後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

クリミア住民投票結果に対して地方分権主義のアメリカ人の困惑

2014年03月18日 | 日記・エッセイ・コラム

Taihokokiはじめから相撲の話で恐縮ですが左はウクライナ人と日本人の妻の間に生まれた名横綱、大鵬の記念館の前にある像です。

北海道の弟子屈市湯の川温泉にあります。大鵬は強かっただけでなく家族を愛し、弟子たちを育て素晴らしい人格者だったのです。弟子屈市にある記念館にはその様子を示す多くの写真や資料が展示してあります。

現在の横綱白鵬も非常に尊敬している立派な横綱でした。

このように遠方でなじみの無いウクライナでも意外な絆があるのです。ウクライナ人に人間的な親しみを感じます。

そこでウクライナで起きている騒動を少し人間的な感性から考えて見たいと思います。

一昨日ウクライナの一つの自治共和国のクリミア自治共和国で住民投票が実施され、圧倒的多数の住民がロシアへの帰属に賛成しました。

この住民投票はウクライナの憲法に書かれていない一地方だけの住民投票なので憲法違反です。

しかし住民の日常の生活感からロシアに帰属したいと言うのですから仕方が無いと私は感じています。

この問題を中央政府の権限と地方政府の地方分権との観点から考えて見たいと思います。すると私は地方分権が好きなのでクリミア半島の住民投票結果を支持したいと感じています。

このように書くのは実はアメリカ人の個人的な感じ方と同じではないかと思うからです。

アメリカはワシントンDCに連邦政府がありますが地方の州ごとに州政府がありそれぞれの州は違った法律や規則を持っています。

ですから結婚や離婚に関する法律も違います。教育内容も住民主体の教育委員会が決まめす。ですからダーウィンの進化論を教えることを禁止している州もあるそうです。犯罪をおかしても他の州に逃げて行けば、なかなか捕まらないのです。

このように地方分権が強いアメリカに住んでいる人々は内心ではクリミア半島の住民投票結果を支持している筈です。

オバマ大統領もアメリカ人の感じ方を知っていますからロシアに対して荒っぽい制裁をしないのです。

今朝の新聞では制裁としてロシアやウクライナの要人11人の米国内の資産凍結と渡航禁止を発表しました。これは制裁にならないと私は感じています。大体、ロシアの高官がアメリカに資産を持っているでしょうか?アメリカへ渡航したいと思っているでしょうか?どうもアメリカの大国としての面子を保つための制裁のように感じられます。

それよりもロシア軍がウクライナ本土の東部に侵入、占領したらアメリカ軍はウクライナ本土防衛のために軍隊を派遣するのでしょうか?

この大きな決断もしないで弱腰外交をしていればプーチンさんのやりたいことをただ眺めているだけで終わりそうです。

この民主主義国家の強い地方分権姿勢がオバマ大統領の弱腰の一つの原因になっているようです。それは人権外交を押し進め、チベットやウイグル地方の独立に同情的なアメリカ人の感性からクリミアの独立とロシア帰属を本音では支持していると私は感じています。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。

後藤和弘(藤山杜人)

======下に参考資料を示します===============

【ウクライナ情勢】東部でも親ロシア派が住民投票要求 ウクライナ

16日、数千人もの親ロ派住民が北東部のハリコフで声を上げ、警官隊とにらみ合いも(AP)

「東部でも親ロシア派が住民投票要求 ウクライナ」  2014.3.17 21:24 

http://sankei.jp.msn.com/world/news/140317/erp14031721250017-n1.htm

16日、数千人もの親ロ派住民が北東部のハリコフで声を上げ、警官隊とにらみ合いも(AP)

 【シンフェロポリ(ウクライナ南部)=内藤泰朗】ウクライナ南部クリミア自治共和国で16日にロシアへの編入を問う住民投票が行われたことを受け、ロシア系住民が多い北東部ハリコフでも、同様な住民投票の実施を求める動きが出てくるなど、ウクライナの政治情勢がさらに不安定化する懸念も出てきた。

 ハリコフからの報道によると、2人が死亡、5人が負傷した14日の衝突を受け、16日にも親ロシア派住民がロシア編入を問う住民投票の実施を求めてデモを行った。一部の過激勢力は地元の文化センターを襲い、ウクライナ語の本を焼くなどして緊張が高まっている。

 ウクライナからの分離を目指すこうした民族主義的な動きは、東部ドネツクや北東部ルガンスクなどでも起きているという。

 ウクライナ暫定政権のヤツェニュク首相は16日、新たに創設した国家防衛隊2万人に出動命令を出し、ロシア系住民が多い地域で拡大する分離の動きに対抗措置を取り始めた。

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キエフの聖ソフィア大聖堂と関連する修道院群及びキエフ・ペチェールシク大修道院-

(1990年、文化遺産 :http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%8A )


庭に桜の一種が咲きました!

