最近は、少し薄手の読みやすいものが多くなりました。ちょっと読書疲れ。・・・
歴史には、「もし・・・たら」というお話は多い。「もしクレオパトラの鼻が低かったら」「もし本能寺の変がなかったら」・・・いくらでもきりがありません。世界の歴史をつくった、人類の生き死にかかわる重要な人物たちにまつわる「if」。この書もそんなトーンで書かれている、と思いました。
「若き日のアドルフの人生がもっと幸せに進展していたなら、・・・」「あれほど慕った初恋の人物への思いがかなえられ、母の愛情をもっともっと感受でき」「美術家、建築設計家への夢が実現していたら・・・」。一方で、時代が稀代の人物・ヒトラーを生んだとも。
そういう思いを秘めながら、幼少年期から青年時代。ヒトラーが多感な時代をどのように自己形成していったか、を生誕120年という節目(2009年)に描いた書です。
長年のドイツ在住生活の中で見聞してきた見識が随所に表れた内容になっています。特に、青年・ヒトラーを熱狂的に迎え、支え、究極的には世界史上前例のない大悲劇につながったドイツ民族。今もなお謝罪の姿勢に一貫しているその姿に共感する、そこに、単純な「if」ものではありませんでした。特に、生来演説に長けていると自覚したヒトラーが、その勢いでユダヤ人を攻撃すればするほど、共鳴者が得られ、期待する以上の支持者を獲得していく過程。そこに、ドイツ民族の悲劇性を読み取ります。
日本でも、最近、東に西に自信に溢れたアジテーターがあちこちに出現しています。敵を見いだし、徹底的に攻撃する、それによって、政治不信、経済不安・・・、閉塞感に満ちた人々の熱狂的な支持を得ていく、これは、古今東西あらゆる機会に登場する手法です。個人の資質の問題に矮小化してはいけないと思います。
歴史には、「もし・・・たら」というお話は多い。「もしクレオパトラの鼻が低かったら」「もし本能寺の変がなかったら」・・・いくらでもきりがありません。世界の歴史をつくった、人類の生き死にかかわる重要な人物たちにまつわる「if」。この書もそんなトーンで書かれている、と思いました。
「若き日のアドルフの人生がもっと幸せに進展していたなら、・・・」「あれほど慕った初恋の人物への思いがかなえられ、母の愛情をもっともっと感受でき」「美術家、建築設計家への夢が実現していたら・・・」。一方で、時代が稀代の人物・ヒトラーを生んだとも。
そういう思いを秘めながら、幼少年期から青年時代。ヒトラーが多感な時代をどのように自己形成していったか、を生誕120年という節目(2009年)に描いた書です。
長年のドイツ在住生活の中で見聞してきた見識が随所に表れた内容になっています。特に、青年・ヒトラーを熱狂的に迎え、支え、究極的には世界史上前例のない大悲劇につながったドイツ民族。今もなお謝罪の姿勢に一貫しているその姿に共感する、そこに、単純な「if」ものではありませんでした。特に、生来演説に長けていると自覚したヒトラーが、その勢いでユダヤ人を攻撃すればするほど、共鳴者が得られ、期待する以上の支持者を獲得していく過程。そこに、ドイツ民族の悲劇性を読み取ります。
日本でも、最近、東に西に自信に溢れたアジテーターがあちこちに出現しています。敵を見いだし、徹底的に攻撃する、それによって、政治不信、経済不安・・・、閉塞感に満ちた人々の熱狂的な支持を得ていく、これは、古今東西あらゆる機会に登場する手法です。個人の資質の問題に矮小化してはいけないと思います。
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