参りを掛けた旅であった。
さて東京は、ときいてみると、
『ハァ江戸かね、江戸は見物じゃ。
江戸へはまだ行ったことがないね』
という老人がほとんどであった。
江戸が東京になって80年もったいるのに、
感覚的にはまだ江戸としてうけとめている。
そしてその江戸へは、いったことがないという。
それで私はこの話を何回も方々で話してみた。
関東平野に住む者でも、これに近い感覚を
持っていた百姓の老人は少なくなかった。
つまり、日本の一般民衆は意外なほど
京都を聖なる地として強く印象していたのである。」
はい。還暦過ぎの京都参りをすると、
あれこれ、視点が深まってゆきます。
これは、宮本常一著作集別集「私の日本地図 全15巻」
そのなかの一冊。
最初は「三十三間堂」からはじまっております。
1965年の三十三間堂南大門の写真があり、
その下に、こんな言葉があります。
「お上りさんにとって京都の町は、
有難い神や仏の世界であり、
『京都へ行く』とはいわないで、
『京都参り』といったものである。」
ふ~ん。京都へ行こう。
と言った時点で、「有難い神や仏の世界」は
もう眼中になくなっているのでしょうか?
その7ページ目に「関東人の京参り」という
小見出しがありますので、引用しておきます。
「それについて私にはひとつの思い出がある。
昭和21年(1946)であったと思うが、
東海道線湯河原駅の近くに鍛冶屋という在所があり、
そこへいったことがある。
ムラの70歳から上の老人たち七、八人に
集まってもらって話をきいたのだが、その折、
どこまで旅をしたかについてきいてみると、
『京は京参りといって必ず参ったものだ』という。
たいていは伊勢参りを掛けた旅であった。
さて東京は、ときいてみると、
『ハァ江戸かね、江戸は見物じゃ。
江戸へはまだ行ったことがないね』
という老人がほとんどであった。
江戸が東京になって80年もったいるのに、
感覚的にはまだ江戸としてうけとめている。
そしてその江戸へは、いったことがないという。
それで私はこの話を何回も方々で話してみた。
関東平野に住む者でも、これに近い感覚を
持っていた百姓の老人は少なくなかった。
つまり、日本の一般民衆は意外なほど
京都を聖なる地として強く印象していたのである。」
はい。還暦過ぎの京都参りをすると、
あれこれ、視点が深まってゆきます。