2014年03月17日 | 写真

サクランボを孫達が食べるようにと植えた木が今年も葉が出る前に花を咲かせました。ナポレオンで毎年少しですが成ります。普通の桜花のように見えます。記念に写真を撮りましたので掲載いたしました。

庭には山椿や紅梅白梅も咲いていて、こんな小さな庭にも春が来ました。

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春の房総半島へのいざない(2)海の青さと菜の花畑の色彩を楽しむ旅

2014年03月17日 | 写真

房総半島の南岸には黒潮ラインという自動車道路があります。信号のある普通道路なので青い海と花畑の景観を楽しみながら走れます。フラワーラインは館山から和田まで46キロメートル続いています。

車窓から見ているとカラフルな花畑の間に懐かしい菜の花畑が点在しています。

ゆっくり写真を撮ろうと考えて、「ちくら潮風王国」 http://shiokaze-oukoku.jp/)の周囲の畑の中を散歩しました。

そして、道の駅「ローズマリー公園」 (http://www.rosemary-park.jp/の外側にも菜の花畑が広がっていました。

下にこの2ケ所で撮った写真をお送りします。お楽しみ下さい。

まず道の駅ちくら潮風王国の前の海の写真です。

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そして下の2枚は千倉の花畑の中で撮った菜の花です。

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そして下はローズマリー公園です。

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下の2枚の写真はこの公園の外側に広がる菜の花畑です。

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撮影日時は3月15日の午前中でした。


深遠な愛国心の重要性(5)仏教国日本と偏狭な愛国心

2014年03月17日 | 日記・エッセイ・コラム

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(写真の出典は、http://dekowalker.at.webry.info/201201/article_6.htmlです

上の写真は多くの日本人が好きな風景と信じます。挿絵の代わりにしました。

さて今日は連載記事、「深遠な愛国心の重要性」の最終回の記事を書きたいと思います。

結論を先に書きます。

隣国を非難、罵倒し、軍事力だけに頼る愛国心を私は「偏狭な愛国心」と考えています。それは日本へ禍いを招き、日本人を不幸にする危険な愛国心です。

それに対して「深遠な愛国心」とは国際社会の連帯のなかで同盟国と調和を取りながら、仮想敵国の危険性を最小にするという愛国心です。

一番重要なことは国際社会のなかで賢明な外交を展開し、仮想敵国が攻撃出来ないようにすることです。

そして軍備は戦争の抑止力になる現実を理解し、それを常に増強し、維持する努力も大切です。

この深遠な愛国心では、日本は仏教国なので、お釈迦様の教えを思い出しながら行動をとることが良いと信じています。

お釈迦様は人や動物や全ての生き物を殺すなと教えました。

ですから戦争も禁止です。しかし愚かな人間はお釈迦様の教え通り出来ません。

仮想敵国が日本へ攻め込んで来たら、私は銃を取り、戦う決心をしています。お釈迦様の教えに反して戦います。

しかし戦いながら以下のように先の大戦の間に、反戦を主張した僧侶が居たことを考えています。そして悲しみながら銃を撃ちます。

私の「深遠な愛国心」とはそのようなものです。矛盾に満ちています。

それはさておき、戦争中に国家目標に逆らって、お釈迦様の教えの尊厳を守った僧侶もいたのです。

その一例が左の写真の竹中彰元 師です。(出典は、http://www1.ocn.ne.jp/~yosisi/newpage2.htm です。)

