これほど己の嗜好に合はせ、ものせる方は稀有な存在です。本文中にもあるやうに、その基本は、人間的関心がなせる技(術?)。古今東西、その(人間的)関心の広がりと深さはとどまるところを知らず、ただただあきれるばかり。あきれるといつても飽きがくるといふのではなくて、ますます興味関心を持たせられるほどといふこと。
事物へのこだはり、そこに薀蓄を傾ける情熱と執念にああ脱帽、といふ感じですか。
取り上げる題材は、まさに「雑学」。野坂昭如さんが昨日だかに、朝日新聞に投稿してゐて久々に読みましたが、病いにある方とは思へない、鋭い舌鋒でした。野坂さんにおほくを望めない今、丸谷才一さんが「雑学」にプラスして「ゴシッ(ここはツにはならないのです)プ」「冗談」の3点セットで自らのたまふところの「雑文」を、失礼、随想を書かせたら第一人者でせう。ただの教養主義に陥らず、きちんとした文明批評になつてゐるのですから。
人間、いくつになつても貪欲なほどの知識欲、好奇心が「生きる」ことには、一番必要なことでもあるでせうから。
この「随想集」、2009年4月号から2011年9月号まで「オール読物」に掲載されたもの。この間に政権交代、東日本大震災といふ歴史的事件に遭遇したにもかかはらず、一言も触れずひたすら「避けて通つて」いるふりをしてゐます。
「帝国」の行方とか「歴史の書き方」とか「小股の切れ上がつたいい女」とかの考証にひたすら「うつつを抜かし」てゐることに読者はどう感じるか、それを百も承知の上で、丸谷さんはお書きになつてゐるのです。
目をとほしたところ、二箇所のみ。「われわれは今、日本国が前代未聞の変なことになつて、自民党も駄目なら民主党もいけない。大国難に際会してると感じ、古風なメシア信仰にすがつてゐるのである。何だかかはいさうな日本人」(P251)「アニメとカラオケとパチンコしか文化がないのに、もうすぐ亡びさうな国もある」(P357)。
ぽんと投げ込まれたこの表現をどう読み解くか、読者に突きつけられてゐます。もちろん、一笑に付すもよしですが、はたして・・・。
ところで、この方の小説で「裏声で歌へ君が代」といふ台湾独立運動をベースにしたものがあります。発端が、たしか営団地下鉄(東京メトロ)の新御茶ノ水駅、あの長く深いエスカレータを彷彿させる場面での邂逅だつたのが、印象的でした(つまらない感想ですが)。
実は、裏声それ自身は、なかなかテクニックの必要な、地声では出しにくい高音部の発声方法らしい。大阪では、教員たちは、起立するだけでなく、口を動かして歌つているかどうかが校長・教頭によつてチェックされたさうです。
どうせならとてつもない「裏声」で「君が代」を歌ふといふのは、いかがでせう。「たつた一人の反乱」であつても起こす。地声ではないことに意味がありますから。亡くなつた忌野清志郎さんにすばらしい変調・君が代がありました。さうなると、今度は、ピアノ(大方は、ピアノだと思ふ)伴奏にきちんと合はせて唱和しろ!といふ職務命令が出されることになるでせう。
もうぢき90歳に手が届きさうなこの方。生涯、文人としての気概を持つて現役宣言、といふ趣の書でした。
事物へのこだはり、そこに薀蓄を傾ける情熱と執念にああ脱帽、といふ感じですか。
取り上げる題材は、まさに「雑学」。野坂昭如さんが昨日だかに、朝日新聞に投稿してゐて久々に読みましたが、病いにある方とは思へない、鋭い舌鋒でした。野坂さんにおほくを望めない今、丸谷才一さんが「雑学」にプラスして「ゴシッ(ここはツにはならないのです)プ」「冗談」の3点セットで自らのたまふところの「雑文」を、失礼、随想を書かせたら第一人者でせう。ただの教養主義に陥らず、きちんとした文明批評になつてゐるのですから。
人間、いくつになつても貪欲なほどの知識欲、好奇心が「生きる」ことには、一番必要なことでもあるでせうから。
この「随想集」、2009年4月号から2011年9月号まで「オール読物」に掲載されたもの。この間に政権交代、東日本大震災といふ歴史的事件に遭遇したにもかかはらず、一言も触れずひたすら「避けて通つて」いるふりをしてゐます。
「帝国」の行方とか「歴史の書き方」とか「小股の切れ上がつたいい女」とかの考証にひたすら「うつつを抜かし」てゐることに読者はどう感じるか、それを百も承知の上で、丸谷さんはお書きになつてゐるのです。
目をとほしたところ、二箇所のみ。「われわれは今、日本国が前代未聞の変なことになつて、自民党も駄目なら民主党もいけない。大国難に際会してると感じ、古風なメシア信仰にすがつてゐるのである。何だかかはいさうな日本人」(P251)「アニメとカラオケとパチンコしか文化がないのに、もうすぐ亡びさうな国もある」(P357)。
ぽんと投げ込まれたこの表現をどう読み解くか、読者に突きつけられてゐます。もちろん、一笑に付すもよしですが、はたして・・・。
ところで、この方の小説で「裏声で歌へ君が代」といふ台湾独立運動をベースにしたものがあります。発端が、たしか営団地下鉄(東京メトロ)の新御茶ノ水駅、あの長く深いエスカレータを彷彿させる場面での邂逅だつたのが、印象的でした(つまらない感想ですが)。
実は、裏声それ自身は、なかなかテクニックの必要な、地声では出しにくい高音部の発声方法らしい。大阪では、教員たちは、起立するだけでなく、口を動かして歌つているかどうかが校長・教頭によつてチェックされたさうです。
どうせならとてつもない「裏声」で「君が代」を歌ふといふのは、いかがでせう。「たつた一人の反乱」であつても起こす。地声ではないことに意味がありますから。亡くなつた忌野清志郎さんにすばらしい変調・君が代がありました。さうなると、今度は、ピアノ(大方は、ピアノだと思ふ)伴奏にきちんと合はせて唱和しろ!といふ職務命令が出されることになるでせう。
もうぢき90歳に手が届きさうなこの方。生涯、文人としての気概を持つて現役宣言、といふ趣の書でした。