おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

仏の顔も三度。それにしても。・・・。道元さんもあきれる!

2013-07-18 19:03:38 | 格言・ことわざ
曹洞宗古刹の2僧侶、共同生活の僧侶に傷害容疑(読売新聞) - goo ニュース
 
 曹洞宗といえば、永平寺、總持寺が有名。道元さんが開祖のはず。「普段の生活の中で気に入らない面があり、暴力を振るってしまった」ということは、「仏の顔も三度」ということになるか! それほどの人格者ではなさそうですが。

 もともとは、「仏の顔も三度撫ずれば腹立つ」ということから来たことわざ。いくら慈悲深い仏様といえども、三度もむやみに顔を撫で回されたら腹を立てるということらしい。一度や二度はいい、というわけではないが、「三」というのは、文字通り「三」ではなくて、何度もということでしょう。
 まさに日頃の不満が高じて・・・。それにしても「暴力」とは。「慈悲」心と「禅定」が仏に仕える身の処し方のはず。いくら「堪忍袋の緒が切れる」ことになっても・・・。
 禅らしく「一喝」したつもりなのでしょうが。
「喝」は禅の言葉で、修行者の迷いをさますため、僧が発する叫び声のこと。「活を入れる」と、大きな声で刺激を与えるというところは共通していますが「喝」は「入れる」ものではありません。

 さて、これではせっかくの艱難修行も「台無し」になってしまいそう。 「台」は、仏像を据え置く台座のこと。これがなかったり、壊れていたのではせっかくの仏像の威厳も失われてしまう。「おシャカになる」「無駄になる」「駄目になる」。
 「おシャカになる」の「シャカ」は、お釈迦様のこと。はてさて・・・。
コメント
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