駒大苫小牧の件。意外に「処分反対」「暴力やむなし」の声が聞こえてくる。今朝の朝日の「声」。「優勝取り消しなどもってのほか」。指導者が起こしたことであって、一生懸命努力して優勝を勝ち取った、野球部員の生徒たちには罪はない、と。他の言論でも、「この間の高知の例は、生徒が起こした不祥事であって、今回とは違う」。
寒さ・冬の長い北海道での雪中練習の過酷さ、白雪に白球を追う、その厳しい練習に耐えて、栄光を勝ち得た選手たち。ましてや、ほぼ半世紀ぶりの夏連覇。こうした条件が重なって、「優勝取り消しはしてはならない」の大合唱。
そして、ついには、今回の野球部長の行為を肯定する論調も出てきている。部長の暴力行為に対して、ブログなどでは、「時に鉄拳制裁もやむをえない」との声。まるで「勝てば官軍」の雰囲気といっては、酷だろうか。
もし一回戦で負けていたら、また予選で敗退していたら、厳しい処置(秋の大会出場停止=春の選抜なし)が出たに違いないのに、と思う。ましてや、これまでの高野連の対応なら、事後報告というだけでも、相当きついペナルティが科せられたのではないか。事件が発生直後に報告されていたらどうだったろう。予選の出場権があったろうか。
報道によれば、4発か5発どころか、被害者は40発も殴られたという、部長の手が骨折したとも伝えられる。「4、5発なら出場できるだろう」といって、生徒には事情聴取したとか。相手とも示談にしたとも。
教師の生徒に対する暴力事件の場合、きつい処分が出るのが通例。私立高といえども、今回も教師に対する処分は、厳しい処分が出されるだろう。それが、野球部全体のペナルティに及ぶかどうか。これは、あくまで前例に基づく判断でなければならない。今までこうした暴力行為に対して、高野連の処分が野球部全体には、おとがめなしならば、すぐにそういえば、よい。もたもたすることは、何もない。
もし、「教師の野球部員(生徒)への鉄拳制裁は、教師のみを処分。野球部長の職を解任」で一件落着となる。それが重いのか軽いものかは、判断できない。しかし、それが今後にどういう事態を生じるか。教師の生徒への暴力行為は、あくまでその教師個人の責任問題ではある。しかし、部員間の暴力(上級生が下級生を鉄拳制裁するなど)の場合は、野球部全体の責任で対外試合停止などの処分。この両者の違いをどう見るか。実は、高野連も対処に困っている。
まして、今回も事後報告。それも、マスコミがかぎつけたらしい。そこで、慌てて記者会見をし、それから高野連に報告した。ばれなければ、そのまま通り過ぎたのか。またしても、高知の例と似てきた。高知はそういう事態も含めて、出場辞退させた。さて、今回は、どうするのか。
こうした議論に重なって、態度の悪い生徒には、言って分からなければげんこつくらいはかまわない、といった肯定論が強い。さすがに、40発も殴って相手を怪我させ、自分は骨折するほどやってもいい、とは言わないだろうが。
殴って分からせることも、時には必要だ、というふうに言う。しかし、殴って相手が分かるようなことは、けっしてない。相手に恨みと傷が残るだけだ。親が子供を甘やかすからいけないのだ、とも言う。しかし、親が子供をしかり、頭をはたくこととは、訳が違う。
たしかに、親が腹立ちまぎれに子どもを殴りつけ、いたいけな子を死に至らしめることもある。そうなっても、自分の子どもだから、死なせても仕方がないというふうにはなるまい。まして、今回の暴力行為が正当性を持つものであった、とは思えない。腹立ちまぎれに勢いでやってしまった、としか思えない。何への腹立ち?それは部長個人にしか分からない。
この部長には、自分の取った(取ろうとする)暴力的行動が、どういうふうに野球部に影響するか、出場できなくなる可能性、教師としての応分の判断力、そうした指導者として当たり前の想像力の欠如があったようだ。
ことによると、この学校の野球部の中では暴力行為が日常化していたのではあるまいか。暴力に麻痺していたのではないのか。と疑われても仕方がない。
