おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

62 東武亀戸線・廃駅

2009-05-20 23:20:10 | 鉄道遺跡
 東武亀戸線は、亀戸駅から曳舟駅までの3.4KMのミニ路線。この線は、一時期東武伊勢崎線の都心へのアプローチ路線として、幹線扱いだった時があります。
今のJR総武本線が総武鉄道だった時代、亀戸駅から当時ターミナルだった両国橋駅(現・両国駅)まで乗り入れていました。
〔主な年表〕(wpediaによる)
1904年(明治37年)4月5日 亀戸 - 曳舟間 (3.4km) 開業。
1907年(明治40年)9月1日 乗り入れ先の総武鉄道が国有化され総武本線となる も、乗り入れは継続。
1910年(明治43年)3月27日 総武本線への直通運転を廃止。
1918年(大正7年)3月27日 全線を軽便鉄道法による軽便鉄道に変更。
1925年(大正14年)9月4日 天神駅再開業。
1928年(昭和3年)4月15日 亀戸線全線電化。同時に中間駅として、亀戸水神駅、 北十間駅、平井街道駅(現・東あずま駅)、小村井駅、十間橋通駅、虎橋通駅が開業。
1945年(昭和20年)3月10日 東京大空襲により、虎橋通駅廃止。
1945年(昭和20年)5月20日 平井街道駅廃止、北十間駅・十間橋通駅休止。
1946年(昭和21年)12月5日 北十間駅と亀戸水神駅を移転統合、亀戸水神駅とす る。北十間駅は廃止。
1956年(昭和31年)5月20日 旧・平井街道駅の位置に東あずま駅を開業(事実上の再開)。
2004年(平成16年)10月19日 ワンマン運転開始。

 東武亀戸線は、曳舟からの延長線として越中島方面へと計画されましたが、越中島付近の敷設工事に着工する事が出来ませんでした。そこで、当時は亀戸から総武鉄道(現JR総武線)へと乗り入れ、両国までの直通列車が運転されました。
 1945(昭和20)年3月10日の東京大空襲で、下町は壊滅的な状況になり、亀戸線の駅舎も焼き尽くされ、亀戸線の中間の駅はほとんどが休止か廃止になりました。
 
東武亀戸線が亀戸駅を出て総武本線と別れてカーブを描き始める辺りに、旧亀戸水神駅はありました。線路脇の道をたどっていくと、踏切と踏切に挟まれた線路脇にかつてプラットーホームを支えた、古レールが埋め込まれたコンクリートの台座が並んでいます。写真は、旧亀戸水神駅跡。曳舟行きの2両編成のワンマン電車が通過中です。線路脇に見えるのが、台座。

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2 コメント

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こんばんは (おやじ)
2015-04-01 20:09:48
 この記事を掲載した当時はまだblogに慣れていなかったため、写真も一枚しか載せられませんでした。
 この写真の他にも亀戸線廃駅を曳舟から亀戸まで歩いて探索して撮った写真がどこかにしまってあるはずです。 今度、整理して再アップします。
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亀戸線 (風旅記)
2015-04-01 19:33:22
こんばんは。
今では8000系の2両編成が行き交う単調な路線ですが、23区内であることを忘れてしまいそうな長閑さがありますね。
往時にはどんな電車が走っていたのか、昔の時代を見てみたくもあります。
今後とも、宜しくお願い致します。
風旅記: http://kazetabiki.blog41.fc2.com/?pc
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