9月のポトラッチ・カウントは、
・「伊達娘恋緋鹿子」・・・6.0
・「夏祭浪花鑑」・・・6.0
・「摂州合邦辻」より合邦庵室の場・・・5.0
・「沙門空海唐の国にて鬼と宴す」・・・3.0
・「妹背山婦女庭訓」より「太宰館花渡し」と「吉野川」・・・10.0
・「勧進帳」・・・7.5
・「マクベス」・・・10.0
以上を合計すると、47.5:★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★✮。
ところで、最近思うのは、歌舞伎は放っておいてもお客さんが沢山入るが、文楽はそうではないということである。
さらに言えば、文楽は、補助金なしではおそらく消滅してしまう芸能なのではないかということである。
重藤暁「まず大事なのは、今回募集した国立文楽劇場での研修生の応募がゼロだったっていうことなんですよ」・・・
重藤「素晴らしい枠だと思いますね。ただ問題なのは、募集年齢が23歳以下なんですよね」 ・・・
重藤「若い頃に、果たして文楽に接触できるかどうかっていうのが大きなヤマだとは思うんですよね」
文楽の業界では、歌舞伎とは違って、どうやら「世襲」が機能していないらしい。
なので、担い手となる人材は「公募」に頼らざるを得ないが、それも難しいということなのだ。
ちなみに、「学生割引1,800円」の効果で相当数の若い人たちが訪れた「夏祭り」だが、聞こえてきた感想は、
「『男が立たぬ!』とか『わしの顔が立ちませぬ!』とかいう発想には付いていけない」
というものが多かったと思う。
これは、レシプロシテに対する拒絶反応であり、健全だと思うのだが、かといって、文楽が滅びてしまうのも困る。
私見では、とりわけ三大名作などに充満しているレシプロシテの毒は、芸術作品という形で”対象化”される必要があると思う。
そうすることによって、自分自身が毒されているかもしれないレシプロシテを意識化し、コントロールすることが可能になるからである。