おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

朝日が遠くに霞む

2005-08-30 22:43:06 | 世間世界
 朝日新聞の不祥事が次々と発覚。いったいどうなってのですかね、情報管理・危機管理は。社内編集体制に構造的な欠陥があるような感じがする。この間のNHKの番組改変問題での内部資料流出といい、今回のウソ取材記事。二つとも政治家・政治との関係で問題が起きる。
 今回の場合、総選挙での新党結成に関わる記事。会談場所が異なっていたという状況部分での基本的な誤りもあるが、特に、会談で田中知事が亀井氏に反論したとされた場面。
 「田中氏はうなずかず、こう反論した。『亀井さんも、いろいろ大変かもしれないけど、郵便局を守れっていうだけでは選挙に負けますよ。サラリーマン増税反対とか、もっと言うことがあるでしょう』」
 これは、朝日の記事そのものに、「郵政民営化には賛成だが、他の政策面ではコイズミさんには、問題がある」という、メッセージ性を付与するものとして、位置づけられている、田中発言を通して。だから、そういう記事を書くために、取材メモをねつ造したともいえるのだ。それをそのまま、田中知事に確認もせず、してやったりと記事にもりこんでいく。
 これでは、記事を書くことが、記者のあるいは本社自体の偏見・我見によっている、と言われても仕方がないようだ。かつての、自作自演の珊瑚保護(自然を傷つけるな)キャンペーンに、通うところもある。ことによると、NHK放送番組が自民党の政治家によって改変されたという記事も、どこまで裏付けられているのか。流出した内容を見ても、100%信用できない、と読者に疑惑を招いてもしょうがない。
 他の記事はどうか、特に政治的な記事の場合は、ウソがあって信用できない!となったら、朝日新聞の体質そのものを疑い、記事の信憑性を材料にして、朝日の記事に快く思っていない政治家を筆頭にして、少なからぬ国民が、朝日の記事に疑問をもつことになる。いっそうの読者離れを進めることになりかねない。
 これは、マスコミ報道の根幹をゆるがす問題だ。この際、徹底的に膿を出さなければ、ついには2流・3流の新聞として、朝日はつぶれるだろう。昔、朝日が村山社主・一族と長年の間抗争を重ね、村山一族のくびきから離れたとたん、こうした不祥事が続く。
 これでは、サンケイや讀賣が朝日を攻撃してきたときにも、読者は、朝日を支援する方向にはいかなくなってしまう、理解しなくなっていってしまう。これは、知る権利を有する国民にとっても不幸である。朝日を「真っ赤な朝日」と揶揄したり、「容共」とレッテルを貼って、朝日攻撃に熱心な連中を喜ばすだけだ。
 いったい、いつから、誰からこうなってしまったのであろうか。読者の一人としてとても残念である。今、思い出したが、以前、夕刊のコラム欄で、徹底的に当時の社会党を攻撃したことがある。揶揄し、バカにし、こけにして、どう見ても社会党の票を減らすことを意図した、としか思えない記事が連日、活字になった。
 「不偏不党」の名の下に、意図的な記事を掲載すること。確信犯的な記事。そこを問題にするなら、記事の内容を吟味し、きちんと裏付けをとってから掲載すべきだ。抜本的な編集体制・社内危機管理・情報管理の改革なくして、朝日が生き残れる道はない。
 勿論、社の編集部・上層部が、第一線の記者たちの取材記事を疑って、思いきった記事が掲載されず、自粛ムードになっていった。そのあげく、戦前の新聞のように政府・軍部のお抱えとなり、否、むしろお先棒を担いで、戦争に突入していった轍を踏んではならない。一人の記者を解雇して済む、という問題ではないのだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする