おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

9・11選挙への一石を投ず

2005-08-16 01:14:00 | 平和
 以下のアピールは、小生が若干関心を持っている運動グループのものです。内容的には不充分というか、率直に言って素人臭さの残る、いってみればアマチュアの印象を持つでしょう。特に政党間の候補者問題では。
 しかし、今、暴君・コイズミの支持率が解散前より圧倒的に高くなり、このままでは自民党圧勝。マスコミもそのためには、極めて協力的です。このことは、森田実さんのHPを参考にして下さい。アメリカ政府の深謀遠慮。今回の選挙でどうしてもコイズミを勝たせる戦略がよくうかがわれます。
 正直言って、このままでは、座して死を待つのみの、民主党以下の野党です。その意味で、このアピールは、今回の選挙のあり方をめぐって、一石を投じたものだと思います。
 今回の選挙は、戦争か平和かの選挙だ、と小生も捉えています。

■9・11衆院選における「平和への結集」の訴え――平和統一候補の実現によ
  り、平和問題を総選挙の最大争点に

>  郵政法案の否決をきっかけとする今回の衆院選挙は、日本の平和主義の運命に
> とって極めて重要な意味を持っています。
>
>  小泉政権は、アメリカの主導の「反テロ」世界戦争に随従して、有事法制など
> を定めて日本の軍事化を進め、イラク派兵という決定的な違憲行為を行って、平
> 和憲法を蹂躙しています。また、小泉首相は靖国参拝を強行して中国や韓国の反
> 日感情を煽り、北朝鮮問題への強硬姿勢も含めて、アジアで日本が孤立する道を
> 歩んでいます。しかも、アメリカを頼りにして国連安保理常任理事国になろうと
> 画策しましたが、アメリカは積極的に支持しようとはせず、失敗しました。この
> ように、対米随従外交は悉く失敗しており、地球的な公共的利益に反していると
> 共に、日本の「国益」にすら反している、と言っても過言ではありません。
>
>  さらに、その標榜した「構造改革」も、恩顧主義的な利益誘導政治の改革は十
> 分には進まない反面、市場を絶対視するネオ・リベラルの路線は強行され、弱肉
> 強食の風潮が強まり、国民生活が犠牲になっています。いわば、真の理想主義的
> 「改革」はなされず、似非「改革」のみが実現しています。
>
>  郵政「改革」も、その内容はこのような典型的似非改革であるにも拘らず、政
> 権は「改革派」を装って、「小泉改革派 対 抵抗勢力・反対派」の図式を作り
> 上げようとしています。造反議員に非情にも「刺客」を送り込んで「郵政民営化
> 賛成派の結集」を演出し、郵政民営化問題を選挙の中心的争点にすることによっ
> て国民の支持を得ようとしています。メディアも、この戦術に幻惑されて、政府
> を改革派であるかのように報道し、しかも郵政問題についての自民党の内紛に焦
> 点を合わせて報道して、実質的には政府を応援しています。
>
>  しかし、今回の選挙では、平和問題を始めとする小泉政権の全政策が問われ、
> 国民の審判を受けなければなりません。万一、郵政問題に幻惑されて政権が敗北
> しなければ、イラク派兵・靖国参拝をはじめとする軍事化が選挙によって肯定さ
> れることになります。この結果、憲法改定への道が開かれてしまいかねません。
> ですから、今回の選挙では、平和希求政治家の数を増やして、政権交代を実現さ
> せることが必要です。民主党が単独過半数を取れなければ、野党連合政権を実現
> させるべきです。
>
>  民主党は、郵政問題を中心的争点にすることに正当にも反対していますが、平
> 和問題を争点として積極的に取り上げようとはしていません。平和問題について
> 、この政党の姿勢は曖昧だからであり、選挙によってその国の最重要な問題を争
> 点とするという政党の機能を十分に果たしていません。
>
>  そこで、私達は、あらゆる政党・政治家やメディアに平和問題を総選挙の最大
> の争点の一つにするように訴えます。選挙が行われる9・11はまさに4年前に
> 同時多発テロが行われた日です。この「セプテンバー・イレブンス」に行われる
> 選挙では、9・11を契機とする「反テロ」世界戦争に対する日本の「参戦」が
> 正面から問われなければなりません。
>
>  このため、私達は、平和と暮らしのために真に実効的に働いて下さる可能性の
> 高い方に、なるべく立候補して欲しいと思います。このために、平和を真に希求
> する政党や政治家(以下、平和希求政党・政治家)が力を合わせて、平和統一候
> 補を実現するように訴えます。
>
>  選挙区では、2大政党化の中で、平和希求政治家が当選することは困難になっ
> ています。その状況下において、平和を希求する複数の政党・政治家が分裂して
> 選挙を行うのは、結局は共倒れに終わる危険が高く、平和主義の観点からは自殺
> 行為と思われます。
>
>  参院選では、沖縄だけで平和希求候補が統一され、糸数慶子氏(無所属、社
> 会大衆党・共産党・民主党・社民党推薦)が翁長政俊氏(自民党公認、公明党推
> 薦)と一騎打ちの形で立候補し、当選しました。私達は、このような平和統一候
> 補が日本全体に拡大することを望んでいます。
>
>  ですから、特別の事情がない限り、共産党・社民党などの平和希求政党は、当
> 選の見込みのない選挙区には独自候補を立てて分裂選挙を行わずに、市民グルー
> プなどと協力して可能な限り平和統一候補を実現して欲しいと思います。自民党
> が「郵政民営化への結集」を強要して分裂選挙を行う今回こそ、平和志向政党や
> グループは逆に統一候補を擁立して、「平和への結集」を実現して欲しいと思い
> ます。
>
>  アメリカ大統領選の予備選挙などでは、当選不可能とわかった候補は順次断念
> して他の候補に協力します。
>
>  そこで、当選の見込みがない平和希求政党・政治家はその地区の選挙から降り
> 、当選可能性が相対的に高い平和希求候補者を推薦したりその候補に協力するよ
> うに要望します。また、擁立・推薦を行わない場合は、平和希求政党は、自主投
> 票にせずに、平和を真に求めていると思われる候補者に協力するように求めたい
> と思います。
>
>  このようにして、平和統一候補を実現し、平和問題を総選挙の最大の争点の一
> つとして、「参戦」内閣に対して国民の審判を下すことを私達は訴えます。
>
>         2005年8月15日(終戦記念日に)
>
>          「平和への結集」有志
>            浅野禎信(東京平和映画祭事務局長)
>            天木直人(元レバノン大使)
>            稲垣久和(東京基督教大学)
>            上村雄彦(日本自立プロジェクト)
>            川西玲子(社会・生活システム研究室)
>            きくちゆみ(グローバル・ピース・キャンペーン)
>            小林正弥(千葉大学、地球平和公共ネットワーク)
>            竹村英明(平和政策塾)
>           平山基生(沖縄などから米軍基地をなくす草の根運動)
http://global-peace-public-network.hp.infoseek.co.jp/index-j.html
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コイズミさんとマキャベリズム

2005-08-15 23:16:04 | 平和
 コイズミさんが8月15日終戦記念日にあわせて、首相談話を発表した。そこでは、「かつて植民地支配と侵略によってアジア諸国の人々にに多大の損害と苦痛を与えた」として、「改めて痛切な反省と心からのおわびの気持ちを表明」した。
 また「一衣帯水」という言葉を用い、「中国や韓国をはじめとするアジア諸国とともに手を携えて平和を維持し発展を目指すことが必要」としながら、「過去を直視し歴史を正しく認識し」ていくことを語った。
 この談話は、今後のコイズミさんの外交姿勢、日本の外交姿勢を明確に打ち出したものと諸外国、とりわけ中国・韓国が認識していくかどうかがカギである。談話の内容を実効性あるものとしていくことが大事だろう。
 一方で、この談話冒頭の内容は、靖国参拝との整合性をとるためだという指摘もある。しかし、内外の戦争の被害者総体に哀悼の意を表し、再び戦争の惨禍がアジア地域に起こらないようにとする決意と、戦死した軍人のみを祀る(かつ戦争指導者を共に神として祀る)靖国神社への公式参拝にこだわるコイズミさんの言動とどういうふうに一致させるのか? 選挙目当ての(特に公明党への配慮が色濃い)言説だとしたら、国の内外において、問題をいっそうこじれさせるに違いない。
 それには、少なくとも首相任期中の参拝は取りやめることと、また、過去の戦争をいまだに賛美する閣僚の発言に対して、首相として毅然とした態度をとることが、談話への自己責任の取り方ではないだろうか。
 こういうふうに考えると、コイズミさんの手法がかのマキャベリズムと同根のような感じがしてならない。我々は、コイズミさんの権謀術数の本質を見抜かなければならない。
 (以下の文章は「IKEのイタリア旅行記」より引用)

 「適切に行使された場合というのは、こうである(もっとも、悪しき行為を「適切に」と言うことが許されるのであればの話だが)。それが必要だと確信できる対象に対してのみ、集中的に残虐性が行使され、かつ、その後はその方法が蒸し返されず、むしろ臣民の利益になるよう転換される場合である。
 不適切に行使された場合というのは、最初のうちは残虐性がわずかしか行使されないのだが、その小さな傷が癒えるよりも早く、時とともに残虐性が増加する場合のことである。
 前者の適切な方法を遵守した者たちは、神や人々からの恵みによって、彼らの国を守るための何らかの方策を得ることができよう。アガトクレにはそれができた。しかし、遵守しない者たちには不可能である。
 それゆえ国を獲得しようとする場合には、このような注意が必要だ。必要とされる全ての攻撃に漏れがないように検討を尽くしておき、その全ての攻撃は、後で蒸し返しのないように一気に行うべきである。蒸し返しをしなければ、人々を安心させ、恩恵をもって人心をつかむことができるのである。
 臆病や見当違いの配慮によって、これと反対のやり方をする者は、いつも手に剣を持ち続けなければならない。記憶に生々しい恐怖、繰り返される恐怖のため、臣民が安心して暮らせない状態にある以上、そのような臣民の上に地位を築くことなどできないからだ。
 従って、むしろ人々が受ける損失をより少なくするためにこそ、恐怖はすべて一度にやっておくべきなのだ。そして、恩恵は、その喜びが持続するように、少しずつ与えられるべきである。
 加えて、とりわけ君主たる者、臣民たちとともに暮らすべきである。好機にもにも危機にも、いかなる事態にも臨機応変に対応できるようにするためである。そうしなければ、何か手を打つべきときが来たとしても何もできない。危機が迫ったとき、あなたには対処すべき時間は残されてはいまい。また、あなたが行った処置が適切であったとしても、あなたの利益につながる好機とはならないものだ。なぜなら、タイミングを逃せば、やむにやまれず仕方なくやったことだとみなされ、あなたの価値を誰も認めないからだ。=君主論第8章=」

 コイズミさんが現代のマキャベリでないことを望む。一説によると悪魔の書と呼ばれた「君主論」が復活した国の代表は、ドイツとイタリアであったという。後に、「君主論」は、ファシズムを生んだ「書」とも言われている。
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哲学の貧困または政治の貧困

