「奈良川」を越えて宿内へ。ここにも「地蔵」が置かれています。
・・・
また、ここ地蔵尊の立てられている位置は、奥州街道芦野宿の町外れで、城下・宿場の入口(出口)になる。このことから河原町の地蔵尊と考え合わせ、様々な災厄を自分たちの生活の域内に入れない役目もあったと思われる。・・・
宿内。静かな街並み。
桝形?
屋号の入った石灯籠。
「紙すき屋」。「屋根屋」。
こちらが本格的な桝形になっています。
宿場の中心地。
(14:56)かつての本陣跡が「石の美術館」(「STONE PLAZA」)になっています。
「芦野石」を用いたしゃれた建物。
「なす(那須)屋」。
さっきの「遊行庵」でこの酒屋で勧められたお酒がおいしかった、というので、お店の中に。
地酒などなかなか手に入りにくいお酒を扱っているとか。ご夫婦でお出迎え。試飲したりして、栃木のお酒「姿」を購入しました。要冷蔵とかのお酒。保冷剤をあてがい、丁寧に新聞紙で何重にも包み、コメントまで書いてくれましいた。
さっそく帰宅して飲みました。口当たりがよく、ワイングラスが合いそうなお酒です。あっという間に飲んでしまいました。
さっきの「遊行庵」で二合ほど飲んだばかりですが、宿内を見物。
「仲町道標」
「奥羽街道」の下に右側「越堀鍋掛ヲ経テ大田原ニ至ル」、左側「白坂ヲ経テ白河ニ至ル」 と刻まれ、右側面は、「南ハ伊王野ヲ経テ黒羽ニ至ル」、「黒田原ヲ経テ小島ニ至ル」と刻まれています。
それぞれ、下に里程が刻まれているようですが、判読できず。
「丁子屋」。
旅館も経営?
那須の名木 平久江家のしだれ桜 平成6年11月3日指定
推定樹齢 400年
幹回り 252cm
樹高 18m
那須町
那須町指定建造物 平久江家門及び構え 旧平久江家
この門の建築は、棟門の一種で、この地域における比較的上級武士の門構えである。
平久江家は、江戸初期から芦野家の重臣と見られる家柄で、本家は、根古家の一段高い地に家屋敷を構えていた。
当家は、分家筋にあたり、幕末には家老職を勤めた人物も輩出している。
構えは枡形の形式をとっており、武家屋敷特有のものといえる。
この門及び構えは、当時をしのばせるものとして貴重なものである。
那須町教育委員会
「しだれ桜」。
屋敷内のようす。
その先、左手には朽ち果てたような屋敷門。
「那須歴史探訪館」への道の右手に。「柳独逸文庫」。
「探訪館」から宿内を見下ろす。
裏手からの「歴史探訪館」。
(15:09)そろそろ時間が。「芦野仲町」バス停へ。といっても、まだ宿内をうろうろして、バス停に着いたのは、15:40。
前回と同じように、「黒田原」駅まで出て、そこから帰京という寸法。待っていると、老夫婦がバス停に。やはり「奥州街道」を歩いている方。すでに「東海道」など四つを歩き終え、「奥州街道」が五街道の最後だとか。千葉の方のようです。
今日は「大田原」から歩き、今夜は「黒磯」で泊まり、明日またここに戻って、「白河」まで、とのこと。
不思議と今まで会った旅人は、皆、「東海道」「中山道」などを終えての方ばかりでした。それも異口同音に「中山道はよかったですよ。」と。
「ここから白坂まではコンビニも食べ物屋さんもありません。バスに乗る前に調達した方がよろしいですよ。自販機もあまりないし。」ということはお話ししました。
今回は、3組・4人の旅人とお話ししました。それと「遊行庵」の若い女性スタッフ、「なす屋」の若夫婦。計7人。それぞれ有意義でした。前回名刺をくれた「丁子屋」のお隣、「那須通信建設」の社長のWさんに会えなかったのは残念でした。
次回、「奥州街道」の旅もいよいよ最終回。「白坂」駅から「白河宿」まで。距離的にはもそれほどかからない行程です。これでやっと三つ、制覇になるかどうか。
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