このブログの記事、あなたは宗教が戦争を起こすと思っていませんか?でもご紹介した方です。

昭和12年に日中戦争反対を公言して、昭和20年の敗戦までその主張を変えませんでした。

陸軍刑法の流言飛語罪で禁固4か月の刑をうけましたが、仏の教えに従ってまでなので考えは変わらないと敗戦まで主張続けたのです。

C991 詳しくは「竹中彰元」を検索すると沢山の資料が出てきます。左に竹中師の写真を示します。

竹中彰元を破門した大谷派は70年後に破門が間違いだったとして竹中師の名誉回復をしたのです。

さて、続いて、戦争反対を主張した僧侶をもう一人http://blogs.yahoo.co.jp/pen_tsuyoshi/34608018.htmlからご紹介します。

それは2007年3月に80歳で亡くなった植木等さんの父親でした。知る人は少なかったのですが、植木等さんの父は筋金入りの反戦平和主義の僧侶だったのです。

名前は植木徹誠と言います。三重県伊勢市の大谷派の常念寺の住職でした。

「戦争というものは集団殺人だ」などと説教していたのです。当然、治安維持法違反で逮捕です。そして4年間も投獄されていたのです。

等は小学生だったが、牢屋にいる父の住職の仕事を代行して、お経をあげたり檀家の世話をしていたそうです。そして牢屋にいる父へために毎日自転車で鶏卵を差し入れに行っていたそうです。

父は息子へ「等(ひとし)、いいか、戦場に行っても絶対に銃を撃つんじゃないぞ」と言っていたそうです。

植木等がコメディアンとして有名になった後も父の話を忘れませんでした。大部分の芸能人が自衛隊の後援会に入っていますが、植木等だけは終生入会しませんでした。

ちなみに等(ひとし)という名前は人間はお釈迦様の前ではみんな等しいのだということで父の徹誠がつけた名前だそうです。

最近の日本ではどうも偏狭な愛国心を叫ぶ風潮があるようなので危惧しています。そんな想いでこのような連載記事を書きました。

愛国心は人それぞれにその中身は違います。他人へ愛国心を持てと言ったとたん怪しい中身になってしまいます。ですから私の連載記事に賛成して下さいとは絶対に言いません。そんな気持は始めから毛頭ありません。ただ言いたかったことは各自が深く考えた方が良いのではないかということだけです。

お読み頂いた全ての方々へ深く感謝いたします。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。

後藤和弘(藤山杜人)


春の房総半島へのいざない(1)自分の手で花々を摘む楽しさ

2014年03月16日 | 日記・エッセイ・コラム

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関東に住んでいる人々が週末に家族で旅をする場合とかく富士・箱根・伊豆半島へ行くことが多いようです。宿泊設備がととのっていて、サービスも洗練されています。

しかし房総半島はなんとなく敬遠されがちです。よく言えば素朴で、洗練されていないのです。その房総半島へ行ってきました。白浜房総ホテルに一泊の旅でした。

この旅で、大変楽しいことを幾つか発見しました。そこで春の房総半島の楽しみをご紹介したいと思います。

まず何と言っても花畑に入って好きなだけ花摘みが出来る事です。これは女性にとっては大変楽しいことのようです。自分の気に入った色彩の花を切って大きな花束が作れるののです。

もちろん有料ですが都会の花屋さんと比べると非常に安価な上、自分で花を取る楽しみが素晴らしいのです。同行した高齢のご婦人方が皆少女時代に還ったようにはしゃいで思い思いに花を切っています。

場所は「道の駅ちくら潮風王国」(http://shiokaze-oukoku.jp/)の向かい側に花摘みの受付をする出店が沢山並んでいます。その前に無料駐車場が広がっています。

その出店で申し込むと裏の花畑へ案内してくれます。畑に着くと花ばさみを貸してくれます。ストックは一本100円くらいでポピーなどの他の花は3本100円とか値段を教えてくれます。あるいは10本、20本と申し込むと格安になります。おまけに2,3本追加してくれます。キンセンカ、キンギョソウなどもあります。

を切り取るときは長く、茎の根元で切ります。花束が出来ると農家のおばさんが束が萎れないように新聞紙で包み、細長いビニール袋に入れてくれます。

家では毎日、水切りをして新しい水にすると2週間以上も花が長持ちするそうです。

の花摘みを家内が大変楽しんでいました。私はその花畑を通り越して、花畑のあぜ道を散策しながら他の花畑の写真を撮ってきました。

春の陽光が射し、生暖かい潮風が公園の向こうの海から吹きこんでいました。沖を黒潮が流れているので一足早く春がきたようです。

このように花畑にお客を迎え、自由に花々を取らせている光景は関東地方では、房総半島にだけあるようです。春の風物詩です。

南房総の花々の栽培は遠く明治時代に間宮七郎兵衛という栽培家の努力によって始まったと伝えられています。

春の房総半島の旅の楽しみの一つとして、この花摘みがお勧めです。お出掛けになってはいかがでしょうか?