2005-08-14 11:56:41 | つぶやき
 創価学会。戦後爆発的な勢いで信者を増やし、今や巨大宗教団体となっている。かつて、激しく戦闘的な「折伏」による会員の勧誘・獲得は、明治維新当時の打ち壊し運動にも似て、社会からさまざまな批判や軋轢を生みながらも、大きく組織的に成長した。
 戦後、全く無に帰した社会の中で、苦しみにあえぐ庶民の生活。何としても生活苦・病苦から逃れたい人々、それまでの軍国主義的価値観が一夜にして灰と化し、これからどうやって生活を律していくのか悩む人々。
 そうした人々に、宗教・信仰を根本にした生活を教え、導く。そして、新たな価値観・人生観をもとに生活を築いていく、そういう啓蒙活動の先頭には、良くも悪くも常に創価学会があった。
 創価学会は、戦前、小学校の校長であった牧口常三郎氏(初代会長)が、日蓮正宗の信徒であった目白学園の三谷素啓氏から信仰の話を聞き、入信したことに始まるという。
 1960年代前半、創価学会が急速に伸びていた頃、学会に対する世間の批判は、「学会は、貧乏人と病人の集まりだ」であった。たしかに戦後の復興期を迎えつつも、その恩恵になかなか浴せない、都会に流入してきた人々が、会員の中心だったかもしれない。
 だから、会員獲得に当たっては、現世利益主義(戸田第2代会長は、信仰の対象である、日蓮聖人の「本尊」を幸福製造器とも名付けた)一辺倒の新興宗教的布教活動、という面も大きく作用しただろう。しかしそうした面だけで、これほど急速かつ大きく、成長しては来なかったと思う。他の新興宗教が、会員獲得数においてすぐに頭打ちになったことに比べて。
 それは、哲学、とりわけ戦争反対を含む平和主義が、創価学会(日蓮正宗)の根本にあったからではなかったか。特に会員は、戦時中の牧口氏の獄死、戸田氏の獄中生活、即ち反戦・平和を大きな精神的なバックボーンとして、世間の人々に、真の仏法をもとにした、人間主義・平和主義・地球主義を訴えてきた。それが、次第に多くの庶民の心に浸透してきたのではなかったか。
 その意味では、鎌倉時代、とりわけ他国(元)からの侵略(戦争)におののいた当時の人々。為政者・武士支配層、それにつらなる庶民層に対し、法華経信仰をもって改宗・政策転換を鋭く迫った日蓮聖人。その思想・行動に心から感銘し、信仰心を発揮し、日蓮思想・哲学を現代に蘇らせた、とも言えるのだ。だから、どの学会員も「御書」(日蓮思想)を片手によく学び、よく活動していた。
 しかし、日本が高度経済成長を経て、少なからず国民の生活が、一応曲がりなりにも落ち着き、人々は、そこそこの生活を楽しむことが、出来るようになってきた。「学会員は貧乏・病苦」という中傷から、学会員も抜け出す時代を迎えた。日本中が、経済的には満たされる段階になったのである。
 一方で、学会が「公明政治連盟」「公明党」と、都議会、参議院そして衆議院、さらには地方議会、と選挙活動によって次第に政治の世界へ進出し始めた。この頃から、学会の創立当時、また発展期における哲学・思想を放棄し始めたようにも思う。「政治は妥協の世界だから」という言動が聞かれるようになったのも1980年代。そして、1990年代に入っての宗門からの離脱・独立。
 それからの15年間。宗門批判の激化とあわせて、それまで以上に、政治・選挙に組織活動の全勢力を傾けるようになったようにも感じる。新進党の設立・解体、自民党との連合。・・・。日本の政治・政党も、公明党=創価学会の動きに呼応するかのように、思想・信条をさしおいての離合集散に、明け暮れるようになってしまっている。
 今回の選挙も、ますます単純化。郵政民営化に賛成か、反対か。国民の考える余地を与えない。詳しい説明を抜きに、賛成・反対。反対する者は、すべて、改革NO!であり、日本の将来に責任を持たない連中だ!と言わんばかりの言説。マスコミも右にならえ。思考停止のままの選挙。・・・
 たしかに哲学・思想は、現状を疑ってみる、否定するところから始まる。その上で、よりたしかな世界観・人生観を考える、思索するものだ。また、それを実人生に生かしていく、自らもまた他者にも。残念ながら、今、そうした哲学そのものには、魅力もなければ、変革の力もなくなってしまった。と、世間からもみなされている。現状維持思考。現在の生活に満足・・・。○か×か。こうして、人の精神は退廃していくような気がする。
 創価学会。その根本の哲学・思想、道念はどこに行ったのか。政治活動に埋没していくうちに、大きなモノを失っているのではあるまいか。
 以前、イケダさんも、政治活動に手を出したこと、そのことを悔いるような発言をした、とも聞く。濁りきった世の中にあって、その悪を果敢に正していく、そうした実践の哲学。日蓮聖人の教えの原点に返った姿こそが、学会の本来の姿だと思う。もう、今さら望むべくもないが。
 明日は、8月15日。敗戦の日(昭和天皇の玉音放送の日)から60周年を迎える。公明党=創価学会の歴史を厳しく点検する作業を通じて、戦後、とりわけ、ここ20年の日本の政治のありようを総括することは、直ちに取り組まなければならない重要な課題である。
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公明党=創価学会という、ろくでもない存在

2005-08-13 09:23:34 | つぶやき
 政治の世界に限らず、人と人とのつながり。昨日の友は今日の敵。敵の敵は味方。・・・よくあることです。それにしてもと思います。公明党=創価学会のやり口には。
 今回の選挙。コイズミさんのやり方。郵政民営化反対者は公認せず、対立候補を立てる。それで、郵政賛成派で過半数がとれなければ、首相の座を降りる。ある意味で、政党政治家らしい対応の仕方です。
 政党という団体は、まさに政策の一致が根本であって、その主義、主張に一定の拘束性を持つのは当然でしょう。こうした考えを一貫して堅持するコイズミさん。その姿勢を批判するなら、党内で反コイズミの多数派工作をして、コイズミさんを党代表の座から下ろす。コイズミさんの考え方・行動は、我が党の党是とは反するとして。それが叶わなければ、主義・主張を同じくする同志を募って、新たな政党団体を結成する。これが当たり前ではないでしょうか。
 党内論争は、論争として大いに行い、いったん党内がまとまったならば、その方針に従って、党人として行動する。自民党の50年間。そうしたやり方が出来ず、派閥間の合従連衡で、自民党という政治結社を組織していた。こうした旧態依然とした体質・あり方をぶっ壊していく、これがコイズミ流だと思うのです。その意味では、コイズミさん。首尾一貫しています。
 小選挙区制のもと、反対派は、自分たちで政治団体をつくるか、圧倒的に不利であっても無所属で選挙運動をする。勿論、今の自民党の体質ではそれがすっきりと出来ず、反対派候補者に対する党本部と県連との意見が合わない。まさに内紛的選挙戦になることも、仕方がないでしょう。どうみても組織政党とはいえないんですから、自民党は。だから、日本の政治の実権を握ってこられたとも言えますね。
 しかし、小選挙区制になった今、二大政党制の是非はともあれ、政党間で政策論争・論議がなされ、それが国民の前に明らかにされる。そして、投票の際の重要な観点になっていく、こうならなければ、小選挙区制をおく意義がないと思います。こうして、初めて今回の選挙の争点がはっきりもしてくるのです。
 ところが、相変わらずの自民党内のゴタゴタ。自民党公認がだめなら、無所属で立候補するという、反対派議員も多いようです。コイズミさんも当初の目的通り、反対派には自民党公認で賛成派候補者を擁立する方向。「内ゲバ」解散とも言われる所以です。もしかしたら漁夫の利を得るのは民主党。そうであってもコイズミさん、自らの節を曲げないでしょう。ある意味で立派な御仁です。
 そこで、またもや露呈したのが、公明党=創価学会の態度のおかしさです。
「郵政民営化には賛成です。コイズミさんをこれからも支えます。」と公言しておきながら、一方で、郵政民営化反対派の候補者を応援することもあり得るという。 郵政民営化可否を巡って、自民党内が大もめになっているとき、反対派には今後選挙支援をしない、と反対派切り崩しに一役買った公明党幹部。その根拠は、否決して総選挙になることを阻止!という一点のみでした。ところが、あれよあれよというまの総選挙。
 ここで、公明党の党利党略のえげつなさが出てきたのです。神崎さんをはじめ党幹部は、「郵政民営化賛成」という舌の根も乾かないうちに、反対派候補者(自民党本部から公認されない候補者)も支援する場合がある、と発言しました。この理由は、簡単。無所属では比例区には投票する対象の組織がない。そこで、「小選挙区では、誰々、比例区には公明党を」と叫んで貰いたいのです。
 これは、前の総選挙でも行った戦法。自民党の候補者が、学会からの固定票ほしさで「比例区には公明党」と演説して回りました。それで、比例区の公明党票は大きく伸びました。これは、候補者が連呼しただけではなく、自民党候補者の「後援会員名簿」を譲り受け、徹底した公明党への投票依頼行動をしたからです。
 今回もその作戦。郵政民営化に反対・賛成は関係なし!ただただ自分たちが有利になりさえすれば、それでOKというわけです。
 同じ「信仰者」ということで存在するはずの創価学会組織。本来、政党支持は自由であるはずなのに、信心の組織を全面的に使って、会員を選挙活動にかり出す。あげくの果てに、自民党候補者への投票を上から指示されたり、自民党後援会名簿をもとに、公明党への一票をお願いする。・・・表向きは、自由です、どの党に入れよう、と言いつつも。そこに、この組織の「ろくでもなさ」があるのです。
 まして今回は、コイズミさんが争点にしたいのは、「郵政民営化賛成か反対か」だとすれば、これほどいい加減な政党組織はないと思います。コイズミさんと一緒に少数派に転落したらイヤ!敵であろうと何であろうと、その保険のためには、節操も主義も何もない。
 どうしてこういう団体が、日本に跳梁跋扈しているのでしょうか。こういうことでは、「イカン」崎!と思うのです。
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2005-08-12 11:23:02 | 平和
 コイズミ信長の作戦は、今のところまんまと大成功。小池(広告塔)候補は、無党派層からも圧倒的な人気。静岡でも岡山でも。静岡の女性候補は、桝添さんの元妻。桝添さんも、どこかの反対派選挙区から立候補させるつもり。マスコミ受けする候補者を次々と仕立て、マスコミの関心を煽って、選挙を進める。
 こういうコイズミ手法にまたしても騙されないぞというマスコミはないのか。国民はいないのか。
 コイズミ・マジックの最たるものは、数字のマジック。自公連立政権は、圧倒的な多数派。過半数を上回ること、42議席。だから、造反議員37名に対立候補をぶつけ、すべて負けたとしても、まだ過半数を5議席上回る。これまでのやり口からすれば、全部落ちるはずがない。今回の世論の動向を見ても、ぶつけた候補が何人も当選する勢い。
 また、当選した何人かの無所属を受け入れれば、何ということはない、現状維持か、少し下回るくらいの結果が出そう。それでも、圧倒的に過半数を維持できるのだ。民主党は比較第一党になるかも知れないが、それも投票率次第。37選挙区以外は、ほとんどがしらけた選挙とも予想され、投票率が低かったら、民主党勝利の目はない。これで、コイズミさんの大勝利。公明党も大喜び。
 そういえば、厚顔無恥な冬柴さん。民主主義は数だ、多数決だと力説。多数派に常につく、コウモリ政党・公明党の無内容な姿勢に、かえって居直っていた。
 いよいよコイズミ・傲慢政権が誕生する。選挙結果は、すべて自分の都合のいいように捉えて、郵政民営化だけではなく、サラリーマン増税やら消費税やら、次々と増税案が出てくる。その先には、究極の憲法改定がある。
 1年の任期で無理ならば、コイズミさん、任期延長もありうる。永久政権誕生。国民の多数の支持を受けていることを口実に。そもそも「郵政民営化」は、コイズミさんの年来の公約ではあるが、90年代から、日本の構造改革の要としてアメリカからの強いおしつけ政策。
 だから、これだけでは、決して終わらない。アメリカの狙い。日米一体化。軍事一体化。政経一体化の動きとなって、アメリカを支える日本としていくのが究極の目的。これは、大げさではなく戦争か平和かの問題。
 このことを有権者の目から隠しておいて、「郵政民営化」賛成か反対かという二者択一の選挙に持ち込みたい、コイズミさん。まだ選挙が始まってもいないのに、既にコイズミの完勝を予想するマスコミ。
 こうなったら、コイズミさん。勝つという予想のもとで、8月15日靖国神社に公式参拝して貰いたい。そうすれば、今回の選挙の奥底の争点が、だんだんはっきり見えてくるから。コイズミさんは、それほどバカではないか。選挙に勝利して、9月例大祭に堂々と公式参拝するつもりだろう。ああイヤになるね、こうした動きに何とも出来ぬ小生が。
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130対2

