オール・ベートーヴェンプログラム
《エグモント》序曲
ピアノ協奏曲第3番
交響曲第3番《英雄》
<ソリスト・アンコール>
ベートーヴェン:ピアノソナタ「月光」より第1楽章
リスト:ラ・カンパネラ
今月は、辻井さんが出演するコンサートに3回行く予定で、初回はロンドン・フィルとの共演。
ロンドン・フィルを生演奏で聴くのはおそらく初めてだが、《エグモント》序曲の初っ端で息を吞んでしまった。
第一ヴァイオリンが完璧にシンクロしているのである。
ベルリン・フィルなどもそうだが、10~20人が弾いている第一ヴァイオリンの音が一つに聴こえるのは、世界トップクラスのオーケストラであることの証なのだろう。
次が辻井さんとのコンチェルトだが、私の席は、最前列中央やや左側、つまり、辻井さんの目の前である。
しかも、サントリー・ホールでのピアノ・コンチェルトは、舞台のギリギリ端っこまでピアノを寄せてセットするので、辻井さんまでの距離は2メートルちょっとしかない。
私の人生で最も辻井さんに接近した約40分間である。
これだけ至近距離で見ると、辻井さんが「呼吸と指の動きをシンクロさせている」ということは一目瞭然である。
私見では、ダンスも同じで、ダンサーの息遣いを至近距離で観察すると、身体の動きに呼吸をシンクロさせているというか、むしろ呼吸によって身体を操っていることが分かるのである。
完璧な演奏の後のアンコール1曲目は、ベートーヴェンにちなんだ「月光」第1楽章。
これはオーソドックスな演奏だが、2曲目の「ラ・カンパネラ」は、辻井さんの最近の傾向である「高速演奏」(憑依)。
(リストはベートーヴェンの孫弟子であり、崇拝者なので(バッハ発、ワーグナー行き(5))、この曲をアンコールで弾いても、おそらく「オール・ベートーヴェン・プログラム」の趣旨には反しないだろう。)
ピアノの音は、上と下に向かう仕組みなのだが、下向きの高音は非常に強く伝わるので、最前列で聴いていた私はガラスの破片が落ちてくるような恐怖に近い感覚を覚えた。
温厚そうに見える辻井さんだが、「ラ・カンパネラ」の演奏を聴くと、内面にマグマのような激しいものを秘めていることが分かる。
注目のスタンディング・オベーションは、私が見た限り、一回席では50〜60代位の女性1人だけだった。
スタンディング・オベーションがアーティストへのメッセージだとすれば、目が見えない辻井さんに対する関係では意味を成さないこととなるはずだ。
だが、感動を表したものだとすれば、アーティストに伝わるかどうかと関係なく、表現行為として成立することになるだろう。
さて、メインの「英雄」だが、この時期に作曲されたベートーヴェンの曲は、「心地よく」聴くことが出来る。
音の動きが自然かつ滑らかで、不自然又はザラつくところが全くないのである。
全ての楽器が自己主張しているが、なぜか全体としては統一されている。
例えるのは難しいが、「小鳥も猛獣もみんなが仲良く暮らす、陽光の降り注ぐ森」といった印象である。
「完璧な調和」という言葉しか出て来ないところだが、ベートーヴェンは、ナポレオンではなく、天界をイメージしてこの曲を作ったのではないだろうか?
聴衆としては、一秒でも長くこの「完璧な調和」の中にとどまっていたいのだが・・・。