それはそれとして、

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

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水辺に咲く梅の花の風情

2014年03月15日 | 写真

梅の木が数百本と並んでいる梅林が一斉に咲き出した風景は華やかで良いものです。

しかし水辺にある一本の梅の木が楚々と花を咲かせているのは何とも言えない風情があるものです。

一昨日、そんな光景に神代植物公園で出会いましたので、下にお送りいたします。

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深遠な愛国心の重要性(4)アジアを蔑視する愛国心の危険性

2014年03月15日 | 日記・エッセイ・コラム

日本の明治維新以来のあらゆる分野における発達や成長は欧米からの文明の輸入によるとこが大きいのです。これは客観的事実と認めざるを得ません。

この事実から日本人は欧米だけを尊敬し、アジア諸国をとかく蔑視しがちです。

特に最近、韓国や中国を差別して非難する人々が増大しました。非難したり、悪口を言うことが愛国心だと思っている人さえいるようです。しかし私はこのような愛国心に疑問を感じています。

何故なら「愛国心」とは、そもそも自分の国を愛し、その発展に役に立つことを実行することです。

現在の世界は全ての国々が経済的に深い関係があり、一国だけの独断で他国を侵略し、征服することが不可能になっているのです。

従って日本のいろいろな分野での将来の発展は国際的な連帯を上手に利用しなければ不可能なのです。

こで日本を取り巻く国際情勢を考えてみましょう。すると日本の将来の安全と発展を脅かす潜在的に危険な国は中国です。

この巨大に成長しつつある中国に対抗するために、日本は韓国、台湾、フィリッピン、インドネシア、マレーシア、ベトナム、タイ、ミャンマー、インド、パキスタンなどなの諸国と、強固な信頼にもとづいた友好関係を樹立しなければならないのです。

そのような冷厳な国際関係のなかで日本が韓国と抗争を続けていればとてもアジア諸国との連携協力など不可能なことは誰の目にも明白です。

ですからこそアメリカ政府は日本と韓国に露骨に圧力をかけて両国の悪い関係を是正しようとしているのです。

このような事態にいたっては韓国を差別し、非難し、悪口を言うべきではないのです。

日本人がアジア人としての自覚と誇りを持つことが非常に重要なのです。そうすれば韓国、台湾、フィリッピン、インドネシア、マレーシア、ベトナム、タイ、ミャンマー、インド、パキスタンなどなの諸国との強固な連携が自ずと出来上がるのです。

欧米人だけを尊敬して、アジア人を蔑視する日本人の愛国心は日本の安全保障にとって非常に有害なのです。

ついでに付言すれば中国が危険な国だからといって、その悪口を言うことも日本にとって損な現象を中国に起させる可能性を大きくしているのです。

悪口を言いたいのは人間の性(さが)です。それを自制して日本の安全をより確かなものにすべきではないでしょうか?それが愛国心と私は信じています。

下に韓国の新羅の首都だった慶州のお寺の写真を示します。韓国を尊敬するように努力すれば日本の安全保障になるのです。

それはそれとして、

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

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上の3枚の写真の出典は、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%85%B6%E5%B7%9E%E5%B8%82です。


神代植物公園の花々(2)温室の熱帯植物と花々

2014年03月14日 | 写真

冬になり武蔵野の雑木林が落葉してしまうと無性に緑の樹木が恋しくなります。

そこで冬には何度も神代植物園の温室へ行きます。そこには緑豊かな熱帯植物がみずみずしく繁っているのです。

昨日撮って來た写真を下にお送りいたします。緑の植物をお楽しみ下さい。

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深遠な愛国心の重要性(3)私の愛国心は外国体験から強められた

2014年03月14日 | 日記・エッセイ・コラム

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上は日本の象徴のような富士山の写真です。山中湖から見た富士山です。