2005-08-11 09:40:47 | 平和
 今朝の朝日の都内版。自民党の小林さんと小池さんの話題で130行。それに対して民主党の候補者はわずか2行。共産党も2行。郵政改革に反対の小林さんに刺客を送り込んだという話題ばかり。TVもどこもこの話題で大半。国民の郵政改革への関心度はそれほど高くないのに、コイズミ手法に見事にはまっている。
 日ごろコイズミさんには批判的な朝日。イラクへの自衛隊派遣、靖国参拝、アメリカ追随・・・。今回の選挙は、4年間のコイズミ政治の正否を問うべき選挙にしていく、という基本的な捉え方は捨ててしまったのか。それとも、民主党ではお気に召さないのか。それにしても、と思う。
 ところで、小池なる人物。日本新党から始まって新進党。自由党。保守党。自民党。選挙の度に所属政党が違っている御仁。細川、小沢と渡り歩き、今やジュンちゃん。結局、使い捨ての広告塔に過ぎないのだ。
 マスコミも「刺客」として、あっちでもこっちでも、刺客には誰がいるかなどと取り上げて、「刺客=広告塔」をちやほやする。今回の選挙で、「刺客」などという言葉を最初に用いた人間は誰だか知らないが、もう今年の流行語大賞に決定! 「必殺仕掛人」とも。まるでヤクザの世界。
 中国・漢時代。有名な歴史書「史書」(司馬遷)には、「刺客列伝」として戦国時代の刺客=暗殺者が複数登場する。司馬遷が取り上げなければ、歴史に埋もれ、無名のままに終わってしまった人物も多い。
 たしかに、今も昔も「刺客」には独特の響きがあるのだろう。使命感・高揚感・正義感・・・。「風蕭々・・・」とうそぶきながら、たった一人で出かけ、返り討ちにあった刺客。首尾よく暗殺するも、依頼人を不明にするために、自ら顔の皮を剥ぎ、自決した者。・・・
 かつてヤクザ映画が一世を風靡した頃を彷彿とさせるシーンだ。この程度の知的レベルが今の政治の世界なのだろう。それにしても、いったいどういう感性の集まりか、マスコミも政界も。
 自民党同士の加熱した争いの報道を選挙戦にまで引きずり、結果的には、自民党政治を継続させようとする魂胆か。10チャンネルも同じ。見識のまったくなさそうな古館は、ちょろちょろと面白おかしく立ち振る舞っているだけ。
 こう見ると、マスコミの退廃を感じる。これは、視聴者の退廃にも通じるかも知れないが。
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浪花節だよ人生は

2005-08-10 12:46:40 | 世間世界
 マスコミの報道を見る限り、コイズミさんを軸として自民党議員の動向ばかりを取り上げています。反対派はどうするのか? 造反議員に対して対立候補をどうたてるのか? 地元の支持者たちはどう対応するのか? どこも議員の苦衷を取り上げ、結果的には自民党内の駆け引き報道に終始しています。
 一方で、郵政改革法案をなぜ否決したのか? 今日の朝日の社説でも力説しています。見事にコイズミ手法に絡め取られたかのような表現です。コイズミ的やり方や、これまでのコイズミ政治の方向性に異議すら唱えません。
 TVでも自民党議員ばかりが続々登場し、反対派はその悩みを語り、執行部はコイズミ手法に乗っかって、自信満々の表情を振りまいています。今回の解散は、改革に反対・賛成の選択だ、その象徴が郵政民営化に賛成か反対かだ、とするコイズミさん。
 実は、そういう言い方で、これまでのコイズミ政治をこの一点にだけで信任・不信任させる、という実に姑息な政治手法なのです。このことをしっかり見ぬかなければならないと思います。
 郵政民営化は賛成だが、コイズミさんのやり方は納得できない、こういう考えの国民も多いと思いますが、改革にイエスかノウか、という踏み絵のみで、選挙への投票行動を規定するやり方にごまかされてはいけない、と思うのです。
 コイズミさんたち執行部は、賛成しなければ解散だ、解散だ、と脅し。今回の劇で、実弾が飛んだかどうかは分かりませんが、賛成させるためにはあれやこれやの手練手管で迫ったに違いありません。
 コイズミ政治の根幹は、非情なまでの反官僚主義だったはずです。それに連なる情実や馴れ合いや派閥や・・・、そうした旧態依然とした政治の在り方を真っ向から批判し、変えようとした点にあったはず。しかし、そうした理念は置いたまま、実際の手法は、手を変え品を換えの心情や個人的利益に訴えた、恫喝政治。
 このことに感情的に反発した議員の反対行動。これも、情にからんだ行動でしょう。中曽根さんの反対。おやじが議員辞職させられた恨みを「江戸の敵を長崎で」式での報復劇と見えなくもありません。
 しかし、コイズミさんの4年間。勝ち組負け組とはっきりした、国民の所得格差はついにアメリカ並みとなりました。大企業は、コイズミ政権のもと、社員の生首を切っての徹底した合理化・延命策を行いました。そうして、中小企業は瀕死の重症に陥っています。
 靖国問題でも、ただただ自らの心情レベルで押し通すコイズミさん。国際関係が悪化しようと何しようと無関係・関心がないコイズミさん。これらのことを一番の焦点にした選挙ならば、大いに盛り上げていきたい。
 しかし、今回の解散劇。自らをガリレオにたとえて、国民の感情に訴える。またしても、国民はコロッと騙されそう。初志貫徹はすばらしい、孤軍奮闘は立派だ、反対派はけしからん、(だが、自民党の反対派に対しては心情的に支持する)と。
 もともと関心度は低かったはずの郵政民営化問題が、一番の話題になる。これこそ、コイズミ・マジック。見事にはまりそうになっています。結局は、自民党内の競い合いで選挙を闘う戦法、結果的に自民党・公明党で過半数と見ました。
 民主党の岡田さん。過半数をとれなければ党首から辞任する、とコイズミ発言の二番煎じ発言をしました。どこまで脳天気なのでしょうか。せいぜい自民党・公明党連合の、横暴非道なむちゃくちゃ政治を転換させる程度にしておけばいいのに、と思います。コイズミさんの真似をして、背水の陣如き発言をすることはないと思います。向こうが背水の陣をとったのだから、こっちは一気呵成に敵軍を「どぶ」に突き落とす迫力が必要でしょうに。
 それにしても、日本人。浪花節的行動が相変わらず好きですね。
 昨日の清原と佐々木の対決もその一つ。中日・阪神の首位攻防戦が実に盛り上がった真剣勝負だったのに比べて。何ですかね、昨日の試合は。大事な試合に、ただただ地元球場で母親に見せるために、と清原と一回勝負。投手を途中で交代させ、清原も涙を浮かべて打席に立ち、フォークボールで三振する。新聞も美談のように取り上げています。(今朝の朝日のスポーツ欄は、小生のような見方で書いていますが、社会面では、美談になっていました。)
 佐々木は、たしかに横浜の救世主・大魔人だったかもしれませんが、あの茶番劇は、いったい何なのでしょうか。佐々木は家族を大事にする、病気の母親思いということは分かります。しかし、激烈なプロの勝負の世界で許される行為ではない、とも思いました。
 もうペナントレースは、巨人も横浜も無関係になった、とファンから既に見なされているからこそ、出来た(出来)対決だったのでしょう。大リーグでは、あり得ないと思うのです。この辺りにも、外国から、日本人の考えていること・やることはよく分からない、と言われる原因があると思います。
 勿論、この浪花節的世界・義理と人情の世界が日本人の特質であって、これこそ文化だ、伝統だ、というふうに捉える人も多いでしょう。しかし、そういうふうに思い、行動している限り、日本の政治はよくならないし、経済も世界に互していくのはまだまだ。日本人が世界から信頼される日は遠いと思うのです。
 総選挙も相変わらずのお涙頂戴選挙(そういえば自殺した議員のあとは奥さんが立候補するそうです、これも浪花節的義理と人情でしょうね。)・土下座選挙になるとすれば、そう大きく変化しないままに選挙も終わると思います。
 また、何となくの厭戦気分が投票率の低下を招き、某組織政党だけがまたしても喜ぶ、という結果にはならないでしょうか。
 今回こそ、政策論争・コイズミ・マジックの4年間を総括する選挙にしたいものです。
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主君押込で大勝利

