おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

旧佐倉街道。小松川街道。富士見橋。・・・(「新金貨物線」踏切をたどる。その3。)

2013-07-01 22:13:15 | 歴史・痕跡
 水戸街道(国道6号線)を通過した「新金貨物線」は、南に進んでいきます。このあたりからもかつての農業用水と交差する箇所がいくつかあります。
その一つ。斜めに横切っています。
東側から。線路内以外は用水路跡は定かではありません。
「新堀踏切」。広い道路との交差点ですが、かつては北側に「用水路」がありました。
「にいぼり」という名称。東西に延びていた用水路。北側(金町)を望む。

そのまま西にたどっていくと、「中川」近くの用水路跡の緑道(新宿方向から)と合流しています。中川寄りにかなり大きな「新宿ポンプ場」があるので、その施設との関連はありそう。
線路内の空き地を利用して、近所の方の「家庭菜園」が続いている。ナスやミニトマトなど通過する列車が少ないからできること。無断で使用しているという感じ。でも、高いフェンスのどこから出入りしているのでしょうか?
「高砂踏切」。「新宿」で「水戸街道」と分岐して市川に向かう(「小岩の渡し」)「佐倉道(街道)」上の踏切。

 このあたりは、昔は「曲金(まがりかね)村」。「高砂」は後から付けた名。昭和7年葛飾区高砂町(曲金村にあった字の名からとった)。同40年新住居表示により諏訪町の全部に高砂町・本田立石町・奥戸新町・細田町・鎌倉町・新宿町3丁目の各一部をあわせた町域を現行の「高砂」とした。
 
   高砂や この浦舟に帆を上げて この浦舟に帆を上げて
   月もろともに出汐の 波の淡路の島影や 遠く鳴尾の沖過ぎて
   早、住之江に着きにけり 早、住之江に着きにけり
 
 から、「高砂」というおめでたい名を地元の方が字とした、という。
 「曲金」は、中川がかなり蛇行している流域で「曲尺」(かねじゃく)から来ているように思われます(墨田区内の隅田川沿いにある「鐘ヶ淵」の「鐘(かね)」も同じではないか)。
「曲尺」。

東側・踏切沿いにあった家。朽ちたようだが住居表示があったので民家?
「東用水」跡を渡る鉄橋。ここも道路・水道工事中。いずれ道路として整備されるはず。
踏切の北西側。かなり広く深い流れの跡。「佐倉道」と交差している付近。
水戸街道に向かう道路(「東用水」跡)。広くて直線の道。旧「佐倉道」はその西側にある、細く曲がりくねった道。 

        
        
1880年代のようす。                    2010年代のようす。二本の用水は道路となっている。右端に京成「高砂駅」。
かぎ型に曲がる道(↑)が「佐倉道」。上下の流れが「東用水(上下之割用水)」。


線路を越えたところ。道路、緑道として整備が進んでいる。
「小松川街道踏切」。
 この踏切は、旧「佐倉道」から分かれて南下する道にある踏切。「東用水」からこの先で分岐した「中井堀」沿いに進む道で、「東京街道踏切」にもつながっていく道のようです。
「小松川街道」から踏切の西側を望む。
以前、この踏切で撮影した貨物列車。
前掲の地図上で、赤い線が「小松川街道」らしい道。
明治10年代の古地図では、「中井堀」沿いに進み、途中で「西井堀」沿い、途中から分かれてさらに「小松川境川」沿いに進んで、小松川方向に向かったようすが読み取れます。

「中川」に架かる「高砂橋」の手前にある「富士見橋」からの新金貨物線。金町方向を望む。

コメント
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