(写真の出典は、http://www.geocities.jp/h_kaise3/です) 

日本人なら誰でもこの国を愛していると思います。

愛国心を特に意識していない人でも、心の奥底には自分の住んでいる町、そしてその町の平和を守ってくれている日本という国を大切に思っています。

しかしその無意識下の愛国心は外国旅行をしたり、外国に住んみると判然とし、言葉で明快に説明出来るようになります。

私も若い頃アメリカに留学し、しばらく後にドイツやスエーデンに住んだことがあります。

外国ではどうしても人間の悲しい性(さが)でいろいろな差別やさげすみに会います。

するとそれに打ち勝つために日本は素晴らしい国だ、日本人は優秀な民族だという思いが強くなります。そして日本の素晴らしさを具体的に拾い上げます。日本人の優秀な分野を具体的に考えます。

素晴らしいことは自然の四季折々の風景が美しいことです。仏教国として静かな佇まいの神社仏閣の美しさがあります。日本人の素晴らしさは誠実さにあります。例えば、250年間にわたる隠れキリシタンの歴史は日本人の宗教的誠実さを証明しています。私はこれらのことを誇りに思っています。

そして日本人の優秀な分野はその社会生活にあります。お互いに遠慮深く整然とした社会生活を送っています。

野蛮なテロや商店の略奪がありません。

そして優秀な分野の一つに世界一の技術があることです。日本人の作った電子機器や家電製品の品質の良さは有名です。自動車や新幹線は世界中に行き亘っています。

こんな良い国を私は強く愛しています。

さてその私の愛国心の特徴は、「絶対に外国の悪口を言わない」という特徴があります。外国に住んだ結果として、愛国心が強くなった人には絶対に外国の悪口が言えないのです。そのような傾向があるのです。

外国に住んでいると周囲の外国人の好意的な助けがあるのです。差別もされますがひどく親切にもしてくれます。

悪い人もいますが、日本人では考えられないほど底抜けに善良な人がいます。ですからどこの国の人は良く、どこの国に人は悪人ばかりだとは絶対に言えなくなるのです。

最近、多くの日本人は韓国人や中国人の悪口を言います。

しかし私にはそれが出来ないのです。

韓国人や中国人が悪いのならアメリカ人もフランス人もドイツ人もそして日本人も同じくらい悪いのです。ですから韓国人や中国人だけを差別して悪口を言うのは間違っています。

このように書くとある一群の人々は私を愛国心が無いと非難します。売国奴だと言います。

私は韓国人や中国人の悪口を言うことが愛国心だとは思いません。

愛国心とはもっと深遠なものであるはずです。

そんなことを想う今日この頃です。

それはそれとして、

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)


国際関係を客観的に観察する努力の重要性

2014年03月13日 | 日記・エッセイ・コラム

人間は客観的に考えることが苦手です。自分の利害をまず優先しがちです。

ですから安倍総理の靖国参拝がアメリカやヨーロッパ諸国で評判が悪いかが理解出来ません。しかし今朝の読売新聞11面にその説明があります。日本に長く滞在しているイギリスのタイムズ紙のパリー支局長の対談が安倍総理の思想の問題点を明快に説明しているのです。

欧米諸国は靖国参拝だけだったら黙認します。しかし日本の総理大臣と、その政権の中枢の人々が太平戦争は侵略ではなかった。アジア解放のための戦争だったと主張しているのです。欧米人はそういう考えは受け入れられないと警戒しているのです。

戦後の歴代の総理大臣は、誰一人も太平洋戦争を侵略でなく解放のための正しい戦争だったと主張しなかったのです。

安倍総理もあからさまには言いませんが、アメリカ政府の反対を無視して靖国参拝をしたので、侵略では無かったという思想の持ち主だと判断されたのです。

日本人の一部は安倍総理の思想に賛成です。

しかし欧米人は、「太平洋戦争は侵略戦争だ」と現在でも認識しているのです。どちらの認識が正しいのか間違っているのかは問題ではありません。

国際関係を客観的に観察すると、欧米人は太平洋戦争は侵略戦争だったと信じている現実を理解しなければなりません。それが国際関係の客観的見方なのです。

歴史の解釈の仕方を議論しても虚しいのです。問題はこの欧米の考え方に日本の政権が賢く対応し、日本の国益を守ることが一番重要なのです。

最近の日本をとりまく国際関係は日韓、日中の関係から飛び火して日本と欧米との関係までに広がっているのです。困った問題です。

国際関係を客観的に見るもう一つの例を書いてみます。

それはクリミア半島をロシアが武力の助けを借りて占領した事件に関する報道姿勢です。武力を使ったロシアを非難すべきですが、「泥棒にも三分の理」というようにその半島を盗ってしまう理由があるはずです。