2005-08-09 19:14:57 | つぶやき
 コイズミさん仏滅解散。ここまでくれば、公明党を道連れにして、厳しい選挙を戦う決意。そういうふうに、公明党頼りじゃ、もうすでに負け戦さ。彼らは、いつ寝返るか分からない衆だから。
 コイズミさんもお気の毒なはめに。そして、もっと気の毒なのは、自民党議員諸氏。結党50年の記念すべき年が分裂元年になる、ということに。かつてのどこかの証券会社(あそこはちょうど100年目でつぶれたが)と同じ運命をたどることにも。
 おかしいのは、否決したのは参議院。仮に総選挙で郵政民営化・改革路線が過半数を占めても、これで参議院の票決が変わるはずもない。また、反対した自民党議員がやはりコイズミさんが正しかった、この間は間違えました、今度は賛成しますっていうのも、誠におかしな態度。
 同じ内容の法案を提出する考えのようだから、コイズミさんは。だったら、最初から賛成しろよ、解散で、無駄な税金と政治空白をもたらした責任をどうとるつもりですか、と国民は怒るのも当然。ここまで政治を弄んだ責任は大きい。
 だから、同じ法案なら、また反対するのは当然のこと。そして、またまた解散になる。・・・だから、コイズミ自民党・公明党には大敗してもらいたい。それならば、まがりなりにも議会制民主主義は守られそうだから。
 しかし、自民党はウルトラC(D)くらいの方法がある。それは、コイズミさんを党の総裁から引きずり下ろすこと。そして、後任の総裁に安倍さんを選び、今度の選挙の顔にする。そして、反対派・造反派も含めて公認し、心機一転・一致団結して選挙戦に臨めば、これは本当の大勝利は間違いないはず。
 手続き的には、両院議員総会を開いて、今回の混乱の責任をとってもらって、コイズミさんを辞めさせる決議を行う。コイズミさんがぐずぐず言っても、皆で全く無視する。押し込める。「主君押込」ですね。新たな党の顔が安倍さんになれば、民主党の岡田さんも真っ青なウルトラC(D)。
 選挙戦に勝利した後、郵政民営化問題。もっとじっくり地方の意見を聞きながら、今の「郵政公社」制度を見直す、2年後をめどにして、新たな民営化案をつくる。
 その際、ついでにトッチャンボウヤの竹中さんもクビにする。ついでに、鵺政党の公明党もばっさり切る。
 こうすれば、お家は安泰。と小生が亀井さんだったら、ダメもとで、このくらいの策略は用いますが。いかがでしょうか、亀井さん。
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今度の解散は〇〇解散?

2005-08-08 23:34:17 | つぶやき
いよいよ衆議院の解散が決まった。
今日一日さぞかし熱い・暑い一日だったでしょう、当事者たちは。

国民はというと、クーラーの効いた部屋で観戦モードの人も。
炎天下で仕事に一生懸命で、様子は知る由もなかった人も。
さまざまいたけれど、今度は選挙権を持つ我ら国民の出番。

まずは低投票率ではなく、投票に行きましょう。

ところで、今回の解散を命名すると
どうなる?

「コイズミのコイズミによるコイズミのための」解散
「千載一遇」解散
「殿ご乱心」解散
「自民党結党50周年・記念」解散
「自分は反対したよ」解散
「蚊帳の外」解散
「郵政民営化」解散?かな
「自爆テロ」解散
「内ゲバ」解散(懐かしいヒビキですね)
「靖国」解散(コイズミさん、やはり8月15日に行く決意らしい)
「平和か戦争か」解散(憲法改定問題が焦点になってほしい)
「信念には負けた」解散
「改革・改革、何としても改革」解散
「江戸の敵を長崎で」解散
「理不尽・不合理・無理」解散
「政権交代」解散
「国民不在・内輪もめ」解散
「バンザイ・バンザイ・バンザイ、やけくそ」解散

それにしても、投票日が、あの世界を揺るがした
「9・11」同時多発テロ発生の日。
この日からアメリカの反テロ戦争が世界的な規模で広がった。
アフガン・イラク、そして今も続く悲劇。

このことに思いをはせて
日本の今後を占う重大な選挙になるでしょう。

郵政民営化だけで右往左往
国際的な課題・問題にも何にも取り組まず
国連常任理事国入りもあえなくとん挫
6カ国協議もまるで相手にされず。

国内問題でも、年金一元化の話もどうなったか
サラリーマン大型増税案
消費税の引き上げ
靖国参拝。・・・
すべてがほったらかしのまま。

いったいどうなっているの?

