おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

本所。深川。五間堀・六間堀。

2012-03-08 18:29:34 | 歴史・痕跡
 江東区森下町界隈。このあたり。西に隅田川、その隅田川からの水路が北に竪川、南に小名木川とあって、その間、縦横に堀割・水路があった。今は、その堀割は、公園や道路となっている。そのうちで、今の地図で確認すると、都営地下鉄新宿線・森下駅の北側に二本の直線道路が西南から東北に。その三角形に区切られたところが、墨田区(本所)と江東区(深川)の区界。その道路は、ほぼ南北に貫く清澄通りを横切っている。さらに、昭和22年当時の航空写真(goo)では、南北に貫く水路(そこそこ幅がある)も写っている。明治初期の地図ならなおさらはっきり。もともとは、本所の竪川と深川の小名木川をつなぐ(小名木川まで開通するのは後代のこと)堀割。南北の道路が六間堀。東北に伸びる道が五間堀の跡。
 写真は、五間堀公園、五間堀の跡。都営地下鉄「森下町」駅の地上入口付近。清澄通りを渡ったところには「弥勒寺橋」跡の標識があり、六間堀のいわれも記されている。
 特に五間堀付近は、昭和20年3月10日・東京下町を襲った「東京大空襲」で大きな被害を被った。そのときの瓦礫などが捨てられ、川筋いっぱいに埋まってしまった。その後は、ゴミ溜めのごとくに・・・。そのためか、戦後しばらく経ってから埋め立てられ道路となり、、今は跡形もない。区界なのがその唯一の「痕跡」。
 この辺りは、池波正太郎「鬼平犯科帳」の世界だ。
この界隈は寺町。
かつての水路は、住宅地になって、こじんまりとした公園の名に「六間堀」の名が。
新大橋通り。道路が少し盛り上がっているところが目立つ。下には川はない。かつての水路に架かっていた橋のなごり?
新大橋通沿いにある「みの家」。さくら(馬肉)鍋で有名な老舗。
八名川小に設置されている「新大橋」の橋名板。「志ん於ほはし」。この小学校の東側の道路がかつての水路跡。
竪川橋からの竪川。東側は小松川・千葉方面に向かう首都高の橋脚下になって、水路は一部分のみ。
コメント (1)
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