はっきり言えばクリミア半島の歴史とロシアとの関係を客観的に報道していないのです。もともとそこに住んでいたイスラム教のタタール人のことも書いていません。

もうすこし深い歴史的考察にもとづいた報道こそが国際関係の客観的報道と言えるではないでしょうか。末尾にそこにあるヤルタの町の写と参考資料を付けておきます。

それはそれとして、

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

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===参考資料====================

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%9F%E3%82%A2%E5%8D%8A%E5%B3%B6より。

ジェノヴァ時代とタタール人

13世紀になり、ジェノヴァ人は、クリミア半島の沿岸にある競争相手ヴェネツィアの植民地を破壊したり、占領したりしており、自らは、イェウパトーリア(ユーパトリア)、チェンバロ、スグダイア、カッファ(フェオドシア)などに植民地を建設し、活発な商業活動を行った。

一方、タタール人は、13世紀の初期に半島の北部と中央部に留まった。ジョチ・ウルスがティムール帝国によって滅亡させられた後、チンギス・ハーンの子孫であり、ハージー・ギレイをハーンとするクリミア・ハン国(1441年 - 1783年)が成立した。彼は最初クリミア一帯を統治していたが、15世紀初頭にはバフチサライも領土に含めた。しかし、立場はオスマン帝国の属国の王として、1478年から帝国の滅亡する1777年まで統治した。

ロシア時代

オスマン帝国が露土戦争(1768年 - 1774年)にてロシア帝国に敗れると、クリミア・ハン国はロシアに従属するようになり、その後1783年、クリミア半島全域がロシア帝国に併合された。

クリミア戦争(1853年から1856年)の舞台となり、激戦地セヴァストーポリで行なわれたセヴァストポリの戦い(1854年10月17日 - 1855年9月11日)はよく知られている。

ソ連時代

第二次世界大戦では、ソビエト連邦の大祖国戦争((独ソ戦)における激戦の舞台となった。セヴァストーポリでは、侵攻して来たドイツ軍との間にセヴァストポリの戦い(1941年12月17日 - 1942年7月4日)が起きた。

1944年、タタール族の人々(クリミア・タタール人)は対独協力を恐れたヨシフ・スターリン政権によって強制的に中央アジアに移住させられ(クリミア・タタール人追放)、クリミア半島はロシア・ソビエト連邦社会主義共和国の一部として統治された。

ヤルタ会談(1945年2月4日~2月11日)。 以下省略。


神代植物公園の花々(1)パンジーなど、そしてネコヤナギ

2014年03月12日 | 写真

今日は急に春らしく暖かい日になりました。庭の温度計が19度を指しています。

2週間前に雪道でネンザした足の痛みもウソのように取れ、普通に歩けるようになりました。

午後から一人でカメラを持って神代植物公園へ行き、花々の写真を沢山撮ってきました。いろいろな花の写真がありますので何回かに分けてお送りいたします。

まず春の気配濃厚な植え込んだ花々の写真から掲載いたします。最後のネコヤナギだけは池のほとりに自生していたものです。

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小さな幸せが大きな幸福へ(7)旧友から送られた写真に小さな幸せ

2014年03月12日 | 日記・エッセイ・コラム

今日は東日本大震災の三周年忌の翌日です。全ての犠牲者の方々のご冥福をお祈りいたします。そしてご遺族の方々の悲しみが少しでも癒えるようにとお祈り申し上げます。

最近、大震災の悲しい記事が新聞に沢山出ています。私は高齢ながら生きていることに毎日感謝しています。そうして小さな幸せを大切にし、心豊かに老境を過ごしたいと願っています。

