おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

浪花節だよ人生は

2005-08-10 12:46:40 | 世間世界
 マスコミの報道を見る限り、コイズミさんを軸として自民党議員の動向ばかりを取り上げています。反対派はどうするのか? 造反議員に対して対立候補をどうたてるのか? 地元の支持者たちはどう対応するのか? どこも議員の苦衷を取り上げ、結果的には自民党内の駆け引き報道に終始しています。
 一方で、郵政改革法案をなぜ否決したのか? 今日の朝日の社説でも力説しています。見事にコイズミ手法に絡め取られたかのような表現です。コイズミ的やり方や、これまでのコイズミ政治の方向性に異議すら唱えません。
 TVでも自民党議員ばかりが続々登場し、反対派はその悩みを語り、執行部はコイズミ手法に乗っかって、自信満々の表情を振りまいています。今回の解散は、改革に反対・賛成の選択だ、その象徴が郵政民営化に賛成か反対かだ、とするコイズミさん。
 実は、そういう言い方で、これまでのコイズミ政治をこの一点にだけで信任・不信任させる、という実に姑息な政治手法なのです。このことをしっかり見ぬかなければならないと思います。
 郵政民営化は賛成だが、コイズミさんのやり方は納得できない、こういう考えの国民も多いと思いますが、改革にイエスかノウか、という踏み絵のみで、選挙への投票行動を規定するやり方にごまかされてはいけない、と思うのです。
 コイズミさんたち執行部は、賛成しなければ解散だ、解散だ、と脅し。今回の劇で、実弾が飛んだかどうかは分かりませんが、賛成させるためにはあれやこれやの手練手管で迫ったに違いありません。
 コイズミ政治の根幹は、非情なまでの反官僚主義だったはずです。それに連なる情実や馴れ合いや派閥や・・・、そうした旧態依然とした政治の在り方を真っ向から批判し、変えようとした点にあったはず。しかし、そうした理念は置いたまま、実際の手法は、手を変え品を換えの心情や個人的利益に訴えた、恫喝政治。
 このことに感情的に反発した議員の反対行動。これも、情にからんだ行動でしょう。中曽根さんの反対。おやじが議員辞職させられた恨みを「江戸の敵を長崎で」式での報復劇と見えなくもありません。
 しかし、コイズミさんの4年間。勝ち組負け組とはっきりした、国民の所得格差はついにアメリカ並みとなりました。大企業は、コイズミ政権のもと、社員の生首を切っての徹底した合理化・延命策を行いました。そうして、中小企業は瀕死の重症に陥っています。
 靖国問題でも、ただただ自らの心情レベルで押し通すコイズミさん。国際関係が悪化しようと何しようと無関係・関心がないコイズミさん。これらのことを一番の焦点にした選挙ならば、大いに盛り上げていきたい。
 しかし、今回の解散劇。自らをガリレオにたとえて、国民の感情に訴える。またしても、国民はコロッと騙されそう。初志貫徹はすばらしい、孤軍奮闘は立派だ、反対派はけしからん、(だが、自民党の反対派に対しては心情的に支持する)と。
 もともと関心度は低かったはずの郵政民営化問題が、一番の話題になる。これこそ、コイズミ・マジック。見事にはまりそうになっています。結局は、自民党内の競い合いで選挙を闘う戦法、結果的に自民党・公明党で過半数と見ました。
 民主党の岡田さん。過半数をとれなければ党首から辞任する、とコイズミ発言の二番煎じ発言をしました。どこまで脳天気なのでしょうか。せいぜい自民党・公明党連合の、横暴非道なむちゃくちゃ政治を転換させる程度にしておけばいいのに、と思います。コイズミさんの真似をして、背水の陣如き発言をすることはないと思います。向こうが背水の陣をとったのだから、こっちは一気呵成に敵軍を「どぶ」に突き落とす迫力が必要でしょうに。
 それにしても、日本人。浪花節的行動が相変わらず好きですね。
 昨日の清原と佐々木の対決もその一つ。中日・阪神の首位攻防戦が実に盛り上がった真剣勝負だったのに比べて。何ですかね、昨日の試合は。大事な試合に、ただただ地元球場で母親に見せるために、と清原と一回勝負。投手を途中で交代させ、清原も涙を浮かべて打席に立ち、フォークボールで三振する。新聞も美談のように取り上げています。(今朝の朝日のスポーツ欄は、小生のような見方で書いていますが、社会面では、美談になっていました。)
 佐々木は、たしかに横浜の救世主・大魔人だったかもしれませんが、あの茶番劇は、いったい何なのでしょうか。佐々木は家族を大事にする、病気の母親思いということは分かります。しかし、激烈なプロの勝負の世界で許される行為ではない、とも思いました。
 もうペナントレースは、巨人も横浜も無関係になった、とファンから既に見なされているからこそ、出来た(出来)対決だったのでしょう。大リーグでは、あり得ないと思うのです。この辺りにも、外国から、日本人の考えていること・やることはよく分からない、と言われる原因があると思います。
 勿論、この浪花節的世界・義理と人情の世界が日本人の特質であって、これこそ文化だ、伝統だ、というふうに捉える人も多いでしょう。しかし、そういうふうに思い、行動している限り、日本の政治はよくならないし、経済も世界に互していくのはまだまだ。日本人が世界から信頼される日は遠いと思うのです。
 総選挙も相変わらずのお涙頂戴選挙(そういえば自殺した議員のあとは奥さんが立候補するそうです、これも浪花節的義理と人情でしょうね。)・土下座選挙になるとすれば、そう大きく変化しないままに選挙も終わると思います。
 また、何となくの厭戦気分が投票率の低下を招き、某組織政党だけがまたしても喜ぶ、という結果にはならないでしょうか。
 今回こそ、政策論争・コイズミ・マジックの4年間を総括する選挙にしたいものです。
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