この書は、日本陸軍きっての「日中友好」論者であった松井石根が南京事件の罪によってA級戦犯として処刑されたのは、歴史の皮肉である。という主張を述べたものです。
が、巻末にあげられた参考文献(資料)を見る限り、「南京大虐殺はなかった」派(これにもさまざまなスタンスがあるが、おおむね、その主張の人々。中には、かなりうさんくさい連中も混じっている。)の資料がほとんど(東京裁判」関係では少し色合いの違う資料も参考にしていますが)。また、後書きでは、「加害者」「被害者」「侵略戦争」「ファシズム」という語彙を意図的に使用しなかった、史実が闇に紛れ、真相は見失われる(からだ)、と言いつつ、結論的には、「侵略戦争ではなかった。大東亜主義にもとづき、東亜細亜の理想的な国家関係を築くためのやむをえない戦争であった」という結論を導きます。
その説の補強として、「大東亜戦争」を、アメリカのイラク侵攻、「アメリカは、民主主義の価値を世界に向けて普遍化する使命を持つ」「サダム・フセインの独裁に苦しむイラクの民衆を解放する」「反米に染まるイラクを一新する」ことを大義として戦争を引き起こしたことになぞらえています。
そのアメリカの戦争論理がいかなるものであったかは、その後の経過が明らかですが、「民主主義」を「大東亜主義」に、「サダム・フセイン」を「蒋介石」に、「反米」を「反日」に置き換えて、戦争を正当化しています。さらに、アメリカには石油権益という背景があったが、日本には、そうした自己権益を追求しなかった、中国にいる自国の居留民の生命と財産を守るということがあるだけで、むしろ「兄弟げんか」のようなものに過ぎなかった、と。
一事が万事。こうしたスタンスで松井石根の「悲劇性」(死刑の不当性)を訴えていきます。
もう一つの柱、「南京事件」。松井は戦時国際法上における不法な命令は一切していない。むしろ一部の日本軍兵士による略奪・暴行・殺害等の報告を受けて慨嘆し、厳戒していた、と。かえって中国(軍)側が自らの不法行為を日本軍の仕業としたケースも多い。また、戦後の南京市内の平穏さからは、虐殺行為があったとは考えられない、と。しかし、南京事件(大虐殺は否定するものの)そのものの存在は、否定しようにも否定できない、そう考えざるをえなかったようで、題名の「真実」にはほど遠い内容でした。
こういう書、特に戦争物にはありがちな、個人の肯定的な資質を全面展開させ、その悲劇性を浮かび上がらせる、というジャーナリズム・ドキュメンタリー作風が陥りがちな側面を如実に表した書でした。
が、巻末にあげられた参考文献(資料)を見る限り、「南京大虐殺はなかった」派(これにもさまざまなスタンスがあるが、おおむね、その主張の人々。中には、かなりうさんくさい連中も混じっている。)の資料がほとんど(東京裁判」関係では少し色合いの違う資料も参考にしていますが)。また、後書きでは、「加害者」「被害者」「侵略戦争」「ファシズム」という語彙を意図的に使用しなかった、史実が闇に紛れ、真相は見失われる(からだ)、と言いつつ、結論的には、「侵略戦争ではなかった。大東亜主義にもとづき、東亜細亜の理想的な国家関係を築くためのやむをえない戦争であった」という結論を導きます。
その説の補強として、「大東亜戦争」を、アメリカのイラク侵攻、「アメリカは、民主主義の価値を世界に向けて普遍化する使命を持つ」「サダム・フセインの独裁に苦しむイラクの民衆を解放する」「反米に染まるイラクを一新する」ことを大義として戦争を引き起こしたことになぞらえています。
そのアメリカの戦争論理がいかなるものであったかは、その後の経過が明らかですが、「民主主義」を「大東亜主義」に、「サダム・フセイン」を「蒋介石」に、「反米」を「反日」に置き換えて、戦争を正当化しています。さらに、アメリカには石油権益という背景があったが、日本には、そうした自己権益を追求しなかった、中国にいる自国の居留民の生命と財産を守るということがあるだけで、むしろ「兄弟げんか」のようなものに過ぎなかった、と。
一事が万事。こうしたスタンスで松井石根の「悲劇性」(死刑の不当性)を訴えていきます。
もう一つの柱、「南京事件」。松井は戦時国際法上における不法な命令は一切していない。むしろ一部の日本軍兵士による略奪・暴行・殺害等の報告を受けて慨嘆し、厳戒していた、と。かえって中国(軍)側が自らの不法行為を日本軍の仕業としたケースも多い。また、戦後の南京市内の平穏さからは、虐殺行為があったとは考えられない、と。しかし、南京事件(大虐殺は否定するものの)そのものの存在は、否定しようにも否定できない、そう考えざるをえなかったようで、題名の「真実」にはほど遠い内容でした。
こういう書、特に戦争物にはありがちな、個人の肯定的な資質を全面展開させ、その悲劇性を浮かび上がらせる、というジャーナリズム・ドキュメンタリー作風が陥りがちな側面を如実に表した書でした。
その意味では、アメリカ軍の東京大空襲やドレスデンの無差別大空襲・・・。実に悪逆非道の行いです。加害者としてのアメリカをとことん責めるべきです。
だからといって、そのこととからめて、南京事件は許されるということではないし、また戦争にはつきものだ、という論調には与しません。