今日の小さな幸せは、56年も昔からの旧友、近藤達男さんから頂いた手紙と写真から頂いた幸せです。

彼は情熱的で、人間が好きで、筆まめです。時々、特別な用がなくてもほのぼのとした手紙を送ってくれます。真摯な研究者でした。学者でした。

その彼から久しぶりに手紙がきて東北新幹線の車窓から撮った蔵王連峰と安達太良山の写真を送ってくれました。仙台の大学でまだ働いているのです。

蔵王連峰はよく登った山でした。宮城県側の遠刈田温泉、青根温泉、峩々温泉などに泊まりながら何度も登りました。冬には山形側の高湯温泉から地蔵岳のザンゲ坂の樹氷地帯でスキーをしたものです。

彼から送って貰った写真で昔の楽いし思い出が蘇ってきて幸せを感じています。彼の昔から変わらぬ友情に感謝しています。

下にその蔵王連峰の写真を2枚示します。

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彼は高性能のカメラを持っているようです。高速の新幹線からこんなに鮮明な写真を撮ったのです。下は宮城県側の最高峰の杉ケ峰の主峰のようです。

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さて次は安達太良山の写真2枚です。 福島県の二本松あたりを通過している列車から撮った写真のようです。

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安達太良山と言えば家内の良く口にしていた『智恵子抄』の詩を思い出します。

            智恵子は東京に空がないと言ふ
            ほんとの空が見たいと言ふ
            私は驚いて空を見る
            桜若葉の間に在るのは
            切っても切れない
            むかしなじみのきれいな空だ
            どんよりけむる地平のぼかしは
            うすもも色の朝のしめりだ
            智恵子は遠くを見ながら言ふ
            安多多羅山の上に
            毎日出てゐる青い空が
            智恵子のほんとの空だといふ
            あどけない空の話である

家内は一緒に私の故郷の仙台に里帰りするたびに列車が二本松付近を通過するたびにこの詩を唱えるのです。

その上、山梨県の清春美術館に智恵子さんの油絵がありましたねと話すのです。

その様子がとても幸せそうなのです。昨日、近藤さんから送ってくれた安達太良山の写真の話をしたら、また「智恵子は東京に空がないと言ふ、ほんとの空が見たいと言ふ」と唱えます。

こうして昨日、今日と幸福な老境の日々が過ぎて行くのです。

近藤達男さん、写真を送って下さって有難う御座いました。感謝しています。

それはそれとして、

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

====参考資料===============

1259198943010162232351 高村 智恵子(たかむら ちえこ、1886年5月 - 1938年10月、旧姓長沼)は、日本の洋画家。夫は彫刻家・詩人の高村光太郎。夫の光太郎が、彼女の死後に出版した詩集『智恵子抄』で有名である。

明治19年長沼智恵子は安達太良山の麓、福島県安達町(現在は二本松市)に生まれる。
日本女子大学校家政科に入学後、洋画に興味を持つ。
卒業後も東京にとどまって油絵を学び、その後高村光太郎と知り合って大正3年に結婚する。

智恵子はどうしても東京に馴染むことが出来ず、一年のうち三四ヶ月は実家に帰っていた。
「東京に空がない」という智恵子の痛切な訴えを、光太郎は「あどけない話」として受け止めている。(http://75286389.at.webry.info/200911/article_16.html より)

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下は、http://www.h4.dion.ne.jp/~yamataro/adatarayama-tiekosyo.htmlからです。

結婚から10年後の作品。最も幸福に満たされている時代の詩。光太郎が東北福島にある智恵子の実家に帰省していた時のもの。ここに出てくる阿多多羅山とは、現在の安達太良山(あだたらやま)で、福島北部にある火山。智恵子の実家は酒蔵でした。

                  

  ~樹下(じゅか)の二人~

あれが阿多多羅山(あたたらやま)
あの光るのが阿武隈川(あぶくまがわ)

こうやって言葉すくなに坐っていると、
うっとりねむるような頭の中に、
ただ遠い世の松風ばかりが薄みどりに吹き渡ります。
この大きな冬の始めの野山の中に、
あなたと二人静かに燃えて手を組んでいるよろこびを、
                  下を見ているあの白い雲にかくすのは止しませう。