国民の関心はどこにあるのか?
もっとそのことを真面目に考える議員が、
今度は、いなくてはならない、と思う。
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殿ご乱心!

2005-08-07 17:51:06 | 読書無限
コイズミさん、森さんもお手上げの状態
「殺されても・・・」

もうほとんど執念以外の何物でもなくなった
お家の一大事。さあどうする
自民党をぶっつぶす
公約通りの展開になるか、はたまた・・・

一寸先は闇
永田町は走り出す、選挙・せんきょ・センキョ

かつての江戸幕藩体制
お家の一大事発生

お世継ぎがいない
お家断絶、家臣は路頭に迷う
どうしても避けたい事態

お家騒動もつきものに

殿がご乱心のときは
それでも領地没収、領地替え
家臣はまたまた他家の預かり、他人の飯

そこでとった手段が「主君押込」

てなことで。

「固定的な身分社会と思われていた江戸時代」
実は、藩主が家臣に更迭される「主君押込」
有能な下級武士を抜擢する「能力主義」
武士道の根本規範
「滅私奉公」ではなく「自立の精神」と「組織の繁栄追求」
徳川吉宗、上杉鷹山の改革
幕末の幕府官僚の例を挙げて
新しい武士像を提示する

江戸時代の武家社会に
日本企業のルーツを探る画期的な組織論。

『武士道と日本型能力主義』 
笠谷和比古 (かさや・かずひこ)著
(新潮選書)

ちょっと興味を持った本の紹介でした。
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ヒロシマ・広島2005

2005-08-06 08:22:57 | 平和
 1945年8月6日午前8時15分。運命の瞬間から60年が経ちました。今年の3月、久々に広島を訪れました。原爆資料館の他、はじめて爆心地の島外科病院の上空を見上げました。この上空約600メートルで原爆が炸裂した瞬間を思いました。もうすでに午後3時過ぎの空でしたが、青空を見上げました。
 昨日の6チャンネルの放送では、原爆ドーム上空で爆発したようになっていましたが、事実はもう少し東側の地点です。その再訪の記事は3月25日に書き記しました。
 
 広島。25年ぶりくらい、久々の原爆ドーム。資料館。のどかな春の日差しのもと、平和公園の川辺では何組かの青年たちが歌に興じていました。
 その姿を見ながら、平和公園をはずれて初めて爆心点に行きました。島外科病院です。1945年8月6日午前8時15分、その真上で投下された原子爆弾が爆発しました。見上げると、青空が広がっていました。
 袋町小学校資料館も初めて訪れました。爆心地からほど近いこの小学校(国民学校)は、鉄筋コンクリートだった西校舎だけが残りました。校庭で朝礼をしていた教師・児童は、原爆の高熱と爆風で一瞬のうちに跡形もなく地上から姿を消しました。
 この学校の階段の壁には階段にそって、行方不明者の安否を気遣う伝言がそのまま残されています。また、教室にも白墨で書かれた伝言が残されています。実に切々とした思いに駆られます。助かったのは、わずか数名。それもたまたま地下室の下足箱にいたからだそうです。
 今回の収穫の一つは、原爆投下前の家屋、住民・氏名の復元図でした。前に来たときにその復元作業を行っているところで、その資料を呼びかけていたような記憶があります。ほぼ完成していました。その原爆投下前の市街地の立体模型と原爆投下後のほとんど消え失せた立体模型を比較すると、いかに原爆が市井の人々の生活を一瞬のうちに奪い取ったかを確かめることができました。
 また、投下直後、米軍の撮影した写真は原爆の被害状況をみるためのものに過ぎなかったことも改めて感じました。生々しい写真を通じて、アメリカ(人)の核への恐怖が、「核抑止力」というかたちでいまもなお続いていることの原点はここにあるという感じがしました。新潟・広島・小倉・長崎は、他の各都市が焼夷弾などの爆撃を受けていたにもかかわらず、ほとんどなかった。そこに、原爆の威力の実験材料として温存されていたといいます。そして、日本の広島(長崎)では一瞬のうちに多くの生命が奪われました。
 そうして、不充分さはあるものの、広島は、反核の発信地として世界にメッセージを送り続けています。しかし、アメリカは、その悲惨な現実から、それを核兵器の巨大な破壊力と恐怖心とを結びつけ、いっそう、核開発を進めてきました。人間の持つ良心とそしてそれとは裏腹な心の存在をいやというほど見せつけられました。かつて、25年前、「ヒロシマから広島へ」という短い文章をある機関誌に発表したことがあります。当時を思い返すと、当時の原水爆禁止運動の中で、政治的に「反核都市・ヒロシマ」というイメージばかりが先行し、地に足のついた市民レベルでの反核運動を作り出すこと、それには被爆の原点に返るべきだという思いから書いたような気がします。
 それから25年以上。当時のアメリカ、ロシア、中国・・・。核大国といわれる国々の他、史上最強の暴力装置の力に依存する国が増えている今日、核の恐ろしさ、悲惨さを訴え続け、核に頼る力の政策では何も生み出さないばかりか、地上においてもう一度原水爆が投下されたならば、人類を滅亡に導くことにつながるということ(これはごく当たり前のことだが)を広島・長崎の被爆体験を通じて訴えていかなければならないと思います。(2005年3月25日)
 
