おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

曽良、芭蕉像。名勝「草加松原」。綾瀬川。・・・(「日光道中」をゆく。その7。)

2016-05-12 20:07:03 | 日光道中
 (12:40)「曲輪」を過ぎると、再び「旧国道4号線(「日光道中」)」に合流して一路、蒲生に向かいます。ここからが「綾瀬川」沿いに、景勝地・「草加松原」の遊歩道が続きます。その向かい側に小公園。そこには「奥の細道」で芭蕉のお供をした「曽良」の像があります。

 解説板。

松尾芭蕉翁像と河合曾良像
 河合曾良像とこの先の札場河岸公園内の松尾芭蕉翁像とは100㍍程離れ、建立された年も異なりますが、二つの像は対をなす作品です。これらの像は、元禄2年弥生27日(1689年5月16日)、草加に奥の細道への歩みを印した俳人・松尾芭蕉と門人・河合曾良の旅姿を表現しています。両像とも草加出身の彫刻家・麦倉忠彦氏の作品です。芭蕉翁像は、1989年に奥の細道旅立ち300年を記念して市民団体「芭蕉像をつくる会」が建立しました。一方、曾良像は、2008年に草加市制50周年を記念して市民団体「河合曾良像をつくる会」が建立しました。いずれも市民からの浄財を募って建設資金としています。芭蕉翁像は友人や門弟たちの残る江戸への名残を惜しむかのように見返りの姿をし、曾良像は先を行く芭蕉を案じて、何かを呼びかけているようです。曾良像の建立を報じる広報そうかには「20年前に芭蕉翁像は制作されており、ようやく2体がめぐり会いました」と記され、制作者や市民の息の長い活動と情熱を讃えています。

 ぐるりと「日光道中」の宿場名が。
    

「草加せんべい発祥の地」という大きな石碑。

 左に折れて橋を渡ると、右手が「綾瀬川」沿いに「札場河岸公園」。ここはよく整備された公園で、「望楼」「芭蕉像」などや休憩施設、さらに甚左衛門堰などがあります。休憩するにはもってこいの場所です。

               

望楼
 望楼とは、遠くを見渡すための櫓のことをいいます。常に見張りを置いてまちなかの火事発生の発見に努めるための施設でした。 
 この望楼は、石垣の上に埼玉県産のスギ、ヒノキを使った木造の五角形の建築物で、高さは11.1mあり、内部は螺旋階段になっています。午前9時から午後5時までの間は、自由に内部に入ることができ、草加市を一望することができます。

                         

 芭蕉像は先ほどの曽良像と相対するかのように江戸方向を向いています。

        

国指定名勝「おくのほそ道の風景地草加松原」
 この国指定名勝は、松尾芭蕉が弟子・河合曾良と「おくのほそ道」の旅で記した一群の名所、由緒、来歴の地からなる一体の風致景観であり、この「草加松原」も後世の人々の風景官に影響を与えているものとして、「殺生石」「黒塚の岩屋」「大垣船町川湊」等と合わせて指定されました。
 「草加松原」は、634本の松が植えられた綾瀬川沿いに延びる全町1.5㎞の石畳の遊歩道として整備されており、江戸時代の舟運の荷の上げ下げ場として復元された札場河岸公園や対岸に整備された広さ約4.1㏊の綾瀬川左岸広場と一体となって、市民の憩いの場やレクリエーションの場としても親しまれています。

 国指定「おくのほそ道の風景地」とは?
    