あなたは不思議な仙丹(せんたん)を魂の壺にくゆらせて、
ああ、何といふ幽妙(ゆうみょう)な愛の海底(ぞこ)に人を
誘ふことか、
ふたり一緒に歩いた十年の季節の展望は、
ただあなたの中に女人の無限を見せるばかり。
                  無限の境に烟(けぶ)るものこそ、
こんなにも情意に悩む私を清めてくれ、
こんなにも苦渋を身に負ふ私に爽かな若さの泉を
注いでくれる、
むしろ魔物のように捉えがたい
妙に変幻するものですね。

あれが阿多多羅山、
あの光るのが阿武隈川。

ここはあなたの生れたふるさと、
あの小さな白壁の点々があなたのうちの酒蔵。
それでは足をのびのびと投げ出して、
このがらんと晴れ渡った北国の木の香に満ちた
空気を吸おう。
あなたそのものの様な此のひんやりと快い、
すんなりと弾力ある雰囲気に肌を洗はう。
                  私は又あした遠く去る、
あの無頼の都(東京)、混沌たる愛憎の渦の中へ、
                  私の恐れる、しかも執着深いあの人間喜劇のただ中へ。
ここはあなたの生れたふるさと、
この不思議な別箇の肉身を生んだ天地。
まだ松風が吹いています。
もう一度この冬のはじめの物寂しいパノラマの地理を
教へて下さい。

あれが阿多多羅山、
あの光るのが阿武隈川。


湿地帯に漂う春の気配を撮ってきました

2014年03月11日 | 写真

湿地帯の春の気配を写真に撮ろうと思いました。

国立市の矢川の上流地帯の湿地帯です。青柳北緑地という公園になっています。

柳が薄緑になって湿地の水面に写っています。流れの水もぬるんでいるようです。

地面に緑のヨモギやハコベが芽を出しています。春の気配が漂っているようです。

下に写真をお送りいたします。春の気配をに感じて下されば嬉しく思います。

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こんな荒っぽいロシア海軍の作戦をどう思いますか?

2014年03月11日 | 日記・エッセイ・コラム

ロシア海軍はウクライナ海軍の艦艇を封じ込めるために自分の艦艇を沈めたようです。

昨日、その写真を、ウクライナ海軍を封じ込めるために、自沈させたロシア海軍の艦艇・・・その荒っぽさに胸が痛む と題する記事で紹介いたしました。

私は25年間、ヨットの趣味をしていましたので自分の船を爆破して湾の入り口に沈めるという暴挙に大変ショックを受けています。その行為は神の冒涜のように感じられるのです。

本当のことと信じられないのでネット上の情報をいろいろ調べてみました。するとその情報の元はNHKネット版ニュースでした。

その他にロシア語のようなURLで沈んだ艦艇が波に洗われている様子を示す動画がありました。場所は、クリミア半島のドヌズラフ湾のようです。そして沈めた船は大型対潜艦オチャコフという名前らしいのです。

日本の新聞やテレビで報道されないようなので不思議に思っています。

何かその理由をご存知の方にお教え頂きたいと思い、もう一度以下に掲載いたしました。

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以下はhttp://military38.com/archives/36860714.html より転載しました。

ウクライナ情勢を巡り、欧米各国は、ロシアが強硬な姿勢を続けた場合制裁を強化する方針を確認しました。
一方、ロシア軍は、事実上掌握している南部のクリミア半島で、黒海につながる湾の出入り口に退役した
艦艇を沈めていて、ウクライナ海軍の動きを封じ込めるねらいがあるとみられます。
「(中略)」
また、クリミア半島西部のドヌズラフ湾では、黒海に通じる湾の出入り口にロシア海軍の退役した艦艇が横倒しの
状態で沈められています。
これについて、ウクライナ国防省は、今月5日にロシア軍がみずから沈めたもので、湾内に停泊している
ウクライナ海軍の艦艇の動きを封じ込めるねらいがあると批判しています。
引用元:NHKネット版ニュース(http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140309/k10015830551000.html

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ドヌズラフ湾に沈んだ大型対潜艦オチャコフ :<time title="投稿時刻: 2014年3月06日 11:26:24 (UTC)" class="dt-updated" datetime="2014-03-06T11:26:24+0000"></time>

2014年3月6日 8:26 PM

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上はドヌズラフ湾の大体の位置です。

動画は、http://www.youtube.com/watch?v=TdA9AxXDDJ8にあります。是非ご覧ください。