 昨日の放送で、アメリカの科学者(開発に携わり当日キノコ雲を撮影した人物)が広島を初めて訪れ、被爆者との対話のシーンがありました。その科学者は「真珠湾を忘れるな」という言葉をしきりに繰り返し、戦争においては罪のない市民は存在しないと発言し、私は謝罪する気はない、と断言しました。さらに、核抑止力によって今の世界の平和は成立している、と。被爆者とのすれ違いこそが、60年前の戦争という、リアルな状況の一端を示したものでした。
 現実に、60年間、広島長崎に原爆が落とされて以来、この地球上で敵を殲滅するために、核兵器が用いられたことはありません。何度も、その危機はありましたが。しかし、地球上には、いまだに何万という核兵器が保持されています。まだまだ核兵器廃絶までの道は、遠い。
 一歩間違えば、地球を全滅させる(敵も味方もなく)核兵器によって、かろうじて平和が維持されている、というリアルな国際政治というものへの捉え方もあります。
 が、本当にそうなのか。戦後60年、各地での紛争・戦争は絶えることはありませんが、戦争解決の方法として核兵器を用いてこなかった、という当事者たちの判断力は、広島・長崎の今も続く原爆の悲劇にあるのではないか。人類のふみとどまるべき理性ではなかったか、少し甘い見方ではあるでしょうが。(テロリストへの核拡散を防ぐということが、焦眉の課題となっています。)
 そこに、唯一の被爆国民(市民)として原爆の悲劇を、後世にまで語り継ぐことが、核兵器使用への抑止力になり、ひいては、国際的紛争の手段としての戦争そのものをなくしていくことにつながるのだ。これは、本当に遠い道です、インポシブル・ドリームに近い!
 しかし、そうではあっても、核兵器を保持することが、けっして真の戦争への抑止力にはならないことを、ねばり強く訴えていくしかないと思います。
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たかが高校野球

2005-08-05 10:36:45 | 教育
 明徳義塾が出場辞退。もし匿名の投書で発覚しなければどうなったのだろうか。今の世の中、いつまでも隠し通せることはない。特に高校野球では、ライバル校を追い落とすため、こうした不祥事(?)を狙っての匿名の投書は結構多いらしい。
 勿論、そういうことが当たり前だ、ということを自覚して、指導者は指導を徹底しなければならないのは、当然。今回は、監督の名誉欲・功名心が、事前での判断をあやまらせたのだろうか。
 この6月だったか、この高校では、生徒による傷害事件が起こった。その後始末もままならぬうちの、今回の出来事。学校自体に、暴力や喫煙行為が日常化している、と疑われても仕方がないようだ。
 特に、野球部員は、県外の生徒がほとんど、そうして、合宿生活で野球漬けの毎日。まして、100名を超える部員数、高校生の日常的な生活指導そのものも大変だと思う。
 この高校だけではなく、野球名門校はほとんどが県外からの生徒。出場出来なくなった、明徳義塾の野球部員は、宿舎からそのまま解散となって、実家に向かったという。高知県出身の生徒はほとんどいないのだろう。
 小学校・中学校、と野球で名を立てていこうとする、少年たちとその父母たち。こうした中で、レギュラーポジションを巡る、保護者の不満や要求も強いようだ。まるで応援団の方が熱くなっているという状況。
 これは野球だけではなく、サッカーや水泳などでも、当事者の少年少女の思いを超えて、親たちが熱くなるらしい。親同士が牽制しあう、反目しあう。
 小生、先日、とあるファミレスで、サッカー応援の帰りの女親同士の会話を聞くともなく、聞いていた。そこでは、お互いの子どもほめあいながら、実は腹のさぐり合い模様。遠征先に応援に行く話から、将来の話まで。進学先の高校名?。
 ニコニコ笑顔を絶やさない中でも、親の過度な期待と熱意が、ちょっと離れた席にいた小生にも、ひしひしと伝わってきた。まして、高校野球はなおさらのことではないか、とも。
 プロ野球選手は、その頂点中の頂点。そこを目指して、身体を駆使して頑張る、頑張らせる。・・・
 代理出場の高知高校も別の意味での被害者?県大会決勝。延長戦で惜しくも敗退し、もう新チームになって、来年に向かって練習に励む日々。3年生は引退してしまったはず。冷えた闘争心をまた燃やして、闘いに挑まなければならない。高校生にも酷な試練だろう。
 こう考えてみると、ここにも、大人たちの思惑の犠牲が感じられる。それほど、高校野球が、青春の純粋な燃焼、とは思えないと感じるのは、小生だけであろうか。
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伊豆に出かけました

2005-08-04 23:23:00 | つかのまの旅人
 ここ数日出かけていました。
 半分仕事、半分骨休み。温泉がとても素敵な宿でした。何といっても、24時間いつでもOKでしたから。仕事に疲れると、温泉につかって、のんびり心身を伸ばしてきました。
 TVのニュースは、相変わらずの郵政民営化法案を巡る、どろどろした国会議員たちの暗躍ぶりと、宇宙での船外活動の中継でした。適当に見つつ、適当に小説も読みつつ、まあ、夜はゆっくりという感じでした。
 直前にいつもの宿が、急遽変更になったのには驚きましたが、今回の宿は、その分精一杯サービスしてくれました。食事も、おいしく食べました。
 実は定宿、去年10月の台風で、屋根が吹っ飛ぶなどの大変な被害。その修理も遅れ気味、そのため、今回は間に合わなかったというわけです。
 こちらは、そんな被害などつゆ知らず出かけました。行ってみると、たしかに大変な様子。夏のシーズンにも間に合わず、今年は棒に振る羽目になったとか。何しろ、軒並み、屋根が飛ぶ被害のため、修理が間に合わないらしいのです。
 裏山の大木が家の側面を突き破って、泥水が建物中に一杯になった話。裏手の川が氾濫し、海まで車が流された話。人も亡くなったようです。
 去年の日本。次々と台風に襲われ、全国に大きな被害を生みました。その一端を目の当たりにして、改めて自然災害の恐ろしさを感じました。わずか1時間あまりの出来事だった、とのこと。
 こんな、のどかな海岸沿いの街にも、大きな被害が及んでいたのですね。幸いに家も改築され、営業再開も秋口にはという話でした。
 暑さもそれほど厳しくなく、夜はクーラーを使うこともない涼しさ。帰り着いて、今日の暑さには、本当に参りました。また明日からこの暑さとの闘い?だと思うとうんざりしています。
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