    

    などです。

 「スタンプラリー」の紹介を。

とき : 平成28年4月29日(金・祝)~平成29年2月28日(火)
参加特典 :
参加賞…5か所以上の名勝地を巡った方全員に奥の細道むすびの地記念館受付にて粗品(手ぬぐい)をプレゼント

ダブルチャンス賞…5か所以上の名勝地を巡り、応募した方抽選で30人に関係市町の特産品(3,000円相当)をプレゼント
平成28年度応募期限:平成29年2月28日(火)
応募場所:奥の細道むすびの地記念館受付

踏破賞…全ての名勝地を巡った方全員に大垣市特産品(1,000円相当)をプレゼント
受付場所:奥の細道むすびの地記念館受付

お問合せ : 大垣観光協会
〒503-0923 岐阜県大垣市船町2-26-1 TEL:0584-77-1535


(以上、「大垣観光協会」HPより)



「句碑」。
 「巡礼や草加あたりを帰る雁 (高浜)虚子」。子規の句は見逃しました。

「綾瀬川」。

 かつては綾瀬川とその脇にあった用水との間を歩いていたようです。用水路は現在は「旧国道4号線」の拡幅で暗渠。 
 汚染度が全国で1、2位を争うほどだった(特に都内に入ってからは)「綾瀬川」もここはきれいな流れになり、時折、大きな魚が飛び跳ねる姿も見られます。

  
  
  
1880年代のようす。                   現在のようす。(「歴史的農業環境閲覧システム」より)

「日本の道百選 日光街道」。

 ここから1㎞以上にわたって松並木の道になります。ジョギング、散歩、犬を連れて、・・・さまざまな人々が行き交う。思い思い、のんびりと歩いています。途中に句碑や石碑が設置されています。
 以前、この脇(旧国道4号線)を何回か車で通過したことがあります。そのときに松並木や太鼓橋が印象に残りましたが、歩いたのは初めて。

          
        「矢立橋」。太鼓橋になっています。芭蕉の「奥の細道」にあやかって名付けられた橋。

若い松並木。50年後、100年後はさぞかし見事な松並木に。

     
          「名勝 おくのほそ道の風景地 草加松原 ドナルド・キーン」。

        

        「おくのほそ道の風景地 草加松原 指定日 平成26年3月18日」。
 日光街道草加宿の北側に位置する草加松原は、一節には寛永7年(1630)の草加宿開宿時、または天和3年(1683)の綾瀬川改修時に松が植えられたと伝えられ、江戸時代から日光街道の名所として知られていました。
 平成26年(2014)3月、この草加松原は「おくのほそ道の風景地」の一群をなすものとして、国の名勝に指定されました。今なお、松尾芭蕉の「おくのほそ道」の時代の雰囲気を色濃く伝える風致景観として、高く評価されたことによるものです。
 元禄2年(1689)3月27日、松尾芭蕉は門人の河合曾良を伴い、江戸深川を旅立ちました。古歌の名所、由緒、来歴の地を訪ね陸奥・北陸路を旅し、これにより日本を代表する紀行文学「おくのほそ道」を完成させました。
 深川から船で千住に向かった芭蕉は、そこで見送りに来た人たちに別れを告げ、歩みを草加に進めます。

 「もし生きて帰らばと、定めなき頼みの末をかけ、その日やうやう草加という宿にたどり着きにけり」

 この日は、今の暦では5月16日に当たります。初夏の陽光を浴びながら、芭蕉は旅の感慨を新たにしたのかもしれません。
 芭蕉の旅路を見送った草加松原は、度重なる手入れや補修が行われ、明治維新前後まではおおむね500本前後で推移していました。
 しかし、昭和8年(1933)には、国道4号(現在の県道足立越谷線)の道路拡幅工事に伴い、松の伐採計画が持ち上がりました。また、昭和40年代には、高度成長に伴う公害の影響で、成木は70本程度まで減少してしまいました。なお、このような危機の度ごとに松並木保存の機運は高まり、ことに、昭和51年(19769には市民団体「草加松原松並木保存会」が発足し、同会を中心とした多くの市民による松の保護・補修が行われるとともに、市民と行政が一体となった保存運動によって草加松原は護り継がれ、現在は遊歩道として訪れる人々の憩いの場となっています。
 なお、名勝指定を後世の市民に伝え残すため建立された標識(記念碑)は、草加市ともゆかり深い日本文学研究者で文化勲章受章者のドナルド・キーン氏の揮毫になるものです。

 平成27年3月 草加市教育委員会

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