「笑ってはいけない」が大ピンチ! 〝痛みを伴うネタ〟BPO審議入りでお笑い界に激震
「BPOの青少年委員会は、視聴者やBPOの中高生モニターから、出演者に痛みを伴う行為を仕掛け、それをみんなで笑うような、苦痛を笑いのネタにする各番組は「不快に思う」「いじめを助長する」などの意見が継続的に寄せられてきていることなどを踏まえ、議論した。その結果、青少年に与える影響の重大性を鑑みて、審議入りすることを決めた。」
この問題は相当難しい。
私の世代だと、とりわけ教育現場において、体罰が日常化していた。
小学校時代に宿題を忘れるとホウキで「百叩きの刑」(スパンキング)を受け、中学校時代の部活では飛び蹴り指導するバレー部の指導者がおり、高校時代は部員の顔面にグーでパンチをして奥歯を折った(但し伝聞)剣道部の顧問もいた。
私の見る限り、これに対する反応は二極化するようで、① 体罰を含む暴力全般に嫌悪感を抱くようになる、② 暴力に対する感覚がマヒしてしまい、加害者を模倣するかのように、他者に対し「これくらい大丈夫」と暴力をふるってしまう、というものがみられる。
他人が苦痛を感じる場面を見て「笑う」のは、おそらく②のタイプだろう。
人間の本能に攻撃的な衝動が含まれていることは間違いないが、これを抑圧しないと正常な社会生活を営むことは不可能である(「不快感を感じる」というのは、おそらく抑圧の一作用と思われる。)。
だから、普通の人間は、少なくとも人前では攻撃的な衝動を隠すものだが、これを抑圧しない人も一定数存在する。
いわゆる「識者」が指摘しているのは、問題なのは、暴力を容認するかのような映像が日常的に流れる環境で育つと、「暴力なんて抑圧しなくていいんだ」と勘違いしてしまう人が出てしまいかねないということである。
これは、確かに正しいようである。
「体罰」を禁じることで若者の暴力性が劇的に減少することが88カ国40万人を調査した研究で示される
「この結果について、主任研究者でモントリオールのマギル大学のフランク・エルガー准教授は「現時点で言えるのは、体罰を禁止している国で成長した若者は、そうでない国の若者に比べて暴力性が低い、ということです」と述べています。
またこの傾向は、国ごとの裕福さや殺人率の違いには関係ないことが確認されているとのこと。つまり、成長期にある子どもに体罰が加えられる環境があるかどうかによって、その国の若者の暴力性は一定の影響を受けるということになります。体罰を受ける子どもは「自分は望まれない人間なんだ」と考えることや、体罰を受けた子は大人をまねて自分も体罰で「しつけ」をする連鎖が生じることも明らかになっているとのことです。」
こういう調査を見ると、「暴力的な映像は一切禁止するのがよい」という結論になりそうだが、そう簡単ではない。
暴力を禁圧して日常から締め出してしまうと、(ガス抜きがないために)かえって攻撃衝動がマグマのように溜まって増幅されてしまう(格闘技に反則技を多く設定すると、「地下格闘技」が流行するようになるのと似たような現象かもしれない。)、あるいは、抑圧された人間の本能的な攻撃衝動(「死の欲動」を含む)が自分自身に向かい、神経症やうつ病などを発症する、というリスクも考える必要がある。
妥協点を見出すとすれば、「夜11時以降のみ、スパンキング程度を限度とする映像であれば許容する」というものが考えられる。
「BPOの青少年委員会は、視聴者やBPOの中高生モニターから、出演者に痛みを伴う行為を仕掛け、それをみんなで笑うような、苦痛を笑いのネタにする各番組は「不快に思う」「いじめを助長する」などの意見が継続的に寄せられてきていることなどを踏まえ、議論した。その結果、青少年に与える影響の重大性を鑑みて、審議入りすることを決めた。」
この問題は相当難しい。
私の世代だと、とりわけ教育現場において、体罰が日常化していた。
小学校時代に宿題を忘れるとホウキで「百叩きの刑」(スパンキング)を受け、中学校時代の部活では飛び蹴り指導するバレー部の指導者がおり、高校時代は部員の顔面にグーでパンチをして奥歯を折った(但し伝聞)剣道部の顧問もいた。
私の見る限り、これに対する反応は二極化するようで、① 体罰を含む暴力全般に嫌悪感を抱くようになる、② 暴力に対する感覚がマヒしてしまい、加害者を模倣するかのように、他者に対し「これくらい大丈夫」と暴力をふるってしまう、というものがみられる。
他人が苦痛を感じる場面を見て「笑う」のは、おそらく②のタイプだろう。
人間の本能に攻撃的な衝動が含まれていることは間違いないが、これを抑圧しないと正常な社会生活を営むことは不可能である(「不快感を感じる」というのは、おそらく抑圧の一作用と思われる。)。
だから、普通の人間は、少なくとも人前では攻撃的な衝動を隠すものだが、これを抑圧しない人も一定数存在する。
いわゆる「識者」が指摘しているのは、問題なのは、暴力を容認するかのような映像が日常的に流れる環境で育つと、「暴力なんて抑圧しなくていいんだ」と勘違いしてしまう人が出てしまいかねないということである。
これは、確かに正しいようである。
「体罰」を禁じることで若者の暴力性が劇的に減少することが88カ国40万人を調査した研究で示される
「この結果について、主任研究者でモントリオールのマギル大学のフランク・エルガー准教授は「現時点で言えるのは、体罰を禁止している国で成長した若者は、そうでない国の若者に比べて暴力性が低い、ということです」と述べています。
またこの傾向は、国ごとの裕福さや殺人率の違いには関係ないことが確認されているとのこと。つまり、成長期にある子どもに体罰が加えられる環境があるかどうかによって、その国の若者の暴力性は一定の影響を受けるということになります。体罰を受ける子どもは「自分は望まれない人間なんだ」と考えることや、体罰を受けた子は大人をまねて自分も体罰で「しつけ」をする連鎖が生じることも明らかになっているとのことです。」
こういう調査を見ると、「暴力的な映像は一切禁止するのがよい」という結論になりそうだが、そう簡単ではない。
暴力を禁圧して日常から締め出してしまうと、(ガス抜きがないために)かえって攻撃衝動がマグマのように溜まって増幅されてしまう(格闘技に反則技を多く設定すると、「地下格闘技」が流行するようになるのと似たような現象かもしれない。)、あるいは、抑圧された人間の本能的な攻撃衝動(「死の欲動」を含む)が自分自身に向かい、神経症やうつ病などを発症する、というリスクも考える必要がある。
妥協点を見出すとすれば、「夜11時以降のみ、スパンキング程度を限度とする映像であれば許容する」というものが考えられる。