むやみやたらに暴力を肯定してはならない。まして、優勝旗返上はナンセンスという立場から、結果的に教師の暴力を認めてはならないと思うのだ。
寒さ・冬の長い北海道での雪中練習の過酷さ、白雪に白球を追う、その厳しい練習に耐えて、栄光を勝ち得た選手たち。ましてや、ほぼ半世紀ぶりの夏連覇。こうした条件が重なって、「優勝取り消しはしてはならない」の大合唱。
そして、ついには、今回の野球部長の行為を肯定する論調も出てきている。部長の暴力行為に対して、ブログなどでは、「時に鉄拳制裁もやむをえない」との声。まるで「勝てば官軍」の雰囲気といっては、酷だろうか。
もし一回戦で負けていたら、また予選で敗退していたら、厳しい処置(秋の大会出場停止=春の選抜なし)が出たに違いないのに、と思う。ましてや、これまでの高野連の対応なら、事後報告というだけでも、相当きついペナルティが科せられたのではないか。事件が発生直後に報告されていたらどうだったろう。予選の出場権があったろうか。
報道によれば、4発か5発どころか、被害者は40発も殴られたという、部長の手が骨折したとも伝えられる。「4、5発なら出場できるだろう」といって、生徒には事情聴取したとか。相手とも示談にしたとも。
教師の生徒に対する暴力事件の場合、きつい処分が出るのが通例。私立高といえども、今回も教師に対する処分は、厳しい処分が出されるだろう。それが、野球部全体のペナルティに及ぶかどうか。これは、あくまで前例に基づく判断でなければならない。今までこうした暴力行為に対して、高野連の処分が野球部全体には、おとがめなしならば、すぐにそういえば、よい。もたもたすることは、何もない。
もし、「教師の野球部員(生徒)への鉄拳制裁は、教師のみを処分。野球部長の職を解任」で一件落着となる。それが重いのか軽いものかは、判断できない。しかし、それが今後にどういう事態を生じるか。教師の生徒への暴力行為は、あくまでその教師個人の責任問題ではある。しかし、部員間の暴力(上級生が下級生を鉄拳制裁するなど)の場合は、野球部全体の責任で対外試合停止などの処分。この両者の違いをどう見るか。実は、高野連も対処に困っている。
まして、今回も事後報告。それも、マスコミがかぎつけたらしい。そこで、慌てて記者会見をし、それから高野連に報告した。ばれなければ、そのまま通り過ぎたのか。またしても、高知の例と似てきた。高知はそういう事態も含めて、出場辞退させた。さて、今回は、どうするのか。
こうした議論に重なって、態度の悪い生徒には、言って分からなければげんこつくらいはかまわない、といった肯定論が強い。さすがに、40発も殴って相手を怪我させ、自分は骨折するほどやってもいい、とは言わないだろうが。
殴って分からせることも、時には必要だ、というふうに言う。しかし、殴って相手が分かるようなことは、けっしてない。相手に恨みと傷が残るだけだ。親が子供を甘やかすからいけないのだ、とも言う。しかし、親が子供をしかり、頭をはたくこととは、訳が違う。
たしかに、親が腹立ちまぎれに子どもを殴りつけ、いたいけな子を死に至らしめることもある。そうなっても、自分の子どもだから、死なせても仕方がないというふうにはなるまい。まして、今回の暴力行為が正当性を持つものであった、とは思えない。腹立ちまぎれに勢いでやってしまった、としか思えない。何への腹立ち?それは部長個人にしか分からない。
この部長には、自分の取った(取ろうとする)暴力的行動が、どういうふうに野球部に影響するか、出場できなくなる可能性、教師としての応分の判断力、そうした指導者として当たり前の想像力の欠如があったようだ。
ことによると、この学校の野球部の中では暴力行為が日常化していたのではあるまいか。暴力に麻痺していたのではないのか。と疑われても仕方がない。
むやみやたらに暴力を肯定してはならない。まして、優勝旗返上はナンセンスという立場から、結果的に教師の暴力を認めてはならないと思うのだ。